一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2017/08/01 No.41マッキンダ—の地政学的視点から見た現代東アジア

濱田和章
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員

地政学の祖ハルフォード・ジョン・マッキンダ―の著作は、日本では「マッキンダ―の地政学」として2008年に原書房(曽村保信訳)から出版されています。著者のマッキンダ―は1861年にイングランドの東部にあるリンカンシャーのゲインズバラで医者の家庭に生まれ、オックスフォード大学で法律を学び、さらに地理学に転じました。オックスフォード大学地理学院初代院長やロンドン大学政治経済学院院長などを歴任しました。1910年~1922年まで下院議員を務めています。1947年没。現代地政学の祖とされています。

「マッキンダ―の地政学」中でも特に有名なフレーズは、「東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」というものでしょう(同書第6章 諸国民の自由 p177)。ここで言うハートランドとは、ごく大雑把に言えばユーラシア大陸の内陸部のことです。世界島とはユーラシア+アフリカの巨大な大陸のことです。

マッキンダ―は第2次世界大戦が終結し、まさに米国とソ連による冷戦が始まった頃にこの世を去っています。同書が最初に発行されたのは1919年です。1919年という第1次世界大戦(1914-1918)直後の国際情勢において彼が「恐れの対象」としたのは、敗戦国ドイツおよびに、大戦中に革命が勃発しロマノフ朝が滅亡し、世界大戦から離脱したロシア(結果的には、その後のソ連)でした。3年前の2014年は第1次世界大戦の勃発から、ちょうど100年後ということで、第1次世界大戦を考察することが、ちょっとしたブームになりましたが、来年は終結後100年を迎えることになります。

歴史を遡れば第1次世界大戦勃発のはるか以前から、ドイツ民族のドイツとオーストリア、「スラブ民族の総本山」であるロシアが世界帝国を夢見て、その始めの一歩である東欧を勢力圏に組み入れるために鎬を削っていました。

第1次世界大戦は、ドイツにとって世界帝国創設の実現を果たす乾坤一擲の大勝負でした。ところが彼によればベルリンは二つの政治目的、つまり「ハンブルクを基点にして海外植民地帝国の建設をめざす」のか、「ハートランドを指向してバクダッドにいたる」のかをあらかじめ選択しておくことをしませんでした。

ドイツはロシアを正面とする東部戦線とフランスを正面とする西部戦線の二正面の間で決定的な勝利を得ることなく、やがて一方でロシアが革命勃発により戦線を離脱したのにもかかわらず、他方で米国の英仏側での参戦を招き敗北してしまいました。

彼の書は第1次世界大戦後の東欧における平和と勢力均衡をテーマに書かれました。そのことがひいては世界の平和に直結するからです。彼によれば、ロシアとドイツの間に、どちらからも支配されない「一連の真の独立国家群から成る中間地帯を形成」することが死活的重要事なのです。

マッキンダ―の地政学は主にユーラシア大陸の西側(欧州側)を中心に述べられていますが、彼の生まれた場所と時代を考えれば当然のことでしょう。仮に現代の「ユーラシア大陸の東側」で彼の論理を当てはめてみると、冒頭で引用した有名なフレーズはどうなるでしょうか。

もちろん、100年前に勃発した第1次世界大戦前後の時代のユーラシア大陸西側と現代のユーラシア大陸東側で「ピッタリと対称形に重なる」ことはないでしょうが、「東アジアを支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」となります。21世紀の世界において、経済の成長センターといわれている東アジアを中心に考えてみるのも一興でしょう。

この場合、当時の「東欧」に対比されるのは、現代の「東アジア」です。同様に当時の「ロシア」に対比されるのは現代の「中国」でしょう。一方で当時の「ドイツ」に対比される国は、どこでしょうか。地域のもう一方の大国ということで、人口、経済力、防衛費の大きさなど総合的な国力の視点からは、「日本」のようにも思えます。

しかしながら現代の「日本」に関し次のような諸点が、完全には「ピッタリと対称形に重ならない」要因です。①現代の「日本」は、そもそもランド・パワーではありません。②当時の「ドイツ」が新興資本主義国として台頭していたのに対し、現時点の日本経済はかつての輝きを取り戻してはいませんし、③太平洋戦争後に制定された平和的な憲法の規定によって、当時の「ドイツ」のような勢力圏の拡張志向もありません。ようやく国会の内外において、「集団的自衛権等」についての議論が盛んに行われている状況です。④当時の「ドイツ」が第1次世界大戦勃発後の当初、中立を宣言していた「米国」を結局は敵にしてしまったのに対して、現代の「日本」は「米国」とは深い同盟関係にあります。

加えて現代のアジアの中には、当時のグローバルな覇権国であり、マッキンダ―の祖国であった英国(大英帝国)に対比される国も見当たりません。従って米国という存在がなかった場合には、現代の中国は東アジア地域において、極めて大きな存在であると言えましょう。

いわゆる「尖閣諸島問題」を端緒に中国との関係が不安定化している日本は、米国、豪州、インド、ASEAN諸国などと連携して中国の文字通りの「平和的台頭」を促すべきでしょう。仮に日中間で紛争が発生することは、小規模なものであったとしても両国間のみならず、東アジアや世界の政治経済の秩序に深刻な打撃を与えることは明白です。

発展の期待高まるASEAN(東南アジア諸国連合)経済共同体の創設とは見方によっては、前述の「一連の真の独立国家群から成る中間地帯の形成」の強化の可能性を秘め、あるいは中国の春秋戦国時代の思想家(戦略家)である蘇秦(?~BC317)が説いた「戦国の七雄のうち、強国の秦に対して6国(燕・斉・魏・趙・韓・楚)が同盟して秦に対抗する」という「合従策」にも適った動きのように見えます。

これに対して、もしも中国がASEAN諸国を分断したいと望むのならば、現代の中国が参考にするのは、蘇秦と同時代の張儀(?~BC309)が説いた「6国がそれぞれ秦と同盟を結ぶ」という「連衡策」でしょうか。近年、中国は歴代中華王朝が東アジアにおいて保持してきた勢力圏を再復しようとするかのような動きを見せています。

加えて、現代版シルクロードと言われる「一帯一路」構想はグローバルな規模での国家戦略の発露であると言えましょう。100年単位で考えれば、この構想は、ひょっとすると英国から米国へ引き継がれてきた世界覇権を中国に移行させる意図を内蔵している可能性があるようにも感じられます。これは「東アジアを支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」という事に繋がるのではないでしょうか。本稿の主なフィールドは「現代東アジア」なので、これ以上は踏み込みません。

現代の中国は事実上、共産党が国家よりも上位に位置し、人民解放軍は共産党が創建、指導する人民軍隊とされています。その党と国家と軍の関係について、平成24年版防衛白書(p29)によれば、「共産党指導部と人民解放軍との関係が複雑化しているとの見方や、対外政策決定における軍の影響力が変化しているとの見方もあり」、党と人民解放軍の関係が微妙のようです。

平成28年版防衛白書(p41)は、「中国は、「平和的発展」を唱える一方で、特に海洋における利害が対立する問題をめぐって、既存の国際法秩序とは相容れない独自の主張に基づき、力を背景とした現状変更の試みなど、高圧的とも言える対応を継続させており、その中には不測の事態を招きかねない危険な行為もみられる。(以下、略)」と述べています。

ASEAN+日中韓に豪州、NZ、インドを加えたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)の枠組みにおいて、豪州、NZ、インドは中国が歴代王朝によって形成してきた勢力圏の外側にある国々です。東アジアにおいて、心もとない立場に置かれかねないのは日本です。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)は米国主導による対中国包囲網になる可能性も秘めていましたが、トランプ大統領は自らその枠組みの外へと離脱してしまいました。RCEPは中国による勢力圏構築の場になる可能性があります。

世界史を見れば、時に強大なランド・パワーはやがてシー・パワーを兼ねるための拠点構築を志すことになります。日本は日米同盟を基軸に、国際経済的な視点にとどまらず、地政学的な視点に立って、今後とも粘り強くTPPの早期発効やRCEPの交渉をしていくことが必要でしょう。

実は、「マッキンダ―の地政学」という書物は日本では1985年当初、「デモクラシーの理想と現実」(Democratic Ideals and Reality)というタイトルで発刊されていました。それが地政学の祖マッキンダ―の主著であることが分かるように改題されて復刊されたのです。同書の第6章は「諸国民の自由」、そして第7章では「人類一般の自由」について書かれています。

超大国化しつつある現代の中国において、現代の日本や米国などといささか趣を異にしているのが、この「自由」と「民主主義」(デモクラシー)さらに付け加えれば「法の支配」や「基本的人権の尊重」についてでしょうか。

この「諸国民の自由」という言葉から連想されるのは、経済学の祖アダム・スミス(1723-1790)の「国富論」です。「国富論」のフルタイトルは「諸国民の富の性質と原因についての研究」(An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations)です。「国富論」第4編 経済政策の考え方 第3章第2節には次のような記述があります。

「隣国が豊かであれば、戦争と国際政治では確かに危険だが、貿易では明らかに有利である。隣国が豊かであれば、敵対関係にある場合には自国より強力な海軍と陸軍を維持できる恐れがあるが、平和な通商関係にある場合には取引の総額が大きくなり、自国産業の直接の生産物か、その生産物を使って購入した商品の市場としての価値が高くなる。勤勉な人にとって、近くに住む金持ちは貧乏人よりありがたい顧客になる可能性が高いが、豊かな隣国についても同じことがいえる。(山岡洋一訳「国富論」下巻p73、日本経済新聞出版社、2007年)」。アダム・スミスは「隣国が豊かであれば、自国にとって貿易では明らかに有利である」ことを諸国民に教示してくれたのです。

スミスは1790年に没しましたが、その約70年後に誕生したマッキンダ―の方は、時に「隣国が豊かであれば、戦争と国際政治では確かに危険である」場合について考察してくれたと言えましょう。このことは日本など東アジア諸国にとってのみならず、実は今のロシアにとっても深刻な課題であるはずです。

一方で、マッキンダ―は「全人類の生活が均衡に達した時、はじめて幸福な世界が生まれる。均衡(バランス)こそ自由(フリーダム)の基礎である。」という言葉も残しています。中国を脅威として見る視点ではなく、好意的な視点で見るならば、13億人という広大な市場を有し富裕化しつつある中国は、「幸福な世界」の実現に寄与する可能性も併せ持っています。東アジアにおける中国の影響力の増大に危機感を抱いている米国が、他方で、1899年の国務長官ジョン・ヘイによる中国の門戸開放宣言以来、中国を有望な市場として見ていることもまた確かなことです。

現代の日本において東アジアの最東端に位置し、広大な太平洋を挟んで米国と向き合うという地理的位置は、自由貿易協定を活用するのにメリットをもたらすはずです。加えて、EEZ(排他的経済水域)というマッキンダ―の時代には存在しなかった国際的な海洋制度によって、日本は大きな恩恵を享受する可能性が高まりました。

本稿では主に地政学的視点に立脚しましたが、現代の東アジア情勢あるいはTPPの早期発効やRCEPの交渉を考えるうえで、アダム・スミスを源流とするFree Tradeの視点とマッキンダ―の説く地政学の視点を平衡させて見ることが肝要でしょう。(昨今の北朝鮮関連の動向を除外して考察しました。)

参考文献

H・J・マッキンダ― 曽村保信訳(2008)『マッキンダ―の地政学』原書房

アダム・スミス 山岡洋一訳(2007)『国富論』日本経済新聞出版社

平成24年版・平成28年版防衛白書

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