一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2001/09/28 No.16テロ対策にみる米通商政策の位置付け

木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹

 振り上げた拳は、その収めどころが最も難しい。

 昔、少年時代を思い出す。不始末をしでかした私を父が叱る。私は意地になり、謝罪を拒む。父は私に「反省するまで外にいろ」といって、玄関の戸を閉める。1時間、2時間・・・秋の夕暮れが忍び寄る。

 だが、私は平気だった。この懲罰を解除したいと思っているのは誰よりも父であることを知っていたからだ。父が求めているのは懲罰解除のための大義名分なのだ。すると、頃合いをみて、母が「もう決してあんな事はしないように本人に言い聞かせます」といって父をとりなす。母のとりなしの言葉は父にとって懲罰解除の大義名分となる。そうして私は夕餉の香りに満たされた家に戻るのだった。

このほど米側が打ち出したインドとパキスタンに対する経済制裁の解除には、国益擁護という理由はあるが、普遍的な大義名分が希薄であるように思われてならない。

対印パ制裁を解除

 同時多発テロはブッシュ政権の通商政策にいかなるインパクトを及ぼすか。同時多発テロと米国の通商政策との関係は如何?——こうした問題設定自体、意外に思われるかもしれない。だが、今回のテロ対策に伴う米国の行動は、ブッシュ政権の経済・通商政策展開の基本原理を占う上でも、いくつかのヒントを与えてくれる。その一例がこのほど米側が打ち出したインドとパキスタンに対する経済制裁の解除である。

 米国の対印パ経済制裁は1998年5月に両国が地下核実験を行なったことに対して、当時のクリントン政権が導入したもの。

制裁解除は対米協力への「見返り」

 キューバやイラクに対する措置からもわかるように、経済制裁は安全保障や人権擁護を目的に米国がしばしば用いる外交上の「武器」でもある。

 今回、米国が対印パ経済制裁を解除するに至った直接の動機は対タリバン攻撃でパキスタンが対米協力を約したことにある。つまり制裁解除は対米協力への「見返り」なのである。これを打ち出した米国の説明も「対インドとパキスタンに制裁を続けることは米国の国益にそぐわない」(ブッシュ大統領)というもの。あまりにも明快、かつ逡巡なく国益擁護を理由として挙げている。クリントンが対印パ制裁に踏み切った時には一応、核拡散の回避という大義を掲げていた。

国益を至上価値として

 安全保障上の必要があれば、それまでの経済・通商政策を変えるのに躊躇しない。対印パ制裁の解除ほど、「安保の下位概念としての通商」、「通商の上位概念としての安保」をこれ以上分かりやすい形で示す例は少ない。だが、対印パ制裁の解除が示しているのはそれだけではない。この事例が真に意味するのは、国益こそがブッシュ政権にとっての至上価値だということである。したがって、通商と安保いずれを優先するかは常に国益に照らして、国益を最高の判断基準として決定されると見たほうが良い。

 そのように考えると、米ロ間ABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約、CTBT(包括的核実験禁止条約)、生物兵器禁止条約、京都議定書からの離脱宣言、——など、対外的取り決めや国際協定に対する米国の一方的・独断的姿勢がこのところ目立つが、これも自国の国益最重要視姿勢の現れであろう。

裸形の国益至上主義

 対印パ制裁継続は米国の国益にそぐわない——ブッシュの言葉に衒いのない裸形の国益至上主義をみることはそう難しくない。

 国益を無視した外交は、土台、ありえない。ただ、ブッシュ政権の場合、その度合いが大きいように思われる。それにしても、「国益」というような個別的、没価値的概念が果たして覇権国の「理念」と呼ぶに値するものたり得るのかという疑問は、個人的には払拭できないでいるのだが・・・。

 ここで、改めて孤立主義およびブッシュ政権にとっての国益の持つ特別な意味について、整理しておく必要がある。その秘密をとくカギの一つは、前々代の父ブッシュ政権の栄光と挫折の歴史にあるように思われる。これについては近く報告の予定。

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