2012/12/13 No.7高まるアジア新興国への進出リスクと対応
高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
日本のアジアへの直接投資は、2011年には中国や韓国、タイ、インドネシア、フィリピン、ベトナムなどを中心に大きく拡大した。
こうした中で、2012年9月中旬に領土問題に端を発した反日デモが発生。中国のイオンやユニクロ、平和堂などの店舗が破壊され、一時的に操業を休止するに至った。こうしたデモの影響は小売業だけでなく、トヨタ、ニッサン、ホンダなどの自動車産業、パナソニックやソニーなどの電気電子の分野にまで広がった。
また、アジアでは賃金の引上げや待遇改善、さらには環境対策などのビジネスリスクが着実に高まっている。本稿では、こうしたアジア新興国への進出リスクにどう対応するかを検討する。
賃金上昇や労務対策などのビジネスリスクが拡大
アジアの新興国における主なビジネスリスクには、為替リスク、インフラの未整備、法制度の未整備や運用の問題、関連産業の集積・発展が途上である、知的財産権の保護、人件費の上昇、労務上のリスク、などが挙げられる。
この中で、法制度の未整備や運用の問題については、サービス分野である小売市場への参入で典型的な例が見られる。例えば、外国企業がインドネシアの小売業に進出しようとしても、「自動車・同部品の小売業、営業面積が1,200㎡未満のスーパーマーケット、コンビニエンスストア、装飾品・アンティーク小売業」等の分野では、認可は「国内資本100%の企業」のみに限定されている。
インドでは、卸売りや外食、理美容の分野は自動認可であり、外資の100%進出が認められている。一方、スーパーマーケットやコンビニのような複数ブランド商品を扱う総合小売業に関しては、2012年の9月から外資は51%までの投資が可能になった。
しかし、それには「最低投資額が1億ドルで3年以内に半額をインフラ設備に投入すること」、「製品調達額の3割をインド国内の小規模企業から調達しなければならない」、等の幾つかの条件がついている。インドでは、小売の単一ブランドの参入については100%まで認められているが、外資の出資比率が51%超となる場合は、やはり3割の国内調達が義務付けられている。
人件費の上昇はアジア各地でよく見られる現象である。中国では2010年の最低賃金の上昇率は24%であった。また、2011年~2015年の5年間で、最低賃金の上昇を年間13%以上とする目標を掲げている。
インドでは、ワーカーの賃金はインド日本商工会の調査によれば、2010年と2011年にいずれも12.4%上昇した。シンガポールにおける名目賃金は、2012年の第1四半期において前年同期比で8.5%増となった。タイでは、2012年の8月時点において、バンコク周辺で最低賃金が215バーツであったが、タイ政府はこれを約4割増の300バーツに引き揚げることを目標に掲げている。
アジア主要新興国の労務上のリスク(製造業、商社・卸・小売、複数回答、%)
こうした人件費の上昇は、アジアの急激な経済成長の高まりと物価上昇を背景にしている。アジアに進出している日系企業は、賃金引上げなどの労働環境の改善を要求するストライキに直面するケースが増えている。
インドにおけるマルチ・スズキのストライキは2011年の6月と10月に発生し、2012年の7月には暴動にまで発展した。2012年の暴動は、1人の従業員の停職処分を巡って、発足したばかりの労働組合との交渉の過程で生じたと伝えられるが(注1)、改めて労務管理の難しさを浮き彫りにした。同社の暴動が発生した工場は1ヶ月後に操業を再開したが、1日の操業停止で売上高が約10億円の損失につながったとのことである。
インドの工場での契約社員の割合は半数以上といわれる。この問題が今回のマルチ・スズキのストライキの直接の原因ではないにしても、今後は正規の社員を増やすなどの待遇改善を検討せざるを得なくなっている。
また、中国でのビジネスリスクは環境問題にまで広がっている。2012年8月、中国江蘇州の南通市の工場排水計画を巡り、環境汚染や健康被害の懸念から、排水管の建設工事の中止を求めるデモが発生。5,000人が集結する中で、およそ100人が地元政府の庁舎に乱入し、数人が負傷した。
問題となったのは、長江(揚子江)下流に位置する南通市中心部の王子製紙工場から約100キロ離れた啓東地区に排水するためのパイプ施設計画であった。これに反発する住民がネットを通じてデモを呼びかけた。地元当局はデモを防ごうとしたが、抑えきれなかった。
このケースでは、デモの矛先は市庁舎に向かった。しかし、日系企業としては汚染処理等の環境対策で、今後とも地元政府と綿密な対応を図らなければならないことが浮かび上がったといえる。
一方では、日本企業が自らの権利を主張し、海外投資先での懸案で補償を勝ち取った例がある。野村証券のオランダ子会社(サルカ)は、チェコの旧国営4銀行の1つ(IPB)に資本参加(46%)を行った。旧国営4銀行はいずれも多額の不良債権を抱えており、チェコ政府はIPB以外の3銀行には公的資本を注入したが、IPBには行わなかった。最終的には、IPBは経営の悪化から公的管理下におかれ、別の国有銀行に譲渡されることになった。
サルカは、一連のチェコ政府の措置がオランダ・チェコ政府投資協定に反するとしてISDS条項に基づき仲裁廷に提訴。仲裁廷は、チェコ政府の判断は公正衡平待遇(投資受け入れ国に投資家の合理的期待を阻害しないことを求める規定)に違反するとし、「約187億円+金利分」の賠償支払いを命じた。サルカの案件は、これまでに日系企業が投資協定を使い補償を勝ち取った唯一の事例である。
反日デモの日本企業への影響
日中間の領土問題の発生から中国の反日デモは大きく拡大した。2012年9月11日(火)には、日本政府が尖閣諸島の国有化を閣議決定した。これを受けて、9月15日(土)には反日デモが中国の50都市以上に広がった。翌16日(日)には、反日デモは108都市に拡大。9月19日(水)にはデモ禁止の通達が行われ、ようやくデモは終結に向かった。
中国の反日デモで被害を受けた主要日系企業の中で、直接的な損失が大きかったのはイオンや平和堂などの小売業であった。イオンの被害額は7億円に達するが、そのほとんどは保険でカバーされるようだ。こうした被害額の大きさにもかかわらず、イオンは2014年の下期までに新規3店舗を開設する予定である。
同様にユニクロも今後は年間80~100店舗を出店する予定で、将来的には1,000店舗開設の目標を変えていない。平和堂はデモの発生で店舗は壊滅的な打撃を受け、1ヶ月以上も休業していたが、10月末には2店舗で営業を開始した。被害額は5億円だが4億円は保険でカバーされる。しかし、平和堂に入っているテナントの被害額が30億円にも達し、操業再開時に再び出店するかどうか懸念されたが、ほとんどが戻ってくるとのことである。
トヨタやニッサン、ホンダなどの自動車各社は、多くが9月末の時点で工場を再開している。しかし、各社とも、9月の売上が35%~50%も減少しており、生産調整が行われた。ソニーやキャノン、パナソニックなどの電気・電子では、9月末には操業を再開したものの、売上の減少からコンパクトデジカメのように生産を下方修正する動きも見られた。
中国反日デモで被害を受けた主要日系企業の動向(2012年11月末現在)
1.イオン:35の大型スーパーを中国で展開;2012年9月末の時点で、破壊された店舗を除き、多くは通常の営業に戻る;山東省青島市の「ジャスコ黄島店」を11月下旬に再開;被害額は7億円、約180億円をかけて新規3店舗を開設;2014年下期までに天津市、蘇州市、広州市でオープンの予定
2.ユニクロ: デモが悪化した9月15日以降の1週間の売上が2割減、今後は年間80~100店舗を出店予定、将来は1,000店の目標を変えず
3.イトーヨーカ堂・セブン・イレブン: 2012年9月末の時点で、通常の営業を再開
4、平和堂:2012年9月時点では休業していたが、一部の破壊された店舗を修復し10月末に2店舗で営業を開始、3号店もこれから再開予定;被害額は建物や直営売り場部分で5億円(4億円は損害保険でカバーされる);再開までの営業機会損失13億円、テナントの被害額が30億円;2013年夏には4号店を計画
5.ヤマダ電機: 2012年9月末の時点で、全ての店舗で再開
6.トヨタ: 2012年9月末の時点で工場を再開するも、9月の販売は半減し、生産調整を実施
7.ホンダ: 2012年9月末の時点で、工場の操業を再開;2013年3月期の連結純利益予想を4,700億円から3,750億円に下方修正
8.マツダ: 2012年9月末の時点で、操業を再開
9.日産: 2012年9月末の時点で、操業を再開、9月の販売35%減、10月には昼夜2交代を昼のみに
10.ソニー: 2012年9月末の時点で、操業を再開
11.キャノン: 2012年9月末の時点で、操業を再開、中国市場の低迷からコンパクトデジカメの2012年の生産を200万台減の1,900万台に下方修正
12.パナソニック: 2012年9月末の時点で約70の生産拠点の多くで操業を再開、被害を受けた山東省青島の電子部品工場は10月中旬に再開
(資料)各種新聞・雑誌・webニュース等から作成
進出リスクにどのように対応するか
それではアジアで広がったビジネスリスクに対して、日本はどのように対応しなければならないのであろうか。
日本企業が対応しなければならないのは、まず第1に労務上の対策であろう。アジア新興国では労働争議の歴史は浅く、かつての日本のように今後とも活発化することが予想される。雇用の確保や技能の向上、年金や退職金などの社会保障の充実を労使の間で話し合い、信頼関係を築くことが求められている。
円滑な労使交渉のために、本社サイドにおける労働組合との協力関係の強化が望まれる。かつての本社での労働争議の経験を生かし、アジアでの労使交渉に応用するのだ。また、ヨーロッパの企業は化学などの分野で国際労働機関と国際枠組み協定を結び、グローバル企業の円滑な労使関係の構築に努めている。こうした動きは日本企業にとっても参考になると思われる。
さらに、アジアでのCSR(企業の社会的責任)をこれまで以上に推し進めることにより、労務対策につなげることができると考えられる。日本企業は、海外でもCO2排出削減や排水処理などの環境対策を展開している。これは、日本国内での環境に対する社会的な関心が高く、本社も積極的に環境対策に取り組んでいることが背景にある。
これに対して、アジアでの雇用創出や技術の移転、労働環境改善等の社会面でのCSRは今後の課題であり、日本企業には地域コミュニティへの積極的な貢献が求められる。例えば、反日デモ後に、中国の矢崎総業の工場でストライキが発生したが、これは同工場の施設の移転に伴う労働者の異動に反発したものであった。同社の模範工場であっても、労働者の権利意識が高まっており、労働環境や生活改善への対応がこれまで以上に求められるようになっている。
もしも、「健康と安全」や「貧困と所得格差の是正」などの日本企業の社会課題への取り組みが広く地域コミュニティに認知されるようになれば、最終的には企業のビジネスリスク対策につながるものと思われる。このためには、地域コミュニティとの対話が重要であり、日本企業の労働環境などへの対策を理解してもらう努力が必要になる。
海外進出リスクへの対応
1.雇用や年金などの労務問題への対応:本社の労働組合の協力を得て、海外子会社における労使交渉に対応、国際労働機関との国際枠組み協定の締結
2.アジアでのCSR(企業の社会的貢献)の促進:所得格差是正、労働環境や生活改善、環境対策、地域コミュニティへの参加と広報活動
3.損害保険の活用:火災保険及び海外投資保険
4.融資等の支援の拡充
5.投資協定の拡充:国家による収容だけでなく、幅広く適用できるISDS条項の追加
6.現地情報の充実
また、海外資産のリスクヘッジとして損害保険の活用が挙げられる。日本企業が現地の火災保険に入っている場合は、暴動による放火の被害に対して補償が検討される。しかし、現地の火災保険には免責条項があることに注意を要する。
保険の適用において、日本語では広い意味で暴動を意味するRiotやCivil Commotion、General Strikeと判断されれば被害を補償される可能性があるが、反乱やテロ、内戦などを指すInsurrection、Rebellion、Terrorism、Civil Warなどと見なされれば、免責条項により補償されない場合があるようである。
したがって、火災保険の契約条項をしっかりと確認することが必要である。また、火災保険よりもカバー範囲を広げようとすれば、企業が所有する海外資産(子会社の株式や不動産等)の損害を補償する海外投資保険があり、各企業はリスクヘッジ対策を選択できる。
さらに、企業ベースだけでなく、行政としての対応を考えると、今回の反日デモの被害が大きかった企業に対して、融資等の支援が望まれる。また、サルカ事件のように、国の収容による補償だけでなく、デモの被害などに対する補償を可能にする投資協定の拡充が求められる。今回の中国での反日デモに関しては、幅広い補償を可能にするISDS条項を盛り込んだ日中韓投資協定が日本の国会で批准されていなかったため、相手国政府を提訴することはできなかったようである。
日本の2国間投資協定の署名数は28(2012年4月現在)であり、米国の47、中国の127、ドイツの136と比較するとかなり少ない(注2)。したがって、投資協定の締結を拡大するとともに、補償の内容を細かく規定し、より補償の範囲を広げる努力が必要になる。
最後に、やはり今回の反日デモの背景や進捗状況、現地子会社や本社の対応状況などを迅速に提供することが不可欠である。しかも、実際に起こってからの情報だけでなく、デモやストライキの発生を防ぐためには、平常時における賃金や物価の動き、海外送金などの法制度情報、税務・労務問題における現地情報、などを包括的に企業に提供することが求められる。
(注1)「暴力、放火・・・追跡・スズキ痛恨の大暴動」、日本経済新聞 2012年8月20日電子版
(注2)「投資協定の概要と日本の取組み」、平成24年8月 経済産業省 通商政策局 経済連携課
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