2008/03/28 No.111温暖化ガス削減の切り札としてのEU排出権取引制度
田中信世
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹
EUは2007年3月に開催された首脳会議において、欧州委員会が提案した地球温暖化対策の行動計画を採択した。行動計画は、2020年までのCO2排出削減目標(90年比)をEU域内で20%、先進国で30%に設定するとともに、EU域内の個別具体策として、(1)再生可能エネルギーの利用割合の拡大(現在の8%強から2020年までに20%に拡大)、(2)バイオマス燃料の普及(輸送燃料の10%に拡大)、(3)EU発着航空機にCO2排出上限枠の設定(2011年から現状の平均値に抑制)、(4)自動車メーカーへのCO2排出規制の義務化(2012年までに排出量を1キロ走行当たり130グラムに抑制)、(5)エネルギー利用の効率化(オフィスや輸送の省エネでエネルギー消費量を20%削減)、などを打ち出している。
<キャップ&トレード方式の排出権取引制度を導入>
EUのエネルギー政策は、上述の行動計画に先立ってすでに2000年ごろから政策文書であるグリーンペーパーなどでその取り組みについて議論されているが、EUが地球温暖化ガス削減の切り札として導入したのが、2005年1月に運用を開始した排出権取引制度(EUETS)である。
EUの排出権取引制度は、企業による二酸化炭素排出に上限(Cap)を設定し、排出者にEU排出枠(EU排出許可証、EUAllowance)とよばれる売買可能なクレジットを割り当てるものである。具体的には、加盟国政府はEUによって割り当てられた国別の排出枠を、欧州委員会の承認を受けた国家割り当て計画により、個別企業に割り当てる。割り当てを受けた個別企業は年間を通じて排出枠以上の削減(排出枠内での排出)に成功した場合、余剰分を排出権市場で売却することができ、逆に排出量が排出枠を上回った企業は排出量を枠内におさめるために排出権を排出権市場で購入するという制度(キャップ&トレード;排出上限の割り当てと売買)である。いわば、経済社会において二酸化炭素の排出を制限することで、人為的につくりだした炭素の希少性を価格シグナルとして企業に伝えることを狙いとした制度であり、企業による二酸化炭素排出量の削減効果が期待できるとともに、コスト効率的な二酸化炭素削減技術を持たない企業にとっては、高度な削減技術をもつ企業の余剰分を排出権市場で購入することで、結果として、自社で削減するよりも削減コストを低く抑えることができるという効果も期待されている。
同制度は2つの取引期間(第1期間;2005〜07年、第2期間;08〜12年)が設定されている。第1期間の対象企業(対象発生源)は発電所、石油精製、鉄鋼、金属、セメントなど約1万1,400企業で、同期間の排出枠割当量は全体で65億7,200万トンとなっている。そして対象ガスについては、第1期間は二酸化炭素(CO2)に限定し、同期間のEU加盟国における二酸化炭素排出量の約50%、温室効果ガス全体の約40%をカバーするよう制度設計されている。
表1 EU加盟国の排出権取引制度対象施設と二酸化炭素削減割り当て
国 | 施設数 | 京都議定書削減目標(変化率%) | 二酸化炭素排出枠割当 2005~07年合計(100万トン) | 年間平均二酸化炭素排出枠割当 2005~07年(トン) |
オーストリア | 205 | -13* | 99.0 | 32,674,905 |
ベルギー | 363 | -7.5* | 188.8 | 59,853,575 |
チェコ共和国 | 435 | -8.0 | 292.8 | 96,907,832 |
キプロス | 13 | 上限なし | 16.98 | n/a |
デンマーク | 378 | -21* | 100.5 | 31,039,618 |
エストニア | 43 | -8.0 | 56.85 | 18,763,471 |
フィンランド | 535 | 0* | 136.5 | 44,857,032 |
フランス | 1,172 | 0* | 469.5 | 150,500,685 |
ドイツ | 1,849 | -21* | 1497.0 | 495,073,574 |
ギリシア | 141 | 25.0 | 223.2 | 71,135,034 |
ハンガリー | 261 | -6.0 | 93.8 | 30,236,166 |
アイルランド | 143 | +13* | 67.0 | 19,238,190 |
イタリア | 1,240 | -6.5* | 697.5 | 207,518,860 |
ラトビア | 95 | -8.0 | 13.7 | 4,054,431 |
リトアニア | 93 | -8.0 | 36.8 | 11,468,181 |
ルクセンブルク | 19 | -28* | 10.07 | n/a |
マルタ | 2 | 上限なし | 8.83 | n/a |
オランダ | 333 | -6* | 285.9 | 86,439,031 |
ポーランド | 1,166 | -6.0 | 717.3 | n/a |
ポルトガル | 239 | 27.0 | 114.5 | 36,898,516 |
スロバキア | 209 | -8.0 | 91.5 | 30,363,848 |
スロベニア | 98 | -8.0 | 26.3 | 8,691,990 |
スペイン | 819 | 15.0 | 523.3 | 162,111,391 |
スウェーデン | 499 | +4* | 68.7 | 22,530,831 |
イギリス | 1,078 | -12.5* | 736.0 | 209,387,854 |
合計 | 11,428 | 6572.3 |
(出所)“EU action against Climate Change”European Union 2005.
<2013年以降、オークション方式の導入を提案>
一方、EUは今年3月14日に開いた首脳会議で、欧州委員会が提案していた京都議定書以降の取り組みを定めた「包括的な温暖化対策」について基本合意した。「包括的な温暖化対策」は、冒頭で述べたEU独自の数値目標を確認するするとともに具体的な取り組みを提案したものであるが、排出権取引制度については、第2期間の終わる2012年以降の第3期間(2013〜20年)をにらんだ同制度の改革案が盛り込まれている。
改革案の最大の目玉は、「オークション方式を初期配分のベースとする」という考え方を打ち出したことである。これは排出量が多い企業ほど大量の排出枠を無償で確保できる現行方式では、省エネ努力が反映されにくいという指摘に応えたもので、オークション方式であれば省エネが進んだ企業は排出枠の購入が少なくて済むという利点がある。
欧州委員会の資料によれば、新方式では、現行の27の国別排出枠(nationalcap)に代わってEU全体をカバーする単一の排出枠(asingleEU-widecap)が設定され、この単一の排出枠が完全に調整されたルール(fullyharmonizedrules)に基づき加盟国に配分され、各加盟国が排出枠のオークションを実施することになる。オークションによる排出枠の売却収入は加盟国の収入となり、加盟国は再生可能エネルギー関連の技術革新や第二世代のバイオ燃料技術の開発、二酸化炭素の捕捉と地中貯留技術の開発といった環境関連技術の研究開発に資金を有効活用することが可能になる。
二酸化炭素を強制的に削減する政策手段の代表的なものとしては、排出される二酸化炭素に対して課税する炭素税(環境税)とEUが実施しているような排出権取引制度があるとされているが、この2つには一長一短がある。炭素税の場合は、税収が生まれるため、それを前述のような技術革新の財源として活用できる半面、いったん税率が定められると税率の迅速な変更が難しく炭素の希少性が反映されにくいという硬直性がある。一方、EUの排出権取引制度(現行)の場合は、市場と連動した二酸化炭素の削減を期待できるが、排出枠を企業に無償で配分するため、炭素税のように税収が生じない。したがって、環境技術関連の研究開発などで必要となる資金は別途手立てする必要が生じてくる。
今回の「包括的な温暖化対策」に盛り込まれた改革案は、こうした現行のEU排出権取引制度の持つ弱点(炭素税と比較しての)をオークション方式を導入することで補おうとするものであるということもできる。
そのほか、改革案には、次のような点も盛り込まれている。
- 第2期間内の2011年または12年に航空を対象業種に加える。
- 第3期間の対象業種としてアルミニウム、アンモニアなどを加える。それに伴い第3期間にはその他の温暖化ガス(パーフルオロカーボン類=PFCなど)を対象に含める。
- 小規模企業が排出権取引制度と同等の削減措置を講じている場合は、加盟国はその小規模企業を同制度の対象から外すことができる。
- 初年度の2013年におけるEU全体の排出枠を19億7,400万トンとし、以降、排出枠を毎年1.74%ずつ縮小して、2020年の排出枠を17億2,000万トンとする(2013〜20年の年間平均排出枠は18億4,600万トン)。(表2)
- オークション方式による排出枠の割り当ては2013年には全体の排出枠の約60%(残りは従来どおり排出枠を無償で割り当て)とし、その割合を段階的に引き上げて20年までに同方式への切り換えを完了する。
- オークション分の排出枠の一部は、1人当たり所得の低い国における環境技術関連投資のための財源を確保するために、1人当たり所得の高い国から低い国に再配分される。
- 無償割り当て分の運用規則を新たに設ける。
表2 EUの二酸化炭素(CO2)年間排出枠(2013~20) (単位;100万トン)
2013 | 1,974 |
2014 | 1,937 |
2015 | 1,901 |
2016 | 1,865 |
2017 | 1,829 |
2018 | 1,792 |
2019 | 1,756 |
2020 | 1,720 |
上記の「包括的な温暖化対策」が実施されると、EU企業は年間600億ユーロ(約9兆9,000億円)の大きな負担を迫られることになるものと見られているが、実際に対策が実施された場合には、EU企業が膨大なコスト負担を避けるために、規制が厳しくない米国や中国など第三国に生産拠点を移す動きが出てくることも予想され、特に、鉄鋼やセメント、紙など二酸化炭素排出量の多い業種で域内産業の空洞化が進むことが懸念されている。また、厳しい削減策をとらない国からの製品がEU市場に流入した場合にはEUの産業に影響を与え、雇用にも大きな影響を及ぼす恐れがある。このため、EUは3月の首脳会議における議長総括で「十分な温暖化対策を取らない国には適切な措置を検討する必要がある」と明記し、温暖化対策を取らない国からの輸入に対して規制措置を導入するなどの構えを見せている。
なお、上記の「包括的な温暖化対策」に盛り込まれた提案を実現するためには、2003年の「EUの排出権取引市場創設に関する指令」(2003/87/EC)(指令2004/101/ECにより修正)を修正する必要がある。同指令の修正は欧州理事会と欧州議会の共同決定手続きの対象となっているが、欧州委員会では2009年までに同指令修正を採択に持ち込みたいとしている。
以上のようにEUは、ポスト京都議定書の地球温暖化枠組み交渉を見据えて独自の温暖化対策を着々と進めており、今後の枠組み交渉においてリーダーシップをとる構えである。
日本では、これまで温暖化対策の一環としての排出権取引制度の導入ついての議論が遅れていたが、今年7月に開催される洞爺湖サミットを控えてようやく導入の是非、導入する場合の制度設計などの議論が高まってきたように見える。しかし、EUなどと比べて日本の温暖化ガス削減の取り組みの立ち遅れは否めない。地球温暖化ガス削減のための制度構築などエネルギー政策で日本がEUから学ぶべき点は多いが、日本がEUから一番学ぶべき点は、高い政策立案能力もさることながら、政策立案の過程や政策の実現に向けて具体策を作る過程において、意見の異なる加盟国や産業界の声をまとめあげていく粘り強い調整プロセスにあるといえるかもしれない。日本がサミットの場で、環境問題でリーダーシップを発揮するためにも早急な具体策の策定が求められている。
フラッシュ一覧に戻る