2013/09/10 No.173上海自由貿易試験区、始動す〜TPP加盟を見据えた国家戦略的措置か〜
江原由規
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
TPPを睨んだ対応ともいわれる上海自由貿易試験区(以下、上海自貿区)が、国務院の認可を得ていよいよ本格始動しようとしている。目下中国では、TPP加盟は「第二次WTO加盟(2001年12月)」と例える識者が少なくない。上海自貿区設立の意義について、中国側の資料や識者の見解から紹介する。
○識者のみる上海自由貿易試験区TPPとの関係
まず、上海自貿区とTPPとの関係につき、2人の識者の見方を紹介しておきたい。
王志楽・商務部研究院研究員・新世紀多国籍企業研究所所長:
「上海自貿区はTPPにより近づいた。中国はアジア太平洋地区との経済と貿易の外に身を置くことはできない。中国の新政権はTPP加盟に強い関心をもっている。しかしながら、TPPの開放基準と要求は極めて高く、全国範囲の全面開放が求められる。中国は短期間にこうした標準を完全に達成することはできない。さらに、金融業の開放が求められる。この点、国内金融機関の反対に会う。したがって、上海自貿区は「小歩快走」(小刻みに速く歩く)方式を選ぶのが良い。まず、「外資審批」(外資に対する審査許可)のやり方を改め、未雨??(転ばぬ先の杖とすること、事前に準備を整えること)がよい。大きな期待を寄せられている上海自貿区での外資審批制の改革の成果を見つつ、それによって、“TPPの基準にどれだけ近づいたか、その距離を図りつつ対応する”のがよい」と発言している(毎日経済新聞2013年8月28日)。
さらに、陳波・上海財経大学国際貿易学部・上海自由貿易区研究センター副主任も「上海自貿区はいつの日かTPPに加盟するための準備となる」との見解にある。
○中国の改革開放路線が第二ステージ
上海自貿区の設立が認可された今年から35年前の1978年12月、中国は改革開放路線を採択、国家運営をそれまでの政治重視から経済優先へと面舵を切った。その際、対外開放(主に外資導入拠点)の第一拠点となったのが1979年に設置された「深?経済特区」であった。「特区」とは、国家から企業所得税の減免税などの優遇措置を付与された経済活動(主に、外資導入)の特殊拠点であった。その後、中国では、「特区」を含め、こうした特殊拠点(注1)が、規模(国家級、省級、市級など)と優遇条件は一律ではないものの、雨後の筍のごとく沿海地域から内陸部へと全国津々浦々に拡大してきている。上海自貿区はその最先端に位置するといえる。
上海自貿区の総面積は28.78平方kmで、ここには、すでにある上海市外高橋保税区、外高橋保税物流区、洋山保税港区、上海浦東空港総合保税区といった4カ所の税関特殊監督管理区域が含まれている。
自貿区設立の経緯
2005年 | 上海、深圳、天津などが国務院に対し保税区を自由貿易区(パーク)に格上げすべしと建議、これを受け、国家発展改革委員会、国務院発展研究センターが、これらの都市における自貿区設置に関わる調査研究に入る |
2011年11月 | 上海が正式に自由貿易園区建設の意向を対外発表 |
2013年3月末 | 李克強総理が上海視察で高橋保税区を考察した折、上海が現有の総合保税区を基礎とし自由貿易試験区の設立にかかわる研究を行うことを奨励すると明言 |
2013年5月14日 | 上海自由貿易区構想につき国の了承を得る |
2013年6月 | 上海市、自由貿易区総合法案を修正後、中央関係各部委に上程 |
2013年7月3日 | 国務院常務会議で「中国(上海)自由貿易試験区総合法案」を原則可決 |
○上海が選ばれた理由
自由貿易試験区の設置には、上海のほか天津市や広東省なども意欲的な姿勢を見せていた。2010年以来、上海は国際金融センター、国際貿易センター、国際水上輸送センター、国際物流センターとして認定されており、中国の経済、金融、貿易、水上輸送をリードする拠点であった。このことが、自貿区が上海に設置されることになった最大の理由とされている。「試験区」となっているのは、将来、上海自貿区の経験を全国に拡大しようとの含意がある。すでに、上海自貿区は二期、三期の建設が期待されており、当面、長江デルタ地域、例えば、周辺の寧波北倉港、無錫等工業園区などを含めた広範囲な自貿区を誕生させる計画にある。因みに、長江沿岸の内陸最大都市の重慶は自貿区の設置に名乗りを上げているという。
○上海自貿区の特徴(貿易利便化,金融自由化,サービス貿易・投資管理の開放)
上海自由貿易区では、人民元の資本項目での兌換自由化、サービス業における開放拡大、ゼロ関税を含めたより対外開放度の高い優遇税制などの政策が試行されることになる。
人民元の自由兌換・資本市場の一層の対外開放
①上海自区内の企業が海外に商品輸出する場合、人民元建て決済の選択が可能
②中国企業が海外から商品輸入する場合、人民元により直接支払うことが可能
③将来的には、企業、法人は人民元の自由兌換が可能。
④海外資本の中国資本市場への投資額の上限、および投資家の市場参入に係わる規制が段階的に緩和
⑤海外資本による債券市場、株式市場、先物取引市場など、より幅広い中国資本市場への投資が可能、同時に、これらの資本の撤退に係わる規制がなくなる。
通関の利便化と経済活動の自由化
⑥輸入商品に対しゼロ関税を適用
⑦通関制度の自由化・簡略化(審批制の終結):現行の通関制度では、申請を済ませてから区入りしなければならないが、上海自貿区の場合、区入りしてから積荷目録などの申請を行うことが可能
⑧貿易活動、人員および貨物の出入り、通貨流通の自由を享受することが可能。
⑨「ネガティブリスト」方式の模索:リストに記載されていない経済活動については法律で禁止されない。
*ネガティブリストにリストアップされてない上海自貿区内の外資企業には現行の外資3法(外資企業法、中外合資経営企業法、中外合作経営企業法)の実施を3年間暫時停止する(税制面などで優遇措置の拡大を図るための措置)。
⑩サービス産業の対外開放の拡大:WTO加盟時対外開放を約束したサービス分野は100余業種とされるが、付帯条件の伴わない完全開放は20余業種であり、対外開放の余地が大きく残されている。
総じて、WTO加盟では貨物とサービス分野の部分対外開放が中心であったのに対し、上海自貿区は、①投資と金融分野での一層の対外開放に重点が置かれている。②対外開放幅が全方位的になっている、さらに、③こうした新たな対外開放に沿って関連法規や管理体制が調整されている、といえよう。
上海自貿区が今後実施する9つの改革
(中国証券報2013年8月27日より) |
○上海自貿区の意義
前述の、「上海自貿区はいつの日かTPPに加盟するための準備となる」との、陳波・上海自由貿易区研究センター副主任の発言は時間の推移とともに、現実味をもってくるとみられる。
中国経済を大きく変えてきた改革開放から今年で35年、鄧小平の南巡講話、社会主義市場経済の構築から20年、そして、WTO加盟から10年が過ぎた。就任早々の李克強国務院総理は、「中国経済のバージョンアップ」を標榜しているが、上海自貿区はその目玉になると指摘する識者は少なくない。
現在、世界経済はFTAに代表される地域経済連携の時代に入っている。ACFTA、日中韓FTA、RCEP、SCO(上海協力機構)、そして、TPPなど、中国を取り巻く経済交流・通商関係は実に多様・流動的である。
このうち、中国が足場をもっていないのはTPPだけである。今後、アジア太平洋地区とのバージョンアップした経済関係の構築を模索する中国にとって、TPPの行方は、この地区における、ますます座視できない大きな潮流になるに違いない。中国がTPPに「近づく」のか、一定の「距離を保つ」のか、今後TPPの推移を注視するする必要があるが、「近づく」と見たい。
李克強国務院総理の任期は通常10年である。WTO加盟から10年間の中国経済の発展と変化の大きさに目を向けた時、上海自貿区がTPP加盟への布石となったと分析できる日が来るかもしれないと見るほうが、「来ない」とするより説得力があるといえよう。
注1代表的なものは、5つ経済特区、5つの新区、主に沿海主要都市に設置されている経済技術開発区、各種開放都市群、ハイテク産業開発区、観光リゾート区、辺境経済合作区など。
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