2014/08/28 No.204政権発足後の初の外遊先に日本を選んだインドのモディ首相~独立記念日に「強いインド」の復活を国民に訴える~
山崎恭平
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
2014年4月から5月にかけて行われたインドの第16回総選挙は、18歳以上の選挙民が8億3,400万人、投票者5億5,400万人、投票率66%(史上最高率)、政党数464、立候補者1万3,000人、投票所数93万5,000といったように、世界最大の民主主義選挙であった。結果は、BJP(インド人民党)が大方の予想を上回る圧勝で30年振りの単独過半数議席を獲得し、2期10年続いた国民会議派連立政権(UPA)に替わって政権を担うことになった。最近のインド経済の低迷や連立政権の「決められない政治」と腐敗ゆえに統治能力を失った前政権に対して、前回総選挙時よりも1億人以上増えた若年投票者を中心に多くの国民が政権交代を選択したものである(注1)。
ナレンドラ・モディ首相率いるBJP政権には、1947年の独立時、1991年の経済自由化に次ぐ3番目の改革が期待されている。モディ政権は5月下旬の組閣を経て、7月には予算案を編成し動き出した。政権発足直後間もなくで政策運営の重点や具体策はまだ見えにくいものの、先般の独立記念日における恒例の首相スピーチから政策の重点に着目し、2014年度予算では主な特徴と9月初めの首相訪日の意義について概観して見たい。
独立記念日に「トップ公僕」が語り掛ける
モディ首相は西部のグジャラート州首相として改革や成長に実績を上げてきたが、国政は初めてでその点が危惧されていた。そのためか、スピーチでもデリーは初めてであるけれど、これからはプライム・ミニスター(首相)としてではなくプライム・サーバント(トップの公僕)として職務に就き、みんなが日に12時間働けば自分は13時間働く、14時間働くなら15時働くといった比喩でインドのために尽くす意向を、国民に訴えた。
8月15日はインドの独立記念日で、例年首相が栄光の遺跡であるレッド・フォート(赤い砂岩の城)から国民にスピーチを行う習わしである。今年は68期目の独立記念日に当たり、政権交代から2か月余りになる新政権のモディ首相がスピーチを行った。同首相は従来のいわゆる名門出ではなく低カースト(注2)から身を起こし、独立後に生まれた異色の首相であるが、演台では防弾ガラスを使わず原稿に頼ることなく、約65分にわたってインドの課題を具体的に語り国民に努力や協力を求めたと現地紙は伝えている。日本のマスコミではほとんど伝えられなかったものの、スピーチには新首相の意気込みが感じられるので、現地紙の報道や首相府ウェブ(注3)で公表された原稿から、2~3注目して見たい。
国家計画委員会を廃止
スピーチの内容は多岐にわたるが、次の点が注目され印象に残った。
まず、BJPのマニフェスト前文にも述べられているかつてのインドの栄光について、これを思い起こし再び取り戻す呼び掛けである。すなわち、インドは、紀元前から世界の文明化に貢献し、18世紀まではその繁栄と交易、商業、文化ゆえに尊敬を集め、造船大国として世界中の市場に出入りしてきたといった栄光がある(注4)。これに対して、現在のインドはポテンシャルを活かしてはいないとして、過去の栄光を21世紀に取り戻すために経済成長を図り、これまで弱かった外交を強化して「強いインド」の復活を目指そうと国民に理解を求めた(注5)。これは、独立後初の首相となったネルー首相が国民に示した「インドの発見」を思い起させる呼び掛けに近いと感じた。
次に、ポテンシャルを活かし成長を図るためには、独立以来のインドの計画経済を推進してきた国家計画委員会はもはや有効でなくなったとして廃止されることになる。そして、「小さな政府で良きガバナンス」(Less Government More Governance)を図るべく、78人を数えた閣僚は46人に減らし、政府機関や役人にはきちっと働いてもらうべく規律の向上を図る。毎年1,300万人参入する若年労働者に職を確保し、恒常的な貿易赤字をなくすために、弱体の製造業の立て直しを図るとして、“Come , Make(Manufacture)in India”「インドに来て製造して欲しい」と呼び掛け、引き続き自由化や規制緩和を図り外資誘致に取り組む。加えて、ネックになっているインフラを整備し、労働者の技能向上を図り、ゼロ・ディフェクト運動を推進しゼロ・ディフェクト製品を生産したいなどと言及した。
カーストや宗教的な対立、争いを止め、近年頻発していた女性のレイプをなくそうとの呼び掛けも行われた。クリーンネス、清潔に心がけ(“Clean India”)、「寺院よりもトイレを」との標語の下に外で用を足すのをなくすために学校や家庭にトイレットの普及をめざす必要性にも言及した。トイレがないために女性が我慢するのは女性の尊厳にかかわるし、レイプをなくすのにも資するとして、従来公やけのスピーチでほとんど取り上げられなかった身近な問題提起が成された。そして、独立以来目指してきた貧困撲滅(ガルビー・ハターオウ)の課題に引き続き務めるとともに、これをインドだけでなくSAARC(南アジア地域協力連合)全体で取り組む呼び掛けが印象的で注目された。
SAARCは30年前に発足(本部はネパールの首都カトマンドゥ)、インドとパキスタン、バングラデシュのような戦火を交えた国やスリランカ、ネパール、ブータン、モリディブ、アフガニスタン(途中参加)といったLDCsの8ヵ国から成り、域内人口は15億人を超える世界最大の地域協力例である。しかし、南アジア大学の設立(2010年、ニューデリー)に代表される文化・学術交流では一定に成果があるものの、別表に見る通り経済協力のSAFTA(南アジア自由貿易協定)では、域内貿易比率はほとんど進展していない。外交関係については、外交は国境からはじまるとして、手薄であったこれまでの対外関係の強化に取り組む姿勢がうかがえる。5月26日の首相就任式にSAARCの首脳を初めて招待したのがその明確な意思を示したものと見られている。域内最強経済を誇るインドは、これまでSAARCやSAFTAの協力にイ二シアテイブを発揮することはあまりなかったので、今後SAARC内でどのような実効ある協力を推進するのか注目されよう。域内最強経済を誇るインドが今後SAARC内でどのような実効ある協力を推進するのか注目されよう(注6)。
2014年度予算で重点施策に配慮
モディ政権初の連邦予算案が前政権の案を修正する形で、7月に国会に提出された。公約を踏まえつつ、成長軌道に戻すために大胆ではないが重要施策を散りばめた堅実予算となった。予算の前提となる2013年度経済白書(エコノミック・サーベイ)によると、13年度の成長実績見通しは4.7%で、14年度は5.4~5.9%を見込み、16年度以降になってから7~8%の高成長を見込むとしている。この中で、歳入総額は前年度暫定値比18.6%増の12兆6,372億ルピーにとどまる見通しの中で、歳出総額は同じく12.9%増の17兆9,489億ルピーに圧縮し、財政赤字をGDP比4.1%(13年度4.5%実績推定)の5兆3,118億ルピーに縮小している。
歳出の中では、重点施策への配慮が成されるとともに、非計画支出(政府の管理的経費支出)の20%超となる補助金は前年度比2.0%増に抑えられて2兆6,066億ルピーとなった。一方、国防費は、歳出全体の伸びに近い増加で、2兆2,900億円と過去最大の予算となった。なお、財政赤字の圧縮は、GDP比で15年度には3.6%、16年度には3%に引き下げる目標である。
税制については、直接税、間接税ともに基本税率の変更はなく、懸案となっている新直接税法(DTC)や物品サービス税法(GST)(注7)は具体的な導入時期は示されず、後者については14年度内に今後の方針が示される予定である。特別経済区(SEZ)活性化のために必要な手段が講じられるほか、製造業振興策のひとつで投資誘致を加速させる投資控除制度が製造設備や機械に対して導入されるとの提案もあった。外資政策については、保険と防衛分野について外資出資上限の引き上げ(26%から49%へ)が行われる運びであるが、外資の関心が高い複数ブランドを扱う総合小売業の外資開放については言及がなかった。
インフラ整備についてはモディ政権の重点政策であり、①チェンナイ~バンガロール産業回廊(CBIC)、バンガロール~ムンバイ経済回廊(BMEC)など各地の産業・経済回廊の早期完成、②デリー~チェンナイ~ムンバイ~コルカタ4大都市を高速鉄道で結ぶ「ダイヤモンド四辺形高速鉄道」、ムンバイ~アーメダバード間高速旅客鉄道、デリー~アーグラ路線の準高速鉄道化、アーメダバード等におけるメトロ導入の早期実現、③大都市周辺に衛星都市として100のスマートシティを整備する、④農村部のブロードバンド整備、ITサービスの普及や政府のガバナンス改善のために全国でIT通信網を整備する「デジタル・インディア計画」が取り上げられている。
また、農業では、灌漑設備の整備、グジャラート州の農村都市化モデルの全国展開、農村への電力配備、農村起業家プログラムの実施があげられ、医療・公衆衛生では、全インド医科大学(AIIMS)の整備、農村部における医療設備の整備、マハトマ・ガンディ生誕150年に当たる2019年までに全世帯にトイレ配備を予定する。若者の雇用・教育関連では、若者の技能向上を図る「スキルインデイア」プログラムの実施、インド工科大学(IIT)やインド経営大学院(IIM)の増設が図られ、エネルギーではラジャスタン州、グジャラート州、タミル・ナドゥ州等における超大型太陽光発電プロジェクトや運河上のソ-ラー・パーク開発等の代替エネルギー計画の早期実現があげられている。
モディ首相の初外遊先は日本に
モディ首相は手薄であった外交を強化する方針であり、外務大臣には女性議員の有力者であるスシュマ・スワラージ氏を指名した。インドの女性外務大臣としては、かつてインディラ・ガンディ首相が兼任したことがあるが、専任では初の就任である。外交を強化する方針の中で、5月26日の首相就任式にはパキスタンのシャリフ首相以下SAARC加盟8カ国首脳全員を招聘し、関係改善の証として注目された。モディ首相自らはブータンとネパールを訪問しただけにとどまったが、8月30日から9月3日まで実質的に初めての外遊先として日本を訪れることになった。
日印両国は戦略的グローバル・パートナーとして緊密な関係にあり、訪日による成果が両国から期待されている。インドのマスコミは訪日決定を大きく報道し、経済界は首脳会談等の成果に大きな期待を寄せている。新政権が成長を志向し製造業強化やインフラ整備を重点とする方針の中で、この分野に強く世界的に評価の高い日本企業の誘致あるいは進出に関心が強い。1991年の自由化以降日本企業のインドへの直接投資は増えてきたが、進出企業数はようやく1,000社を超えたレベルである(注8)。日本側もようやくにしてASEANや中国等の東アジアからインドへの関心を強めており、日印包括的経済連携協定の締結(2011年)もあって、経済分野では今後お互いに有効な成果が期待されよう。すなわち、日本にとっては投資や販売先のビジネス機会が高まり経済的な利益が高まるし、インド側にとっても日本企業の進出で製造業の強化やインフラ・サービスの向上が図れる可能性が大きい。
日本の工業製品に対する製造技術はかねてからインドが注目しており、例えばインド自動車産業の強化に先駆けとなったスズキの現地生産に対する評価は内外のメーカーが参入している現在でも変わらない。また、日本初の円クレジットがインドの鉄鉱石開発に供与されて以来、日本のODAはインドの受け入れのトップレベルを維持しており、国民にも良く知られている。こういった関係がより強化されるのは日印双方が歓迎するけれども、原子力協定の締結と原子力発電プラントの輸出には問題が残るといえよう。
もう一つ期待されるのは日印両国の第3国協力の推進である。インド新政権はSAARCの協力強化や活性化を視野に入れていると考えられ、日本がASEAN等東アジアで展開してきた協力プロジェクトや知見は南アジアに活かせると思われる。私事ではあるが、かつてグリーンエイドという環境プロジェクトをインドで展開しようと調査団に参画した経験では、これからは両国が第3国で協力する方向が歓迎されると理解した。SAARCのようなアジアでの協力だけでなく、アフリカ支援等のプロジェクトでも有効ではないかと思われる。
また、モディ政権は原子力発電の協力を視野に入れており、日本側の安倍政権も協力やプラント輸出に意欲を示している。ただし、このテーマは核廃絶や査察義務の国際取り決めから微妙な問題を含んでいる。
日印首脳会談では、以上のような経済問題に加えて、アジア地域の安全保障問題が重要なテーマとなると見られる。特に、最近における中国の覇権主義や強硬路線の動きには、両国ともに大きな関心を持っており(注9)、どのような協議が行われるのか、国際的にも注目されるところである。
<注>
1. 選挙による政権交代は先進国では当たり前であるが、発展途上国のインドは独立以来普通選挙を行ない軍部の介入等一切なく政権交代を行ってきた。これは、インドの民主主義体制が成熟し機能しているあかしと国際的な評価が高く、この国の大きなソフト・パワーになると見られている。
2. これまでの首相はバラモン等の高位カースト出身者であったが、モディ首相はORC(その他留保カースト)といわれる低位カーストの出身。インドでは低位カースト出身者でも国家元首の大統領になっており、インドの民主主義が機能していることを示している。
3. 首相府のウェブサイトはhttp://pmindia.gov.in/
4. アンガス・マディソン他の長期世界経済統計の研究によると、産業革命以前の世界の実質GDPはインドと中国でほぼ半分を占めていたと推定されている。
5. マニフェストの冒頭では、Ek Bharat―Shreshtha Bharat(一つのインド、比類なきインド)、Sabka Saath , Sabka Vikas (みんなで ともに みんなの成長)との標語が記されている。
6. インドはSAARC及びSAFTA構成メンバーの最大の経済・貿易国であるが、1990年代のルック・イースト政策やASEANとの自由貿易協定によって、南アジアよりも東アジアとの貿易を拡大している。
7. 新税構想の背景には所得税納税者は人口の3%程度に過ぎない背景がある。
8. インドに進出した日本企業はようやく1,000社の大台を超えたが、中国への進出企業数は2万社を超えている。2013年度の往復貿易額は、中国とは31兆5,856億円であったのに対し、インドとは1兆5,268億円とまだかなり小さい。
9. インドと中国は経済的には戦略的互恵関係のパートナーであるが、永年の国境紛争を抱えているのに加えて、中国がインドの周辺国(ミヤンマー、ネパール、パキスタン、スリランカ等)に対して関係を深め、またインド洋ではインドを封じ込める「真珠の首飾り」作戦を展開するなどの動きをしているのに対して、インドは安全保障が脅かされる事態として警戒を強めている。
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