一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2022/06/15 No.95インド太平洋経済枠組み(IPEF)は21世紀型の貿易モデルになるか

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

米国主導による中国に対抗する貿易モデル

「インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework、以下、IPEF)」の立上げに関する首脳・閣僚会合が、東京で2022年5月23日に開催され、インド、ベトナム、韓国などを含む13か国が参加した(注1)。

IPEFはインド太平洋地域でのデジタル貿易等の分野における連携の促進で対中競争力を高め、中国への包囲網を強めようとするもので、CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)に替わる米国主導による「中国に対抗する貿易モデル」である。

IPEFの立ち上げから翌日の24日には、日米豪印による「4か国対話(クワッド、以下、QUAD:)」(注2)の首脳会合が開催された。そして、バイデン政権は発足会合から3日後の26日、太平洋島嶼国のフィジーが14か国目としてIPEFへ参加することを発表した。

個人情報保護の規制強化の取り扱いが争点

バイデン政権が進めるIPEFは、①貿易(デジタル貿易、労働・環境)、②サプライチェーン (在庫や生産能力などの情報を共有、供給調達網が機能しないことを事前に予測するスキームの整備)、③クリーンエネルギー、脱炭素、インフラ(クリーンエネルギー技術の開発、持続可能なインフラの開発支援と技術協力)、④税・腐敗防止(効率的税制、マネーローンダリングの防止、贈収賄防止制度などの制定)、の4つの柱(モジュール)から構成されている。

1番目の「貿易」の柱は、デジタル貿易や貿易の円滑化を扱っており、日本を含めて多くのIPEFメンバー国は、この柱に参加しルールの中身を議論することに同意するものと思われる。ところが、インドの貿易の柱に対する注目度は他の柱に比べてかなり低い。これは、インドにおける個人情報保護の規制強化(いわゆる、データローカライゼーション規制)の動きが関係していると思われる。

CPTPPの電子商取引章(第14章)では、ビジネスにおける電子的手段による国境を越えた情報の移転を認め、コンピュータ関連設備を自国の領域内に設置すること等を要求してはならないことなどを規定しており、IPEFのデジタル貿易の条項も基本的には同様なルールを踏襲することになると思われる。

これに対して、インドで議論されている個人情報保護法案には、センシティブな個人情報のデータはインド国内のデータセンターに保管される必要があるし、そのデータの国外への移転に関しては情報主体の明示的な同意が必要であることが盛り込まれている。つまり、IPEFにおけるデジタル貿易のルールは、データローカライゼーション規制に反対の立場を取るものになると考えられるため、この方針をインドがそのまま受け入れることは難しいと思われる。

また、貿易の柱に労働・環境が含まれているのは、バイデン政権が人権問題や環境問題への対応を重視しているためと考えられる。米国が要求するこの分野のルールが厳格なものになるのであれば、インドを含む新興国のIPEF参加メンバーにとって少し重荷となる可能性がある。

新型コロナなどのサプライチェーンへの影響を予測

IPEFの2番目の柱である「サプライチェーン」は、感染症や気候変動などによるサプライチェーンへの影響を事前に予測するための各種データの共有やスキームの開発などを規定するものと見込まれる。例えば、新型コロナによりマレーシアの半導体パッケージ工場が閉鎖され、米国ミシガン州の自動車工場の生産や雇用に影響が現れているが、こうした事態を事前に把握し被害を最小限にとどめるスキームの形成を目指している。

3番目の柱である「クリーンエネルギー、インフラ」は、脱炭素への技術開発や新興国へのインフラ整備の支援を目的として設けられている。米国は、再生可能エネルギーの目標やカーボン・クレジットの購入などのルール化において積極的に役割を果たそうとしている。

また、今回のQUAD会合においては、インフラ分野で今後5年間に500億ドル以上の支援や投資を目指すことで合意した。こうした動きは、対中国依存の低下を狙った日米豪による質の高いインフラ整備プロジェクトである「ブルー・ドット・ネットワーク(Blue Dot Network)」構想に繋がるものである。このようなクリーンエネルギー関連の技術開発やインフラの整備支援は、多くのIPEF参加国にメリットをもたらすと思われる。

4番目の「税・腐敗防止」の柱は、インド太平洋地域における租税回避及び腐敗の動きを抑制し、公正な経済を促進するための制度の形成を目指している。4つの柱の内、貿易の柱はUSTR(米国通商代表部)、その他の3つの柱は米商務省が担当するようだ。

このようなIPEFの4つの柱に関する交渉は2022年の6月からスタートし、1年から1年半をかけて合意に達することが期待されている。バイデン政権は、できれば2023年11月の米国主催によるAPEC首脳会議の前までに署名を終えたいと考えている可能性がある。

4つの柱の全てに参加を求めなかった米国

米国は事前に各国に対してIPEFへの参加を求めるに当たり、この枠組みの4つの柱の全てに参加する必要がないことを伝えている。4つの柱の全てに参加しなければならないとすれば、インドは貿易の柱におけるデータローカライゼーション(越境データ流通を規制する動き)の是非に関する話し合いで合意に達することが難しいことから、IPEFに参加する可能性がその分だけ低くなるためだ。

米国は、インドには4つの柱の内、特にサプライチェーンやクリーンエネルギー・インフラの柱に参加することを望んでいる。インドは日射量の多い国との協力のプラットフォームとして、「太陽に関する国際的な同盟(ISA)」を提唱しリーダーシップを発揮していることから、クリーンエネルギー分野で大きな貢献ができると考えられる。また、米国はIPEFで半導体などにおける安定的なサプライチェーンの形成を目指しており、この面におけるインドの半導体の開発・製造拠点としての役割に期待している。つまり、インドが中国に対抗する貿易モデルであるIPEFに加わらなかったならば、その運営に大きな支障をきたすことは確実である。

ベトナムのIPEFへの参加に関しては、その決定には時間がかかるのではないかと思われていたが、ファム・ミン・チン首相がオンラインでIPEF立ち上げの首脳級会合に出席し、IPEFに対する期待が高いことを表明した。

韓国では2022年5月10日に尹大統領が就任し、IPEFへの対応が注目されていた。韓国の新大統領はIPEFへの参加を決定したが、これまでの中国への配慮を考えれば、大きな決断であったと思われる。事実、中国は不快感を示したが、韓国はIPEFが中国を包囲するものではないことを主張し、最終的には報復の可能性があることを覚悟しながらも、国益に基づいた決定を行ったようだ。

IPEFの4つの柱の詳細な内容は、今後の交渉で詰めることになるが、各参加国はどの柱に参加するのかを選択し署名しなければならない。日本は4つの柱の全てに参加すると伝えられている。

IPEFに潜む不確実性とは何か

IPEFには、2022年6月初めの時点において、立ち上げの会合に出席した13か国とその後に加わったフィジーを合わせて14の国が参加している。もしも、この中の一部の国がデジタル貿易や環境・人権及び脱炭素などの幾つかの経済枠組みのルールを順守することができなければ、その分だけIPEFの信頼性が低下し不確実性を増すことになる。

さらに、IPEFの4つの柱の全てに参加しなくても良いというルールを利用して、参加しない柱を増やす国が多くなれば、同様にIPEFの不確実性は増すことになる。IPEFへの参加を柔軟に検討できる仕組みが、逆に足を引っ張る可能性がないとは言えない。また、台湾がIPEFに参加しないことにより、中国に依存しないサプライチェーンの形成という点に関しては、ややマイナスの影響が現れるかもしれない。

こうしたIPEFの不確実性が高まるならば、その持続性や耐久性に悪影響をもたらすことになる。元々、IPEFはCPTPPなどのFTAと違い、市場アクセスのような強制的なルールを持っていない分だけインセンティブやメリットが少なく、それだけCPTPPと比較して弱い代替的な経済枠組みであるとの見方もある。

しかしながら、バイデン政権は参加国の多くが4つの柱に参加すると見込んでいるようであり、実際にはこのような不確実性は杞憂にすぎないのかもしれない。いずれにしても、IPEFの持続性や耐久性は、今後の本格的な交渉において米国がリーダーシップを発揮し、各国の利害の調整をいかにうまく乗り切るかにかかっている。

21世紀型の貿易モデルになりうるか

デジタル貿易や安定的なサプライチェーンの形成、さらには人権問題やクリーンエネルギー及びインフラ開発支援等から成るIPEFの4つの柱は、斬新なアイデアを盛り込んだ経済枠組みである。しかしながら、IPEFは「市場アクセス分野」を除いているため、関税削減のような強制力とインセンティブを持っていないのも事実だ。

新興国を中心に米国への輸出拡大を期待する国にとっては、市場アクセスという分野は魅力的である。一方では、米国は市場アクセスに基づき自国市場を開放すれば貿易赤字の増加に繋がるため、同分野をIPEFに盛り込まない方針には今後とも変わりはないものと思われる。

このため、米国はIPEFの経済枠組みにおいて、市場アクセスに替わるインセンティブの導入を検討せざるを得なくなっている。現段階において想定されるインセンティブの一つとして、IPEFの特定の基準を満たす参加国に対して、1962年通商拡大法232条の適用による鉄鋼・アルミへの追加関税を撤廃することが考えられる(通商専門誌「インサイドUSトレード」5月25日)。ただし、USTRは232条の免除には否定的である。

同時に、IPEFの新興国メンバーには、米国企業などとの連携促進、あるいはキャパシティビルディング(能力開発)や基準達成を支援するための資金援助や技術支援を実施することもインセンティブとして有効である。また、一つ一つの柱を個別に議論するだけではなく、貿易の柱への参加にインセンティブを与えるニンジンとしてインフラ整備の柱からの資金供与を活用する、などの柱同士の統合を検討することも一案である。

列挙されたこれらのインセンティブは、まだ十分に練られたものではなく、やや付け焼き刃的な側面を持っており、IPEFの持つ不確実性や強制力の弱さを完全に払拭するものにはなっていない。

したがって、IPEFが21世紀型の貿易モデルになるためには、今後の4つの柱に関する交渉において、市場アクセス分野を含まなくともある程度の強制力が機能し、必要十分なインセンティブとメリットを与えられる枠組みやルールを作り上げることができるかどうかが「カギ」となる(注3)。

日本企業にメリットはあるか

バイデン政権がIPEFの4つの柱で掲げた目標がうまく機能するならば、日本企業は幾つかのIPEFのメリットを享受することができる。
そのメリットの1つとして、新型コロナや気候変動による供給調達網への影響を事前に予測するスキームを用いることで、サプライチェーンを最適化することを挙げることができる。その結果、日本企業は半導体などの先端技術分野や自動車関連分野の安定したサプライチェーン網の形成に繋げることができる。

また、アジア開発銀行(ADB)や一帯一路などの既存のスキームに加えて、IPEFやQUADにおけるインフラ整備のための資金供与などを活用することにより、日本企業はインド太平洋地域における新たなビジネスチャンスを開拓することが容易になる。

そして、IPEFにおけるサプライチェーン・レジリエンス(危機から立ち直る力)やインフラ整備等の柱は、対中依存を減らし多様化を進めるものであり、インドなどへの投資の拡大を検討する日本企業を支援するスキームになり得る。

これからIPEFの4つの柱の議論が急ピッチで進むと予想されるので、2022年の夏以降には日本企業のIPEF参加によるメリットが次第に明らかになっていくものと考えられる。日本としては、IPEFの4本柱の交渉に積極的に参加し日本の権益やプレゼンスを少しでも拡大し、今後のCPTPPやRCEP(地域的な包括的経済連携)の議論に役立てることが肝要と思われる。

注1. IPEFの立ち上げに参加した国は、米国、日本、インド、ニュージーランド、韓国、シンガポール、タイ、ベトナム、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、オーストラリアの13か国。

注2.QUADの4か国首脳は2021年3月、初となるテレビ会議を開催し、同年9月には対面での会合を実施した。今回の2022年5月24日における会合は、対面形式では2回目となる。

注3. 今後の4つの柱に関する交渉の課題として、IPEFに盛り込む「インセンティブ」と強制力を伴う「紛争解決手続き」との調整を挙げることができる。タイUSTR代表は、IPEFの紛争解決手続きは懲罰を含むが闘うための枠組みであってはならず、伝統的なものよりも協力的なメカニズムを備え進化を反映したものとなることを期待する旨の発言を行った。紛争解決手続きの協力的なモデルとして、USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)が定める「事業所特定の迅速な労働問題対応メカニズム(RRM)」を例示した。RRMは事業所単位で労働権侵害の有無を判定する手続きで、違反が認められれば、USMCAによる特恵措置の停止といった罰則が適用される。RRMの手続きはUSMCA加盟国が独自に発動できるが、労働組合などの第三者機関が加盟国政府に労働権侵害を提訴することも可能である。

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