一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2023/10/18 No.121ラオス見聞記(3)ラオスで経験した一帯一路~ランサン号とボーテン特定経済区~

大木博巳
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

ランサン号

2023年9月1日、8時8分発、中国の昆明行き列車、ランサン号(列車番号D888、写真1)に乗車することができた。ランサンとは、100万頭の象を意味し、1353年にルアンパバーンに建国した王国の名でもある。

目的地は中国との国境の町、ラオスのボーテン。ビエンチャンからボーテンまで406㎞、75のトンネルを抜けて、166の橋を渡る約3時間の旅であった。線路の幅は標準軌(1,435ミリ)で統一された国際鉄道である。

2021年12月3日に、ビエンチャンからボーテンまでの区間が1日2往復で開業した。2022年4月13日 からは、旅客普通列車(K11/12電車)の運行が始まっている。ビエンチャン駅と昆明南駅を結ぶ国際旅客電車(D887/888電車)が運行開始となったのは2023年4月13日 である。

国際鉄道が発着するビエンチャン駅からは、1日3本のボーテン行き電車が出ている。今回、乗車したD888は、CR200J型旅客用高速電車(時速160キロ)で運行し、途中、ヴァンウィエンとルアンパバーンのラオスを代表する国際的観光地に停車する。

C82は、ナトゥイ、ムアンサイ、ルアンパバーン、ヴァンウィエンの4駅に停車する。ルアンナムタ県のナトゥイは、中国とタイ北部を結ぶ交通の要衝で、第4メコン橋を渡ってタイのチェンコンに入り、タイ北部のチェンマイに通じる。タイの大手開発業者がナトゥイに工業団地を造成する計画があるという。

K12は始発駅、終着駅を除いて各駅(8駅)に止まる普通列車である。

写真1. ビエンチャン駅の改札に並ぶ乗客とランサン号  ©筆者撮影

ラオス中国鉄道なのか中国ラオス鉄道なのか

この国際鉄道に乗車する前に気になったことが三つあった。

第1はビエンチャンとボーテンのラオス区間の鉄道の呼び名についてである。日本では、中国ラオス鉄道と記述した記事を多く見た。たまにラオス中国鉄道とした記事も見かけた。ラオス区間の鉄道は、ビエンチャン駅から中国との国境にある「友好トンネル」(全長9.6キロ)までの422キロを指している。中国区間は、同トンネルから昆明駅まで613キロである。

今回、ランサン号に乗車して気付いた点は、車内の電光案内表示板では、LCRC(ラオス中国鉄道)と表示していた。ところが、車内放送では中国ラオス鉄道と呼んでいた。サイセタ総合開発区でラオス中国鉄道(LCRC)の本社と思われる建物を見つけた(写真2)。ラオス区間を運営する会社は、ラオス中国鉄道(LCRC)である。

しかし、運行は中国が仕切っているようである。例えば、各車両に配置された客室乗務員は、みなラオス人女性であったが、彼女らを統括する男性の乗務員は、ラオス語が分からない中国人であった。

写真2.  ラオス中国鉄道(老中鉄路社)のビル(サイセタ総合開発区) ©筆者撮影

 第2は、切符の入手についてである。旅行エージェントからは、切符が購入できるかどうかは、乗車前の3日前にならなければ分からないといわれていた。実際に乗車できるのか、不安であった。

ラオス中国鉄道の切符の購入は煩雑である

  1. 出発日の日を含め、3日前しか、予約購入が出来ない。
  2. 切符購入者1名につき、2名分までしか購入できない。
  3. スマ-トフォンによる支払いは、ビエンチャン市内のVIENTIANE CENTER内でしか行えない。

現金の場合は、直接、ビエンチャン駅で購入する。ビエンチャン駅の切符売り場のディスプレイで空席を確認して、いざ購入しようとしても、切符売り場の列があまりに長いため、購入するのをあきらめて帰る人もいるという。毎日、長蛇の列で、切符予約購入には、長時間かかる為、現地では、代行業者を使っている。

こう言われていた中で、幸運にも入手できた切符の座席番号は、D888の1号車1D。最後尾の車両の最後尾の座席であった。これは幸運と思って乗車してみると、満席の予想が外れた。発車した時点で乗車率は半分程度(座席数は90席程度)と拍子抜けであった(写真3)。切符の販売方法にどこか問題があるのかもしれない。 

途中、ルアンパバーン駅で中国人観光客と思しき一団が乗車してきたが、それでも満席にはならなかった。ちなみに、帰りの列車はボーテン発のC81に乗車した。座席番号は2号車の11A。始発駅での乗車率は、2割を下回る程度と低かったが、ルアンパバーンで満席となった。

第3は、ボーテン駅が実際にどの場所に建設されたのかを確かめたかったことである。2019年8月に、ボーテンを訪れて一帯一路建設にまい進している中国の姿を目のあたりにして、そのスケールの大きさに衝撃を受けた。当時は、トンネル工事や高架橋工事の最中で、どのあたりに駅を設けるのか、目星がつかなかった。今回、ボーテン駅はラオスの通関建物付近(貨物用国境検問所)と「友好トンネル」の間につくられていた。

写真3. ルアンパバーン駅停車後の車内でも、往路では空席が目立った ©筆者撮影

ボーテン駅から経済特区中心部へ

D888は、11時7分定刻にボーテン駅(写真4)に到着し、そこで乗客全員が降車した。中国に向う乗客は、ボーテン駅構内でラオスからの出国手続き(写真5)を済ませて、再びD888に乗車する。時刻表によれば、昆明行きの列車の発車時間はボーテン発12時37分である。

ボーテンで下車した乗客は多く見積もっても1割程度にしか見えなかった。ボーテンに用事があるラオス人は、ほとんどいないといわれていた影響かもしれない。大半は中国に帰る中国人とみてよい。

ボーテン駅前には、建物が見当たらなかった。完成予想の模型(写真6)によれば、駅前にもビルが林立することになっている。しかし、周囲を見回しても、その兆候はなく、殺風景な寂しい駅前であった。

写真4. ボーテン駅舎 ©筆者撮影
写真5. 昆明行きはボーテン駅で下車。出国手続きに向かう乗客  ©トンワン氏撮影
写真6. ボーテン駅の完成予想図 ©筆者撮影

ボーテン駅前から、予約していた車に乗ってボーテン経済特区の中心に向かった。道路は、緩やかなS字状に伸びた4車線の舗装道路(写真7)で、往来する車はほとんどなかった。

写真7. 車も人の動きも少ない4車線の舗装道路。奥がボーテン駅方面 ©筆者撮影

ボーテン経済特区の完成予想図(写真8)によれば、ラオス税関と中国税関を双極として、中国側の北から順に、国際居住区、国際商業金融中心、国際教育産業中心、国際医療産業園区、国際保税物流加工園区、麿丁火車駅総合とゾーンが計画されている。山を削らない西側の部分には文化活動・レクリエーション・観光をホストする数か所の施設が計画されている。

2019年8月に訪れたときは、この4車線の道路は存在していなかった。往来するダンプカーが巻き上げる土埃が舞い上がり、車は上下左右前後に大きく揺れて、前に進むのがやっとというガタガタ道であった。

当時、幸運にも、ガタガタ道の途中にあった友好トンネルの工事現場を見学することができた。トンネル工事現場には、ボーテン経済特区開発の全体象を教えてくれるディスプレイがあった(写真9)。整備されていたのは、国際商業金融中心の建物、自動車専用検問所、整備中がラオス税関とボーテン駅の周辺、他は造成中という具合であった。

写真8. ボーテン経済特区完成予想図  ©筆者撮影

北から順に、国際居住区、国際商業金融中心、国際教育産業中心、国際医療産業園区、国際保税物流加工園区、麿丁火車駅総合と区画されている。

写真9. 友好トンネルの工事現場に掲げられていたディスプレイ(2019年8月) ©筆者撮影

それから4年後、ボーテン駅前からボーテン経済特区の中心に向かう沿道は、草が茂った空き地が目立った。途中から左手に高層ビルが見え始めた(写真10)。国際商業金融中心に連なる建物である。2019年当時も国際商業金融中心には高層ビルが建てられていた(写真11)が、当時建設中であった一帯一路の看板を掲げていた建物(写真12)が完成していた。

写真10. ボーテン駅から中心部に至る道路から見た経済特区遠景、突き当りたりに自動車専用検問所 ©トンワン氏撮影
写真11. 金融特区付近ではビルが建設済み(2019年8月当時の状況) ©筆者撮影
写真12. 一帯一路の垂れ幕が掲げられた建設中のビル(2019年) ©藤村氏撮影

ダンプカーが消えて、往来する車もほとんどなく、5分間程度で、中国に出国する検問所に到着した(写真13)。そこが道路の終点である。中国に出国する検問所は、自動車専用検問所(写真14)とその右手奥に徒歩で出国できる黄金のタートルアンのデザインを施した検問所(写真15)がある。

黄金のタートルアンの検問所は、2013年から使用されている。2023年9月に訪問した時には、20人程度のラオス人の若者が並んでいた。ガイドによれば、中国語を習うために中国に向かう若者たちであるという。

写真13. 検問所全景、自動車専用検問所(左)と黄金のタートルアン(仏塔)のデザイン検問所(右奥) ©筆者撮影
写真14.  通過する自動車も少ない自動車専用検問所 ©筆者撮影
写真15. 黄金のタートルアンのデザインの検問所 ©筆者撮影

熱気が消えたボーテン経済特区

2019年夏に訪れた際の検問所付近は、建設中のビルが数棟あったが、大部分は空き地であった(写真16)。今回、同じ場所に立ってみると、空き地であった場所には、完成したビルや建設中のビルが並んでいた。ただし、完成したビルには人の気配は感じられず、建設中のビルも工事がストップしているような感じであった。19年当時は、多くの建設労働者で溢れて熱気があったが、今回は人通りも少なく、静まり返って当時の熱気は失われていた(写真17)。

写真16. 2019年8月当時の検問所付近の様子 ©調査団撮影
写真17. 自動車専用検問所前の建物(2023年9月) 車、人の往来がほとんどない ©筆者撮影

中国との国境の町ボーテンは2003年12月 に国境貿易区として承認され、2010年2月には特別経済区に格上げされた。しかし2012年4月に特別経済区(Special Economic Zone)から特定経済区(Specific Economic Zone)に切り替わった。国境の町ボーテンは、かつては、カジノで繁栄していたが、2010年に起きたカジノ犯罪事件(借金を負った中国人公務員が軟禁されて、最後は債務を払えずに殺害されたというような話)をきっかけに、中国政府がビザ発給の厳格化をラオス政府に要求したことで、訪問客が激減し、カジノホテルが破綻した。2011年には、ボーテンはゴーストタウン化していた。

ラオス政府は脱カジノによる国境地域の総合開発を目指し、ボーテン地域を特別経済区から特定経済区へ切り替え、開発会社をHong Kong Fuk Hing Travel Entertainment Group(香港福興旅遊娛樂集団)からYunnan Hai Cheng Industrial Group(雲南海誠実業集団)に替えて、再スタートを切った。

ボーテンの開発は、再スタートを切ったものの、数年間は、鳴かず飛ばずであった。ところが、2019年夏にボーテンを訪問した時には、日本では決して見ることができない大規模な造成工事で沸騰していた。これをもたらしたのはラオス中国鉄道の建設である。

ビエンチャン~ボーテン国境の鉄道建設は2015年12月に定礎式が行われ、その後進捗は遅々としていたが、2016年10月に全区間を6区間に分けた建設請負契約が結ばれ、12月にルアンパバーンで起工式が行われた。本格的に鉄道建設が進むなか、東南アジアへのゲートウェイであるボーテンの経済的・地政学的重要性が再認識され、中国資本が経済特区開発へ流れ込んできた。

誰もいない展示会場

今回、4年ぶりにボーテン経済区を再訪して感じたことは、当時の熱気が消えてしまったことである。経済特区の中心部は、殆ど人影を見ることがなかった。

雲南海誠実業集団が運営しているボーテン経済区を紹介する展示場(写真18)は、4年前と比べてスペースも広く立派になったが、展示場に入ると受付の社員以外、見学者は誰もいなかった。展示場は、中央に経済特区の完成予想模型(写真19)、右側にはラオス中国鉄道の意義と中国が進める一帯一路の宣伝(写真20)、左側に販売している住宅の見取り図と価格のディスプレイという配置であった

2019年8月に展示場を訪れた時は、中国東北部遼寧省出身の中国人男性社員と雲南省の西双版納出身でタイ語を片言でしゃべる女性社員が対応してくれた。彼らの説明によれば、

  • 現在この特区の住民は5,000人ほどで、将来開発が完了した時点で30万人都市になる計画。
  • 居住区のコンドミニアム(まだ建設されていない)の1割はすでに売れているという。ほぼ中国人が顧客だが、ラオス人も少数だが購入しているという。
  • 最も安い部屋は30㎡で3万ドルからだという(中国語のみのパンフレットを解読するかぎり、長期使用権利のように見える。ラオス領土の土地は外国人が所有権をもてないであろうから、長期使用権という位置付けであれば、この安い値付けが理解できる)。

さらに、特区内で事業所を設立できれば、グリーンカードのようなものが発行され、ラオス国内で自由に経済活動ができるという特典もあるようであった。この特区を足掛かりにラオスで事業を展開しようと考える中国人企業家が、投資可能性を判断するための下見としてここのコンドミニアムの部屋を賃借する需要もあるとのことであった。

ボーテン駅を出発してから約2時間半を経過した13時40分頃に昼食をとった。前回と同様に、工事現場の労働者の飯場近くにある中華料理店に入った。店内には客は誰もおらず、中国農村部から出稼ぎに来ていると思われる店主と通訳で雇われている中学生ぐらいのラオス人少女2名が、暇そうにしていた。3品注文して56元、ここでは人民元支払いが原則である。2019年と比べて中華料理店の数は、大きく減っているという印象を持った。店の外に出ると、地元のラオス人農家が、青空市場で野菜や果物を販売していた。

僅か4時間足らずのボーテン経済特区に再訪であったが、壮大な経済特区建設の目論見は、ボーテンの中心部に立って周りを眺めただけでも上手く行っていないことがよく分かる。コロナ禍など2019年当時には予想できなかったブッラクスワンの発生が、こうした目論見を夢とさせたのであろうか、あるいは、一帯一路の夢から覚醒しただけだろうか。

写真18. 雲南海誠実業集団が運営している展示場正面 ©筆者撮影
写真19. 展示場内部の中心にはボーテン特区完成予想の模型 ©筆者撮影
写真20. 展示場内部右側には、中国・ラオスの首脳の写真と一帯一路の宣伝ディスプレイ ©筆者撮影
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