一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2023/10/06 No.119IPEFサプライチェーン協定は画期的な調達メカニズムを創れるか~企業がサプライチェーンのネットワークでうまく機能するかがポイント~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

米国商務省(以下、商務省)は2023年9月7日、IPEF(インド太平洋経済枠組み)の「サプライチェーン協定」を公開した。IPEFサプライチェーンの柱は、既に23年5月27日に実質的な合意に達しており、その原文であるサプライチェーン協定の公開が待たれていた。IPEFサプライチェーン協定が、商務省の言うように画期的な経済枠組みであり、IPEF加盟国間の物資調達のイノベーションに繋がるものであるのかを探ることにしたい。

全部で27条から成るIPEFサプライチェーン協定

米国の製造業を活性化し、サプライチェーンの強化などを狙ったIPEFは、四つの柱(貿易、サプライチェーン、クリーンエコノミー、公正な経済)から成る。その中で、二つ目の柱の原文であるサプライチェーン協定は、企業の物資の供給調達に大きく関わっている。

IPEFサプライチェーン協定は、大枠では、セクションA(定義)、セクションB(強靭なIPEFサプライチェーンの形成)、セクションC(例外と一般条項)、セクションD(最終条項)、の四つのセクションに分けられる。

セクションAは、第1条(定義)のみで構成されている。セクションBは、第2条(IPEFサプライチェーン強化のための協力)~第12条(サプライチェーン途絶時の対応)までをカバーしており、サプライチェーン協定の重要な取り決めを多く含んでいる。

セクションBの主な条文としては、第3条(IPEFサプライチェーンの強化のための行動)、第6条(IPEFサプライチェーン協議会(注1))、第7条(IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク(注2))、第8条((IPEF労働権諮問委員会(注3))、第9条(施設固有の労働権侵害事案の申立て制度)、第10条(重要な分野・商品の特定)、第11条(IPEFサプライチェーンの脆弱性の監視と対応)、などが挙げられる。

セクションCの対象は、第13条(機密保持)~第19条(協議)までであり、第14条(情報の開示)、第15条(安全の例外)、第18条(WTO義務)などを含む。セクションDは、第20条(コンタクト先)~第27条(一般審査)までをカバーし、第21条(発効)、第23条(撤退)、第24条(修正)、第25条(加盟)、などを網羅している。

したがって、IPEFサプライチェーン協定は四つの大きなセクションと27の条文、全体で25ページの本文から成っている。また、IPEFそのものは、通常の包括的な自由貿易協定(以下、FTA)と違い、関税削減などの市場アクセスや紛争処理に関する条項を設けていない。

一般的な FTAであるUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)などの条文では、「Each Party shall provide that・・・」のように義務を課す「shall」が多く用いられている。一方、IPEFサプライチェーン協定の本文では、多くの条文で「shall」が使われているものの、特にセクションB(強靭なIPEFサプライチェーンの形成)の前半(第2条~第5条)において、「The Parties intend to explore・・・」のようにIPEF加盟国に義務よりも軽い自主的な意図を促す「intend to」を多用している。このことから、IPEFサプライチェーン協定のセクションBでは、強靭なIPEFサプライチェーンの形成について、義務ではなくIPEF加盟国の自主的な実施を要請していると解釈することもできる。

投資の促進で発展途上国のインセンティブを強化

IPEF加盟国間におけるサプライチェーンのメインプレーヤーとして、米国や日本及び韓国などが挙げられる。つまり、どちらかと言えば、発展途上国よりも先進国の方がIPEFサプライチェーン協定の恩恵を受け易いと思われる。これは、IPEFにおける労働者の権利や環境問題への対応、あるいは脱税・腐敗の防止などの他のテーマにおいても同様である。

IPEFはそもそも、関税削減などの通常のFTAに盛り込まれている市場アクセス分野を含んでおらず、強制力が足りない分だけインセンティブに欠けると指摘されてきた。IPEFの発展途上国メンバーは、当初よりIPEFのスキームを介した域内投資の拡大を望んでいた経緯があり、商務省はこれに配慮し、サプライチェーン協定に投資に関する条項を組み込んだものと思われる。

具体的には、IPEFサプライチェーン協定は、「第2条:IPEFサプライチェーン強化のための協力」の第2項と第3項、「第3条:IPEFサプライチェーン強化のための行動」の第2項、「第4条:IPEFサプライチェーン強化のための透明性の促進」の第1項、などの中に投資に関する条文を盛り込んだ。

例えば、IPEF加盟国がサプライチェーンの重要分野・商品やデジタルインフラ及び輸送プロジェクトなどへの投資機会の魅力を高めるため、新たな方法を模索すると共に、既存の取り組みを強化することを提言している。そのためには、投資ミッションの派遣と共に、ビジネスマッチングを通じた投資パートナーの発掘を促進することが必要だとしている。

少なくとも3か国から通知を受けた重要分野・商品に基づき行動チームを設立

「IPEFサプライチェーン協議会」は、サプライチェーンの競争力の回復を目指し、重要な分野・品目に関する行動計画を策定・管理する機関である。IPEFサプライチェーン協定は、IPEF サプライチェーン協議会のメンバーが加盟国の中央政府の高官で構成されることを規定している(IPEFサプライチェーン危機対応ネットワークの条文においても同様)。

また、IPEFサプライチェーン協定は発効から30日以内に、他の加盟国にIPEFサプライチェーン協議会のメンバーを通知することを定めている。発効から60日以内には、IPEFサプライチェーン協議会は3分の2の賛成で議長(任期2年)を選出し、120日以内に同協議会の運営に関する手続きを定めた委任事項(意思決定の手続き、職務権限の見直し、行動計画チームの設置手続きなど)を作成することになる。

各加盟国は、IPEFサプライチェーン協議会に書面で毎年レポートを提出する必要がある。そして、サプライチェーンの混乱を抑制するため、それぞれ重要分野・商品を特定化することが求められる。IPEFサプライチェーン協議会は、年に1回は対面ないしオンライン上で会合を開催し、少なくとも3か国の加盟国から通知された重要分野・商品の競争力を高める行動計画を実行するチームを設立しなければならない。また、同協議会は、民間部門の意見を反映するために、IPEFサプライチェーンに関する「最高経営責任者フォーラム」などの独立したメカニズムの創設を検討することができる。

「IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク」は、サプライチェーンの混乱時に重要な情報を迅速に伝えるための緊急通信チャネルとして機能する。また、サプライチェーンの混乱に対応するために、その影響の予測可能な範囲などをシミュレーションすることが求められている。そして、サプライチェーンの混乱時に、加盟国にその原因と影響について連絡すると共に、その結論をIPEFサプライチェーン協議会と共有することになっている。

労働権侵害事案の申立て、発効、撤退

ジョー・バイデン政権は、IPEF加盟国のサプライチェーンの回復力や強靭化を円滑に進めるために、労働者の権利を一段と高めようとしている。そのためには、官民の協力が欠かせないとし、加盟国の「労働問題を担当する政府高官」、「労働者代表」、「企業の代表」の三者で構成される「IPEF労働権諮問委員会」の設立に関する規定を「IPEFサプライチェーン協定」に盛り込んだ。IPEF労働権諮問委員会は、サプライチェーンへのリスクとなる労働権侵害事案の課題を特定し、ILO(国際労働機関)と協議の上、各国の労働法や労働慣行及び労働権に影響を及ぼすビジネス慣行に関するレポートを作成する。

また、IPEFサプライチェーン協定は、加盟国が労働権侵害事案に関する通報メカニズムを構築するためのルールを盛り込んだ。協定発効から180日以内に、IPEF労働権諮問委員会の小委員会は通報メカニズムの運用に関するガイドラインを策定することになる。労働権侵害を通報した加盟国と労働権侵害があったとされる事業所所在の加盟国は、事案の解決に向け対話を行う。それでも解決しない場合は、小委員会は解決に向けた努力の奨励やIPEFサプライチェーン協議会と相談しながら事案の悪影響に対処する提言などを行う。場合によっては、ILOが対処することもありうる。

IPEFサプライチェーン協定は、加盟14か国のうち少なくとも5か国が批准書などを寄託者に寄託した日の30日後に効力を発揮する。6番目以降に寄託した加盟国については、その国が批准書などを寄託した日から30日後に効力が発生する。

加盟国は、IPEFサプライチェーン協定の効力発生の日から3年を経過した後はいつでも、書面で寄託者に通告することにより撤退することができる。離脱は、撤退通告の受領日から6か月後に効力を生ずる。

期待される企業の円滑で持続的な関与

IPEFは関税削減のルールを含んでいないため、その分だけ従来のFTAと比較してインセンティブに欠ける面は否めない。しかしながら、IPEFサプライチェーン協定は、「IPEFサプライチェーン協議会」や「IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク」などの機関の設立を盛り込んでおり、域内サプライチェーンの混乱に対応する新たなメカニズムの構築を推進するものである。もしも、こうしたサプライチェーン混乱時の危機対応メカニズムが効力を発揮すれば、これまでのFTAでは得られない安定的な供給調達網を形成することができる。

すなわち、当たり前のことではあるが、IPEFサプライチェーン協定が企業に大きなインセンティブをもたらすかどうかは、「IPEFサプライチェーン協議会」や「IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク」などがうまく機能するかどうかがキーポイントになる。

IPEFサプライチェーン協議会は、前述のように、少なくとも3か国の加盟国から通知された重要分野・商品の行動計画を実行するチームを設立することを定めている。IPEF加盟国は、半導体やバッテリーなどの重要分野・商品を特定することになるが、その選択を巡っては国内企業と相談しながら調整を図っていくものと思われる。そして、各加盟国は自国が関心のある分野・商品を選択しそうな他の加盟国(2か国以上)と情報を交換し、事前の刷り合わせを模索する可能性がある。

IPEFサプライチェーン協定は、民間部門の意見を反映するために、IPEFサプライチェーンに関する「最高経営責任者フォーラム」の創設を検討できるとしており、企業の危機対応メカニズムへの関与に対して配慮したものになっている。実際に、サプライチェーンの現場で供給調達を行っているのは企業であり、IPEFサプライチェーンのネットワークがうまく機能するには企業のバックアップが欠かせない。

したがって、このIPEFにおける安定的なサプライチェーンの構築を目指す新たな試みは、企業がサプライチェーン危機対応ネットワークでいかに主体的にかつ効果的にその役割を果たせるかが成功の鍵になると思われる。

  1. 「IPEFサプライチェーン協議会」は、何らかの原因でサプライチェーンの脆弱性が顕在化する前に、競争力の回復を目指した重要な分野・品目別の行動計画を策定する。IPEF加盟国は、同協議会の下で供給源の多様化、インフラ・労働力の開発、物流の連結性向上、ビジネスマッチングや研究開発の促進、貿易円滑化などを図ることになる。
  2. 「IPEFサプライチェーン協定」は、幾つかの加盟国がサプライチェーンの危機に直面した際、情報共有や協力を促進するための「緊急連絡チャネル」として機能する「IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク」の形成を定めている。
  3. 「IPEFサプライチェーン協定」は、IPEFのサプライチェーンの回復力を高めるために、官民が協力して労働者の権利を一段と促進する必要があるとし、政府、労働界、企業の代表者の三者構成による「IPEF労働権諮問委員会」の設立を定めている。
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