2019/07/23 No.65米中貿易摩擦は妥結に向かうか
高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
外資出資規制の撤廃を前倒し
米中貿易摩擦を契機に、日本企業の中には中国からASEANやメキシコ、あるいは日本国内に工場を移転する動きが見られる。こうした中国からの生産拠点のシフトは、台湾や韓国企業に加えて、米国や中国の企業にも広がっており、米国による追加関税措置の影響をできるだけ避けようとする動きの一環に他ならない。米中貿易摩擦は、米国と中国との貿易を縮小させるだけでなく、中国への投資を減少させ、中国への資本流入の流れを妨げている。
これに強い懸念を抱いた中国の李克強首相は2019年7月2日、中国・大連での夏季ダボス会議の開幕式で講演し、証券、生命保険などの分野における外資出資規制の撤廃を「2021年から1年前倒しすること」を表明した。同時に、通信や輸送の分野における外資出資規制の見直しについても言及した。
同首相がこうした措置に触れた背景には、米中貿易摩擦に端を発した外資撤退による資本流入減への懸念がある。また、輸出で稼いだ外貨を蓄積し米国債などへの運用を基に、一帯一路構想を活用した新興・途上国への融資拡大を図る戦略に、黄信号が灯るようになりつつあることも挙げられる。
つまり、これまで物やサービスなどの輸出で稼いだ経常収支の黒字が近年は徐々に細って来ており、国債などの海外の金融資産の購入や対外援助への資金の確保に不安材料が表れ始めたのである。国際収支の統計を見ると、中国の対外純資産の伸びは頭打ち傾向になっており、もしも将来的に経常収支が赤字に転換すれば、外国への経済支援に回せる資金が十分に確保できない可能性がある。そうなれば、中国が描く一帯一路構想の推進による中国の存在感を高める戦略が破綻しかねない。
こうした中国の外資不足を解消する政策の1つが、李克強首相が明らかにした外資出資規制の撤廃の前倒しである。すなわち、米中貿易摩擦に絡んで、米国が要求する外資出資規制の緩和を促進するだけでなく、中国経済の立て直しの一環として改革を実行するのである。
このように、米中貿易摩擦に関連する中国の構造改革は、中国経済にとってプラスの材料になることは間違いない。しかしながら、習近平主席は米中貿易協議での米国の要求の中には中国の国家主権に触れるものがあるとして、2019年5月10日には一旦は米中協議の継続を拒んだ。これは、米国の要求が中国には到底呑めないものであったことを意味しているが、その後、6月29日に大阪で開催されたG20での米中首脳会談を契機に、米中貿易交渉は再開されることになった。
トランプ大統領は第4弾目の追加関税を先送り
G20において米中両国の首脳は、引き続き交渉を継続することを確認し、中断したところから協議を再開することに合意した。そして、トランプ大統領は少なくとも当座は中国に対する関税を引き上げないとし、第4弾目の約3,000億ドルの追加関税を先送りすることを表明した。また、中国側から求められていた懸案のファーウェイに対する米国製品の供給禁止措置については、汎用品については取引を続けても構わないとし、安全保障上のリスクがない製品の禁輸措置の解除を示唆した。
このファーウェイに対するトランプ大統領の譲歩は直ちに議会からの反発の声が上がった。これに対して、大統領のアドバイザー役であるピーター・ナバロ通商製造政策局長やウイルバー・ロス商務長官は、依然として輸出許可が必要なエンティティリストに掲載されおり、ファーウェイに対する基本的な姿勢は変わっていないとした。
G20での米中首脳会談で米中通商交渉は再開されることになったが、既に米中両国の交渉担当者らはG20の前から活発に電話等での連絡を取り合い、次の会合の日程等を話し合っていたようだ。その結果、ライトハイザー米国通商代表部(USTR)代表と劉鶴副首相などが7月9日、電話にて貿易協議を実施したとのことである。7月22日付のthe South China Morning Postは、7月の交渉責任者同士の電話会談は都合2回行われ、G20から初めての対面での米中貿易交渉は7月29日の週に北京で開催される可能性が高いと報じている。
協定が履行されるかどうかが交渉のキーポイント
トランプ大統領やムニューシン財務長官によれば、既に米中貿易交渉の9割は終わっているとのことであるが、協議の完全な終結の道筋が見えたわけではなく、150ページ7章に達する米中貿易協定の大筋合意にはもう一段の進展が必要である。
ロス商務長官は7月17日、約1週間前の米中交渉責任者による電話会談において、5月10以降の貿易交渉の中断の背景として、互いに相手側の姿勢の変化によるものと主張したことを、インタビューにて明らかにした。米中貿易交渉が中断したのは、約束を反故にした中国にあるとの米国の言い分に対して、中国側はこれまでの貿易協議での合意を突然変えたのはむしろ米国の方だと主張したようである。
また、ロス長官は、今後の貿易協議で大きな争点となるのは構造改革、知的財産権の盗用、平等な条件下の調達、国有企業の補助金、の分野であるが、最も核心になるのは米中貿易協定が着実に実行されるかどうかだ、と述べたとのことである。
中国が米中貿易摩擦に関する白書を発表
中国政府は2019年6月2日、「中米経済貿易協議に関する中国側の立場」と題する白書を公表した。これは、米国が5月10日の米中貿易交渉の決裂に関して、その原因は中国の合意反故にあると主張していることに対する反論にもなっている。
中国政府の立場としては、これまでに中国による知的財産権の侵害や技術移転の強要といった米国の主張に根拠はないものの、これまで10回以上に達する米中貿易協議に真摯に向き合ってきており、むしろこれまでの交渉における前言を撤回したのは米国側だと指摘している。
基本的に、中国は米中経済貿易関係を補完的でウイン・ウインの関係であると認識しており、追加関税の付加という一方的な手段で相手にプレッシャーを与えるやり方は、信頼関係を損ねると主張する。白書では最後に、中国側に知的財産権の侵害などの非難される落ち度はないものの、米中両国や世界経済の安定的な成長のために、建設的で互恵的な関係の対話と交渉を望んでいることを表明している。
白書は米中経済関係を補完的であるとし、両国の経済緊密度は高まっており、ウイン・ウインの関係にあることを強調。つまりは、米中貿易では米国が一方的に損であるとするトランプ政権の考え方を真っ向から否定している。
そして、相互の追加関税の賦課は米国以外の国だけでなく、米国そのものの経済に悪影響をもたらすと主張する。まず、追加関税は米国の生産コストの上昇につながり、国内の物価を引き上げる。そして、輸入の減少で関連産業の生産や雇用を減らし、生産コスト増によって輸出も鈍化させる。つまりは、最終的には米国の経済成長も鈍化し、世界経済に悪影響をもたらす。実際に、世界銀行やIMFの米中貿易摩擦で世界経済は下方圧力を受けるとの予測を出している。
企業レベルにおいては、多国籍企業を中心にサプライチェーンの再編を余儀なくされる。これは、中国企業が追加関税を逃れるためベトナムなどへの投資を拡大したり、日本企業が中国から撤退し、ASEANへ工場を移転する動き(チャイナ+1)につながっている。米国企業も例外ではなく、これまでの中国への過度な生産依存を見直し、中国以外の国への製造委託(アウトソーシング)の多角化が進んでいる。これに関連して、米国政府によるファーウェイに対する米国製品の供給を抑制する動きに対しても、白書では反対の姿勢を見せている。
一方、白書はこれまでの米中貿易交渉で合意した内容を覆したのは米国だとの主張を盛り込んだ。その1つとして、2018年2月の当初の米中貿易交渉では、貿易不均衡がテーマであり、中国の農産物とエネルギー製品の輸入拡大を主体とした対応・対策でまとまりかけていた。しかし、3月に提出された301条調査の報告書により、知的財産権の侵害と技術移転の強要に問題がすり替わってしまい、米国はその後に一方的に追加関税を賦課するに至った、と指摘している。
第2に、2018年5月19日の段階で、米中貿易交渉は一旦合意に達し、ムニューシン財務長官の追加関税の付加はストップすることになるとの発言につながった。しかしながら、その舌の根の乾かぬうちに、米国は5月29日に追加関税の発動を表明し、その後は7月〜9月にかけて3度の関税引き上げが行われるに至った。
第3に、2018年12月のアルゼンチンでのG20で米中両首脳が追加関税賦課の猶予に合意して以来、2019年5月までの交渉がまとまらなかったのは、中国側が合意を反故にしたためとする米国の主張に真っ向から反論している。この間において、米国は交渉の度に要求をエスカレートし、中国が米国の追加関税措置に対する報復ができないなどのように、中国の国家主権に関わる条件を要求。米国はこの交渉の後退の原因は中国にあると非難したが、逆に中国は無理難題の条件を盾に迫った米国のせいであるとしている。
白書では中国の知的財産権の侵害や技術移転の強要には根拠がなく、米中貿易交渉が進展しないのは米国による一方的な交渉条件の引き上げにあり、それは中国の国家主権を脅かすものであると指摘する。白書は特に何が国家主権を脅かしているのかを明らかにしてはいないが、一般的には知的財産権の盗用や技術移転の強要、あるいは国有企業への補助金問題などの改善に関する強硬なトランプ政権の要求を指していると考えられている。また、2019年4月4日付のフィナンシャル・タイムズ紙が指摘するように、「中国が約束したことを着実に実行することを促すメカニズム」の導入が、それに相当するのではないかと思われる。
中国はトランプ政権の強硬な要求に反発する一方で、大原則の問題では絶対に譲歩しないとしながらも、互いの利益のバランスや協力関係の樹立の重要性を主張することで、今後の交渉に対する期待感を表している。
トランプ大統領は厳しい条件を要求
米国は中国に対して、貿易不均衡や技術移転の強要の是正、サイバー攻撃などによる知的財産権の侵害への対応、国有企業への補助金の削減、国境を越えたデータの自由な移動の保証やデータセンターの現地化要求の禁止、外国資本に対する中国の市場開放、等を要求してきた。
中国はこれに対して、2018年7月には「外商投資参入ネガティブリスト」を改訂し、農業、エネルギー、銀行、自動車などの分野における外資出資比率制限を撤廃・緩和した。さらに、2019年3月には技術移転に関する法規を改正し、「契約の有効期間内に改良した技術は改良した側に帰属する」との条項を削除。また、「技術移転協議書の期間は一般的に10年を超えない」、及び「技術移転協議書の期間満了後も技術譲受側は当該技術を引き続き使用する権利を有する」という条項も削除した。
こうした米国の要求に応える中国の姿勢にもかかわらず、米国はそれが確実に実行されるかどうかに疑念を抱いたようである。フィナンシャル・タイムズ紙は、既に米中貿易交渉はこの段階でほとんどの分野で合意に達していたが、依然として2つの問題が残っていると報じた。その1つは、中国側が直ちに全廃を望む追加関税の取り扱いで米国側はその一部を残したいと考えていることであり、2つ目は、トランプ政権は中国が約束したことを確実に実施するようなメカニズムの導入を求めている、ということである。
1つ目の問題では、米国は、中国が着実に約束を実行しているかどうかを確かめながら追加関税を段階的に撤廃していきたいと考えており、長くプレッシャーを与え続けることを狙っている。また、2つ目の問題では、米国には中国側の約束の実施に根強い不信感があり、もしも将来的においても中国の約束違反があった場合には、米国が一方的に関税を賦課できることを主張。しかも、ライトハイザーUSTR代表は、米国の追加関税に対して中国は関税の引き上げという報復措置を取る権利を持たず、WTOへ提訴することも認めないことを強く求めたようだ。
そして、米国は中国に対して国内法に成文化するよう要求したものの、中国は拒否していると伝えられる。こうした米国の要求は、中国にとってみれば、米中貿易摩擦の対応で主権を認められないということに等しいと言わざるを得ず、到底受け入れられない提案であった。
したがって、これらの問題についてそれぞれ米中は痛み分けをしながら妥協を図らなければ、米中貿易摩擦は合意に達することができない。特に、知的財産権の盗用、国有企業への補助金、米国の制裁関税に対して報復の追加関税の権利を持たないこと、などは中国の国家主権に関連する問題であるため、合意までの道のりは決して平坦ではなく、簡単には妥結できず、最後にはトップの決断を仰ぐ事態も想定される。
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