一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2001/10/16 No.19テロは米経済の流れを変える分水嶺か(その1)
—レーガノミックス、負の連鎖出現の恐れも—

木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、

久しくとゞまりたるためしなし。(方丈記)

川が上流に逆流

 海に向かって流れていた川がある時点を境に突如、流れが反転、下流から上流に向かっていく——かつて旅の途中でそんな光景を目にしたことがある。カナダの大西洋に面するファンディ湾に流れ込むセントジョン川は1日に2回流れが逆転する。人はこの逆流現象をリバーシング・フォールズ(逆流する滝)と呼ぶ。

 ファンディ湾の干満差は世界1大きい。15〜16メートルという干満差はただ事ではない。日本最大の干満差を誇る有明海の6メートルを子ども扱いにする。リバーシング・フォールズは潮の満ち引きに由来する自然現象にすぎない。地元のガイドはそう解説してくれた。だが、逆流の先端が水壁となって津波のように上流に向かう様はそんな科学的説明を忘れさせる。それほど圧巻であった。

 それまでの流れが何かをきっかけに突如、逆流する。そういうことは人の世にもある、世界を震撼させた同時多発テロも、これまでの流れを変える出来事として記憶されるかもしれない。冷戦終焉がもたらしたのがいわゆる「平和の配当」。国防費削減が財政収支の好転を招き、軍事技術の民間移転が企業の活性化を将来したというのが平和の配当の生成プロセス。同時多発テロは、こうした米経済に恩恵をもたらすプロセスを蝕むばかりか、この過程を逆転させる契機となる可能性すらある。同時多発テロが流れを変える分岐点となるかもしれぬと述べた所以である。

 同時多発テロが内包するベクトルの逆転効果に注目すれば、後世の史家は今日の米国経済を「多発テロ以前」と「多発テロ以後」に二分して叙述するかもしれない。

「平和の配当」の生みの親

 「平和の配当」とは、その沿革をたどれば、レーガノミックスがその生みの親である。

レーガノミックスとは80年代の双子の赤字対策として打ち出された米国再生のための経済政策。その骨格を一言でいえば「小さな政府」と「強いアメリカ」の同時追求だ。

 「小さな政府」実現のための具体策として、(1)歳出削減、(2)大幅減税、(3)規制緩和を打ち出す。また、「強いアメリカ」実現のスローガンの下、国防費は増強された。

 レーガノミックスを特徴付けるキーワードを列挙すれば、小さな政府、減税、デレギュレーション、国防費増強——などである。レーガン政権発足直後の81年2月に打ち出した米国経済再生計画は、(1)歳出削減、(2)大幅減税、(3)規制緩和、(4)安定的な金融政策——の4本柱から成る。歳出入の削減により政府の規模を縮小し、諸規制の緩和により政府の役割を限定する、これらを通じて企業の活力を促し、産業競争力を高める一方で、ソ連との対抗上、国防費を拡大する——というのがレーガノミックスの描く米国再生のためのシナリオであった。 国防費だけは歳出カットの例外扱いとされた。それがレーガン時代、とりわけ第一期目には歳出削減が実現されず、財政赤字が急増した直接の原因となる。

「鬼子」だったはずの国防費が・・・

 だが、事態は皮肉な形で進展した。財政収支改善のための有力手段たる歳出削減の例外扱いとされた国防費。いわばレーガノミックスの鬼子だったはずの国防費の拡大こそが、結果的には、歳出削減、小さな政府の実現、財政赤字問題の解消、及びそれにより減税の可能化というレーガノミックスが掲げた政策目標を、その後の政権下で実現させる大きな遠因となったのだ。 それは歳出、歳入両面で展開された。まず、歳出面で、この間の経緯を順を追って叙述すれば、以下のとおり。

 ①レーガン政権下での対ソ連対抗のための軍事費増強

 ②軍拡競争に耐えきれなくなったソ連が崩壊

 ③東西対決という冷戦構造の終焉

 ④ポスト冷戦時代の到来により軍縮の環境醸成

 ⑤国防費削減、およびその結果としての歳出全体の削減

 ⑥「小さな政府」の実現

 ⑦財政赤字の縮小

 ⑧財政収支の黒字転換

 ⑨ブッシュ現政権下での減税財源の確保

 レーガノミックスがその本領を発揮するに至る契機となったのは冷戦の終結以降であった。冷戦の終結は、米国の国防費削減を可能にした。そしてこの冷戦終結をもたらしたのはソ連の崩壊であるが、レーガン政権の軍事費増強がソ連崩壊を早めたことは否定できない。

軍民転換により歳入増

 次に、歳入面ではどうか。軍縮は単に国防費削減をもたらしただけでは決してない。歳入分野でも、いわゆる軍民転換効果を通じてプラス効果をもたらした。上記④の軍縮の環境醸成から⑦の財政赤字の縮小に至るプロセスを歳入面から描けば、次のようになる。

 ④ポスト冷戦時代の到来により軍縮の環境醸成

 ⑤軍事分野での技術、人的資源の民間移転の推進

 ⑥新規ビジネスの拡大(規制緩和がこれを後押し)

 ⑦生産性の向上(ニューエコノミーの出現)

 ⑧企業収益増加

 ⑨歳入増

 ⑩財政赤字の縮小(主因は歳入増)

 こうしてみると、レーガン大統領の軍拡路線の産物ともいえる冷戦構造の解体が、歳出入両面から財政収支改善に寄与したことが分かる。中でも、財政収支改善の寄与度が大きかったのは歳入増であった。テクノロジーとの技術者の軍から民間への移転、リストラ等を通じての民間企業の体質強化努力が、冷戦後のグローバリズムの進展という時代の流れのなかで、IT産業の隆盛や生産性向上として結実した。これが、クリントン時代に花開いたニューエコノミーの実相である。また、財政収支改善はブッシュ現政権下での減税財源を提供するに至った。

テロの衝撃——逆流する平和の配当

 今回のテロはこうした冷戦後の「平和の配当」の流れを逆行させる方向で働く。第1の理由はテロは安全保障分野への支出増を促すからだ。安全保障経費や国防費の増強は財政収支に直接的に悪影響を及ぼす。議会はすでにテロ対策で大幅予算増を認可済み。実際、テロ事件後に下院通過した主なテロ関連法案としては、軍事施設歳出法案、国防歳出法案、航空安全法案、テロ被害者救済法案など。いずれも超党派ベースで採択されている。 こうして安全保障経費の聖域化を背景に、上述の歳出面でのレーガノミックスの流れの中で、「国防費削減」以降のプロセスは、以下のように文字通り180度転換しよう。

「国防費削減、およびその結果としての歳出全体の削減」→「国防費増強、およびその結果としての歳出全体の拡大」

「小さな政府の実現」→「大きな政府への回帰」

「財政赤字の縮小」→「財政赤字の拡大」

「財政収支の黒字転換」→「財政黒字の縮小、収支均衡もしくは赤字転換」

「ブッシュ現政権下での減税財源の確保」→「ブッシュ現政権下での財源の消費」

 安全保障分野への支出増は財政のみならず、企業活動にもネガティブな影響を及ぼす。また、軍民転換効果を通じてのプラス効果もこれまでのようには期待できないかもしれない。この辺の見通しについては本稿記事(その2)として、明17日報告予定。

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