2018/08/29 No.55NAFTA再交渉での米墨合意から何が読み取れるか〜サプライチェーンの再編が求められる欧州・日本の自動車関連メーカー〜
高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
トランプ大統領にとって喫緊の課題は、11月の中間選挙で勝利を得るために、「中国との貿易紛争」と「NAFTAの再交渉」で米国の力を誇示し、大きな成果を得ることである。米国は中国との貿易戦争における解決の糸口をまだ見いだせないものの、NAFTAの再交渉では2018年8月27日、メキシコとの間で合意に達した。これで、トランプ大統領の思惑通り、米墨間の合意をテコに、カナダに対して新しいNAFTAの承認を突き付けたことになる。今のところ、トランプ政権の巧妙な戦術が功を奏した形だ。
米墨合意のインプリケーション
5月末から中断していたNAFTA再交渉は、7月末に再開し5週間で米墨間の合意を得たが、米国はカナダという手ごわい相手との交渉を控えている。しかも、残された米加間のNAFTA再交渉が決裂したならば、メキシコ議会が米墨の2国間貿易協定を批准するかどうかも不透明である。つまり、米墨合意を達成した8月末の段階においては、まだ諸手を挙げて中間選挙前の大きな成果と誇示するわけにはいかない状況にある。
米墨間のNAFTA合意は8月末に実現したものの、カナダを含めた3か国間での合意はまだであるので、米国のTPA(貿易促進権限)法の議会への90日前の事前通知ルールにより、メキシコのオブラドール新大統領が12月1日に就任する前に、現ニエト大統領によって署名することは難しくなった。
しかし、米加間のNAFTA交渉の行方が不透明であるものの、少なくとも米墨間での合意内容に対しては、オブラドール新大統領はそれほど大きな懸案事項なくして署名することが可能である。さらには、米国は中間選挙向けの対策の1つとして、自国に有利な内容でNAFTAの合意に達したと主張することができる。そうした中で、これまでのNAFTA交渉の過程で米国とカナダの間で相互の不信感が醸成されたことは、米加間の長い同盟関係に微妙な影を落としたことは疑いない。
メキシコは、カナダを含む3か国間での合意を米国に訴えているが、もしも米加交渉が失敗に終わり、米墨2国間FTAの締結を迫られたならば、カナダ抜きを容認する可能性がある。それほど、メキシコにとって米国との貿易は自動車から農産物、あるいはサービスの分野まで絶対的に重要で不可欠なものであるからだ。
今回の米墨間のNAFTA合意の日本へのメッセージとしては、これまで信頼を築き上げてきた米加関係も、トランプ大統領のアメリカ・ファーストの下では、タフな交渉を乗り切る手助けにはならなかったことである。ライトハイザー米国通商代表部(USTR)代表はカナダのフリードマン外相ののらりくらりとした先送り戦術に嫌気がさしたようであり、中断後のNAFTA再交渉にカナダを加えなかったのも、それが一因とも考えられる。
米国は通商法232条に基づく自動車・同部品への追加課税というカードをカナダに突きつけ、今後のNAFTA交渉を進めると見られるが、日本への日米FTA交渉の要求も同様な手段を取る可能性がある。TPP11の発効に向けてできるだけ多くの新メンバーを獲得することや、RCEP(東アジア地域包括的経済連携協定)の早期合意を進める、などの対米カードの充実が望まれる。
日本企業が把握すべきこと
米墨間のNAFTA合意の日本企業への影響は、特に自動車や自動車部品の原産地規則の分野で大きい。米墨合意では、75%の自動車の域内調達比率、40-45%のメキシコの自動車・同部品生産に関わる労働者の時給を16ドルにすることが決まった。これが、米加間のNAFTA交渉でも同様な内容になるのか、もしくは修正されるのかが注目される。
つまり、カナダを含む最終的なNAFTA合意では、何%以上の「自動車・同部品(あるいは鉄鋼・アルミ)のNAFTA域内調達比率」が求められるのか。また、何%の北米の自動車・同部品の生産において労働者の時給が16ドル以上でなければならないか、などの新ルールをしっかりと把握しなければならない。
そして、通商法232条を用いた自動車・同部品への追加関税はメキシコの既存の工場には適用されず、新規工場のみに適用されるのか、さらには、メキシコだけでなくカナダも追加関税の免除の対象になるのかならないのかにも目を凝らす必要がある。なお、今回の米墨交渉では、232条を適用した鉄鋼・アルミへの関税賦課からメキシコは除外されなかったようである。おそらく、カナダを刺激せずに交渉を進めようとする米国の駆け引きが反映されているものと思われる。
また、自動車だけでなく、知的財産権やデジタル貿易、企業が政府を訴えることを可能にするISDS条項などでの見直しをチェックし、自社の北米戦略をしっかりと再構築しなければならない。
米墨合意においては、デジタル貿易では電子書籍やソフトウエアの関税を0%とし、国境を越える取引ではメキシコは100ドルまで関税と税金なしで輸入できる上限を引き上げた(これまでは50ドルであったので、中小企業には朗報)。知財においては著作物の保護期間を75年(TPPでは70年)に延長、医薬品の開発データの保護期間を最大で10年(TPPでは8年)としている。メキシコは、アンチ・ダンピング(AD)と相殺関税裁定を審査するよう二国間パネルに求めることを可能にするNAFTA第19章を削除し、ISDS条項の適用を「収用」などに限定することを容認したようである。これらは、カナダとの交渉では懸案事項になることは疑いない。
7月末に米国メキシコ間で交渉を再開
米国とメキシコは7月末に5月末から中断していたNAFTAの再交渉を再開した。米国は2018年内の議会承認を得るために5月中旬の合意を目指したが、自動車の原産地規則を巡る問題でメキシコとカナダとの間で合意に達することができず、断念した経緯がある。そこで、ライトハイザー米国通商代表部(USTR)代表は、自動車の原産地規則で米国とのギャップが大きいメキシコとの2国間交渉を優先し、カナダにはメキシコとの交渉結果をテコに合意を迫る戦術を採るに至った。
メキシコは今回の米国との交渉を経て、最終的にはカナダを含めた3か国間での合意を米国に求めている。これに対して、米国はNAFTAの再交渉の経緯によっては、現在の3か国間での協定を米国・メキシコ、米国・カナダ、カナダ・メキシコの2国間FTAに分割することも検討していたようである。なぜ、メキシコが8月末までの合意を目指すかというと、オブラドール新大統領は12月以降に署名しなければならなくなると、NAFTA再交渉で追加・修正された中身について、場合によっては見直しを検討する必要が出てくるからである。
一方、トランプ政権が交渉妥結を急ぐのは、11月の中間選挙前にNAFTA再交渉で成果を得たいということと、米中貿易戦争から被害を受けている米国農業団体などにもNAFTAの見直しで何らかの利益をもたらしたいと考えているからである。スケジュール的には、TPA法は通商協定の署名90日前に議会に通告することを求めており、オブラドール新大統領が就任前に署名を行うには、8月末までのカナダを含む3か国間での合意が求められる。
自動車の原産地規則やサンセット条項で譲歩
これまでに2018年の3月末と5月中旬、NAFTA再交渉は合意のタイミングを迎えたが、いずれも失敗に終わっている。5月中旬は、米国の2018年内の議会承認を得るためのデッドラインであり、これを逃すと米国における新NAFTAの承認は中間選挙後の新しい議会メンバーの下で議論されることになる。5月に合意ができなかったのは、主に自動車の原産地規則での意見の相違にあった。
5月の議論では、?米国は現在の62.5%から75%への自動車の付加価値比率の引き上げを求めたが、これに対してメキシコは70%の代替案を提案した。さらに、?米国は40%〜45%の自動車を生産する労働者の時給を16ドルとする案を提示したが、メキシコは20%の自動車を生産する労働者の時給を16ドルとすることを主張した。そして、?米国は鉄鋼・アルミ製品の域内調達比率を70%とする案を提案したが、メキシコは30%とする代案を主張。また、①米国は自動車の原産地規則を完全に実行するまでの移行期間として4年を提案したが、メキシコは10年を主張した。
このように5月の段階では、なかなか互いに相違点を解消することができなかったが、7月末からの交渉では互いに歩み寄る姿勢が見られた。これは、7月に選出されたオブラドール新大統領がNAFTAの妥結に積極的な姿勢を示したことが大きい。
メキシコは75%の自動車の付加価値比率を容認する構えを見せ、米国は上記①~③の3つの基準の全てではなく2つを満たしていれば良いとするメキシコの主張を検討する姿勢を示した。また④の移行期間については、米国は5年~6年とする譲歩を示したようだ。
実際の米墨合意では、75%の付加価値比率と40%〜45%の自動車を生産する労働者の時給を16ドルとすることが発表されたが、鉄鋼・アルミの域内調達比率や移行期間は明らかにされていない。これ以上の原産地規則の詳細は不明であるが、これからのカナダとの交渉の場で少しずつ明らかになっていくものと思われる。
また、米国は5年毎に見直しを図るサンセット条項に関しても、より安定的で長期的な観点を盛り込んだ条項へ修正することに柔軟な姿勢を見せた。米墨合意では、6年毎の見直しとし、問題が解決できない場合でもその後10年間は継続し計16年間は存続できることになった。一方が更新を拒否しても、問題の対応に毎年の見直しが可能である。サンセット条項は、北米への投資の不安要因になることから、カナダとメキシコは強く反対した経緯がある。メキシコは、カナダが交渉に復帰し3か国間での合意を目指すよう主張しており、サンセット条項でのメキシコの米国に対する反対は、カナダとの共闘のシンボルでもある。
米国はメキシコに対して、豚肉、バター、チーズなどの酪農品、大豆やトウモロコシ、トマト、リンゴなどの農産物を輸出しており、さらなるメキシコ市場の開放を求めている。今回の合意では、米墨は農業分野での保護主義的な関税や補助金を禁止することに合意している。この農業分野での米墨合意の影響は大きく、今後のカナダにおける酪農品などの供給管理政策に関する交渉で、大きな懸案事項になると思われる。
カナダへの自動車への追加関税はどうなるか
米国はメキシコに対して、232条を用いた鉄鋼・アルミ製品や自動車・同部品への追加関税をNAFTA再交渉のカードとして用い譲歩を迫った。一方では、米国は既存のメキシコ工場で生産された自動車については追加関税を適用せず、自動車の原産地規則を満たさなかったならばこれまで2.5%であった関税をそのまま適用することを認めるなど、メキシコに譲歩の姿勢を見せたようだ。もしも、これが実際に適用されれば、これまでにメキシコに進出済みの自動車関連日系メーカーは一安心ということになる。
ただし、232条での自動車への追加関税は、新規のメキシコ進出企業で生産された自動車には賦課される可能性が残されているようである。もしも、米国がカナダで生産される自動車・同部品に対して、メキシコと違い既存の工場にも追加関税を賦課するならば、カナダは3か国間でのNAFTA合意に署名する可能性は低くならざるをえない。
3か国間での合意の行方と日本企業の対応
もしも、3か国間でのNAFTAの合意がなければ、米国は米墨、米加、加墨の3つの2国間貿易協定を推進する可能性がある。しかしながら、TPA法によれば、NAFTAはあくまでの3か国間での協定で、米墨などの2国間協定の承認には別途議会に申告・通知をしなければならないようだ。つまり、時間を掛けなければ、NAFTAを2国間FTAに分割することはできないように思われる。米墨FTAをとりあえず合意し11月末までに署名を済ませ、少し時間を掛けて米加FTAを締結するという選択は短期的には無理と考えられる。すなわち、8月末の米墨合意を経て、できるだけ迅速にカナダを交えた3か国間での合意を図るのが最も選択可能なオプションと思われる。
また、オブラドール新大統領は、ニエト現政権が進めてきた石油などのエネルギー分野の市場開放政策に反対しており、NAFTA新協定のエネルギー章の見直しなど、今回の米墨間でのNAFTA合意にそれを反映することを主張した。こうした経緯から、米墨合意ではエネルギー部門の内容に変化はない。
カナダは今回の交渉では脇役に追い込まれたわけで、不満を抱えたままで今後の交渉に向かうことになる。しかも、米加間にはぬぐえない不信感が生まれている。それは、カナダにとっては、4月と5月の猶予期間を経て突然6月に米国が鉄鋼・アルミの追加関税を発動したことが決定的な要因となっている。また米国は、カナダが2月に原産地規則の計算に、知的財産権の要素を加えることを提案したことに不信感を抱いたようである。
同時に、ライトハイザーUSTR代表とフリーランド外相との確執も問題をこじらせている。ライトハイザー代表はカナダの先送り戦術に辟易としており、相互の不信感は一朝一夕では解消されない見込みだ。トルドー首相は米墨間の合意に勇気づけられるとしながらも、カナダの国益に沿わない合意に署名しないと表明している。
米加間には、自動車やサンセット条項だけでなく、バターやチーズなどの酪農品や鶏肉の供給管理政策、ISDS条項、政府調達、などで懸案事項がある。2019年10月に想定されるカナダ総選挙に向けて、トルドー首相は立候補を表明している。同首相にとって、NAFTAで成果を得ることは重要な選挙対策となっている。そして、鉄鋼・アルミだけでなく、自動車にも関税が掛かるかどうかは、現政権の政治手腕を問われるところである。
北米の日系企業に関しては、焦点はメキシコでの自動車・同部品の生産において、米墨合意がどのような見直しを迫るかである。域内付加価値比率が75%に引き上げられたわけであるので、早急にそれに適合する対策を採らなければならない。
あるドイツメーカーは、メキシコに20億ドルの組み立て工場を建設し、現在はほぼ完成している。このメーカーは、自動車を組み立てる部品や資材に関しては、鉄鋼・アルミ製品はEUから、エレクトロニクスはアジアから調達している。今回の米墨合意での75%の原産地規則と40-45%の自動車生産に関わる労働者の時給16ドルを満たすために、この会社はサプライチェーン網を変更し、できるだけ米国とメキシコで生産・調達することが求められる。
欧州のメーカーには、このように生産計画を変更しなければ、メキシコで生産する自動車の付加価値比率を達成できないケースが現れると見込まれており、日本メーカーも迅速な対応が望まれる。
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