2015/02/13 No.220~統合25年後の東部ドイツ~
伊崎捷治
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
はじめに
1989年の壁崩壊は東ドイツの人々にとって自由と豊さへの門戸開放であった。人々は自由の到来に歓喜するとともに、西ドイツと同じ豊かさを求めて、「西ドイツマルクよ、来い。来なければこちらから行く」と書いたプラカートを掲げてデモ行進した 注1)。豊かな西ドイツと同じ賃金、同じ年金を期待し、1対1の東西マルクの交換を求めたのである。その間にも、毎日数千人が崩壊した壁を越えて西ドイツへ向かった。当時、西ドイツのコール首相は東ドイツ経済の混乱と崩壊の危機を前に、結局東ドイツに西ドイツマルクを導入する決定を下した。時期尚早と強く反対して、段階的統合を主張したペール連銀総裁も後になって、「もし1対1にしなかったら、東ドイツで暴動が起こっていただろう」と述懐している。注1)
ドイツは当初、東ドイツ経済の復興を急ぎ、当初は5年間で西ドイツ並みの水準に引き上げることを目標に特別措置を決定したが、期待ははずれ、さらに10年間の支援を実施し、最終的にはさらに15年間を加え、トータルで30年に及ぶ復興支援を続け、現在も進行中だ。しかし、1対1の通貨同盟が成立したことで、旧東ドイツの企業は西ドイツの製品に全く立ち打ちできず、ほとんどが閉鎖に追い込まれた。失業が急速に増加し、旧東ドイツから多くの若者が職と豊かさを求めて西部ドイツに流出するのを止めることもできなかった。東部ドイツの経済力は25年後の現在も西ドイツの水準を下まわっている。
30年間、2兆ユーロ及ぶ復興支援
ドイツ政府は統合後の東部ドイツの生活水準を5年間で西部ドイツ並みに引き上げることを目標に、西部ドイツ各州との協力により1,150億マルクのドイツ統一基金を設立した。これに基づく支援は東部各州の復興とともに逓減させていき、1995年以降は基本法に基づいて西ドイツで行われてきた州間財政調整の仕組みを東部各州にも適用し、豊かな州が貧しい州の財政を支援していく計画であった。しかし、統一基金は早くも設立3カ月後には増額を余儀なくされ、最終的には支援基金は1,607億マルクにまで引き上げられた。
しかし、結果は目標に遠く及ばず、1993年には州間財政調整制度に加えて、連邦が毎年206億マルクを東部各州に供与する「連帯協定」が結ばれ、1995年以降さらに10年間にわたって東部各州に対する財政支援が続けられることになった。
この連帯協定も所期の成果を挙げることができず、早くも2001年には連邦と各州の間で「連帯協定II」がまとめられた。金額は総額1,565億ユーロで、期間は2005年から2019年までの15年間に及ぶ長期計画となった。金額は毎年逓減していくが、支援策の期間が段階を追って長くなっていることは、旧東ドイツ経済の復興が如何に困難な事業であるか、年を追う毎に明らかになってきたことを示している。
東部ドイツの復興支援は結局30年に及ぶ大事業となったわけであるが、これまでの支援の額がどれほどになるか、明確な記録はなく、いくつかの研究機関による推計があるのみである。ifo研究所ドレスデン支部によると、東部ドイツの経済産業を振興し、経済成長を促すために投じられた財政資金は1991年から2014年までで合計5,600億ユーロに達する。
しかし、東部の復興に投入されたのはこうした財政資金だけではない。他にも、東西で統合された医療、失業、年金といった社会保険制度を通じて多額の資金が西から東へと流れた。それらを含む支援額についてはこれまでさまざまな試算が行われてきた。最も新しい数字は2014年5月にベルリン自由大学のクラウス・シュレーダー教授が発表したものである。それによると、2014年までに東部ドイツ復興のために投じられた費用は、東部ドイツが自ら負担した額を差し引いても約2兆ユーロ(約270兆円)という膨大な額に達するという。
ちなみに、統合時の西ドイツの人口は6,200万人、東ドイツは1,800万人で、比率は3.4:1であった。
格差の解消は道半ば
こうした支援のもとで市場経済化に移行した東部ドイツの経済は当初は建設業を中心に大きく盛り上がり、西部ドイツにも統合景気をもたらすほどであった。しかし、道路、建物、通信設備、環境施設などインフラの整備が一段落すると、成長力は急速に弱まり、経済力を西部ドイツの水準へ引き上げるという目標は現在に至っても達成されていない。
ドイツ政府の2014年版東西ドイツ統一年報によると、経済成長率が全ドイツの平均を大きく上回ったのは1996年までで、それまでは10%以上の成長を達成した年もあったが、1997年からは成長率がドイツ全体の平均と同程度の水準で推移するようになり、2005年以降は若干であるが下まわるようになっている。
人口1人あたりのGDPでみると、統合直後の9,531ユーロから2013年には2.6倍の2万5,129ユーロに拡大したが、西部ドイツ(3万5,391ユーロ)に対する比率は71%で、この比率は2005年あたりからあまり変わっていない。また、東部ドイツ5州の被雇用者1人あたりの賃金は統合直後の1991年の1万5,439ユーロから2013年には2倍以上の3万1,974ユーロに上昇したが、西部ドイツに対する比率は81.7%で、やはりこの10年ほどほとんど変わっていない。
牽引力弱い西部からの進出企業
東部ドイツには、イエナ(光学機器)、ケムニッツ(機械、自動車)、ツビッカウ(自動車)、ロイナ(化学品)、ドレスデン(半導体)といった戦前から旧東独時代を経て培われてきた人材や研究開発などの産業基盤がある。統合後は相対的に低い人件費や政府の投資奨励策を背景に西部ドイツや国外から各分野の主要企業が近代的な工場を新設してきた。代表的な企業は、フォルクスワーゲン、BMW、ポルシェ、AMD(現在はグローバルファウンドリーズ)、シーメンス(インフィネオン)、BASFなどがあり、19世紀以来のカール・ツァイスおよびショット・グラス社の再建で生まれたイェンオプティク(オプトエレクトロニクス)なども発展している。ほとんどが2000年前後にグリーンフィールドに新設された新鋭工場で、新たな投資も行われている。各分野では日本企業を含む部品メーカーや関連企業が多数進出して、大学や研究機関とも連携して近代的な産業クラスターを形成している。マックス・プランク、フラウンホファー、ライプニッツなどの公的な研究開発機関も約200カ所に設置され、集積の密度は西部ドイツよりも高い。このため、イノベーション力に対する期待は大きい。しかし、これらの産業はまだ東部ドイツの経済を牽引するほどにはなっておらず、州外からの企業誘致に最も成功しているザクセン州でも、1人あたりGDPは東部の他の州と比較してやや高い程度にとどまっているのが実情だ。
成長はばむ小規模経営中心の産業構造
東部ドイツ経済が西部ドイツに対する遅れをなかなか挽回できない大きな要因として、研究機関や政府が挙げるのは、東部ドイツを本拠として、補助金に頼ることなく、資金調達やイノベーション能力、国内外での販売力を備えた企業が育っておらず、全体としては産業構造が小規模・零細企業中心となっていることだ。ドイツ統合年報によると、2013年には製造業1社あたりの従業員数が西部の140人に対して、90人である。全産業に占める製造業の割合は17.3%でEUの平均に近いが、西部ドイツの23%を大きく下まわっており、このところは産業のサービス化の進展で、むしろ低下傾向にある。また、製造業の輸出比率は上昇しているが、西部ドイツの47.3%(2013年)に対して、33.4%にとどまっている。時間あたりの労働付加価値額も西部ドイツの73.4%である。西部ドイツとの生産力の差が縮まらないのはこのあたりにもあるといえよう。
また、人口流出の結果、人口密度が西部ドイツ(261人/平方キロ)の半分以下(116人/平方キロ)に低下しているのも不利な要素となっている。
こうした状況を急速に変えるのは難しいとみられ、調査・研究機関の間では、見通せるかぎり東部ドイツの経済を西部ドイツと同じ水準にまで引き上げるのは不可能との見方が支配的になっている。
インフラや生活環境は大幅に改善
一方で、旧東ドイツの計画経済体制が遺した負の遺産の大きさや、ヨーロッパの中でも最も着実な成長を達成してきたドイツにおいて西部と歩調を合わせてきたことを考えれば、東部ドイツ経済の支援は大きな成果をあげてきたという見方もできる。ちなみに、東部ドイツの1人あたりのGDP(ベルリンを含めて2万5,129ユーロ)は、イタリアとスペインの中間にある。国境を越えてポーランドやチェコなど東側の隣国に一歩足を踏み入れてみれば、東部ドイツに対する支援の成果がいかに大きかったか実感することができる。
統合以来、東部ドイツでは1,900kmに及ぶアウトバーンが新設ないし改修され、国道、街路あるいは鉄道や橋梁がドイツの規格に沿って整備され、荒廃した都市の中心部や住宅の改修が進んでいる。文化遺産の復旧が進み、郊外には近代的なショッピング・センターや工業団地が生まれ、荒れるに任されていた森や湖、川が甦り、環境が生き返っている。バルト海沿岸の保養地には新しいホテルやレストランが並び、夏は観光客でにぎわっている。
賃金が西部を下まわるとはいえ、年金給付額は特別加算もあって西部を上回っている。家賃を比べると、東部主要都市では西部主要都市の平均を約25%下まわっている。全般的な物価水準に関する公式統計はないが、ドイツ経済研究所(DIW)が過去のデータなどを基にして2013年に行った調査によれば、2006~2008年の平均で東部ドイツにおけるユーロの購買力は西部を約6%上回っている。インフラは西部ドイツを上回るほどに行き届き、家賃を中心とする生活費が少なくてすむことを考えれば、生活条件はGDPや賃金水準から想像されるよりもよいといえよう。
かつては18%に達していた失業率は西部ドイツを上回るテンポで減少し、2013年は10.3%にまで減少し、若年層の失業率も9.6%でヨーロッパの中では低い。失業率の低下は人口の流出によるところも少なくないが、近年はベルリンを含めると、西部からの流入が流出を上回るようになっている。
西部ドイツから東部の大学へ
西部からの人口流入の増加は西部ドイツから東部ドイツの大学に入学する学生の増加にも支えられている。東部ドイツでは統合後、大学や専科大学の再編・拡充が行われたが、人口の減少傾向もあって、西側の学生の勧誘に力を入れている。東部ドイツにおける2012年の大学進学者数は5万7,500人で1990年の2倍以上に増加した。この間に、在学生数は3倍となり、西部の46%増を大きく上回っている。2012/13年度の東部の大学入学者に占める西部ドイツ出身の学生の割合は36%を占め、中には西部ドイツ出身者が半分以上を占める大学もある。東部ドイツでは大学やアパートの建物が新しく、きれいで費用が安いのも人気だ。西部との間の人口の流出入が近年均衡してきているのは、こうした学生を含む若者の間で流出入が逆転してきたことにもよる。
ドイツでは教育は各州の管轄である。旧東独時代は数学や自然科学に重点が置かれ、教師の権威も高かったとされるが、現在もその伝統が生きており、算数および理科3科目におけるPISAの成績ではいずれも東部5州が上位をほぼ独占している。ザクセン州では大学入学資格取得者および専門工、職人など公認の職業資格保有者が95%と、ドイツの中でもトップクラスだ。教育は、将来を期待させる要素のひとつかも知れない。
なお険しい前途
東部ドイツに対する復興支援については、この数年経済面で目に見える成果が上がってこなかったこともあって、これまでにいくつもの機関がコストの観点から支援のために充てられた金額を推計して発表してきた。しかし、そのたびに西部に流出した有能な若者や研究者など200万人が西部で生み出した成果や西部の企業が東部であげた利益が考慮されていないといった異論がとくに東部ドイツの側から提起され、数字の発表自体が東西の対立意識を強める要因にもなってきたとの指摘もある。これに対して、壁崩壊25周年を迎えた昨年は、両ドイツと米、英、仏、ロの2プラス4協定でドイツの占領状態が終焉し、完全に主権を回復して始まったドイツ再統合に国民が一体として取り組んできたことを評価すべきだとの声も高まった。
東部ドイツ支援のための「連帯協定II」による支援はまだ続いているが、支援額は毎年減少し、2019年末でフェードアウトする。一方で、ルール地方など西部ドイツの中でも財政事情の苦しい自治体からは支援の重点が東部ドイツに集中していることに不満の声も上がっている。中には、東部ドイツでインフラなどに過剰な投資が行われているとの指摘もある。支援のために大きな負担を行ってきたバイエルンやヘッセンなど富める州の不満も増している。そうしたことからも、これまでのような特別な措置による支援は2019年で終了するとみられ、東部諸州は全ドイツの州間財政調整制度の範囲内で一定の支援を受けつつ、自らの財源を中心にして、基本法に定められた債務ブレーキに沿って財政を均衡させなければならなくなるとみられる。しかし、年金など社会保障ではなお連邦や西部ドイツの保険加入者に対する高い依存度は容易に解消せず、統合25年を経ても、東部ドイツの前途はなお険しいといえよう。
表 東西ドイツの主要経済指標比較 (1991年-2013年)
項 目 | 単位 | 西部ドイツ | 東部ドイツ | 東西比 | 東部ドイツ/全ドイツ | ||||
1991年
|
2013年
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1991年
|
2013年
|
1991年
|
2013年
|
1991年
|
2013年
| ||
居住人口 | 1,000人 | 61,914 | 65,787 | 18,071 | 16,288 | 22.6 | 19.8 | ||
就業者数 | 1,000人 | 30,233 | 34,247 | 8,479 | 7,594 | 21.9 | 18.2 | ||
被雇用者数 | 1,000人 | 27,142 | 30,651 | 8,006 | 6,707 | 22.8 | 18.0 | ||
失業者数 | 1,000人 | 1,594 | 2,080 | 1,023 | 870 | 39.1 | 29.5 | ||
GDP(名目) | 10億ユーロ | 1,362.4 | 2,328.0 | 172.2 | 409.3 | 11.1 | 15.0 | ||
人口1人あたりGDP(名目) | ユーロ | 22,004 | 35,391 | 9,531 | 25,129 | 43.3 | 71.0 | ||
就業者1人あたりGDP(名目) | ユーロ | 45,062 | 67,986 | 20,313 | 53,896 | 45.1 | 79.3 | ||
就業者1人時間あたりGDP(名目) | ユーロ | 37.62 | 48.48 | 26.40 | 35.59 | 70.2 | 73.4 | ||
就業者1人時間あたり総付加価値(名目) | ユーロ | 33.84 | 43.40 | 23.74 | 31.86 | 70.2 | 73.4 | ||
被雇用者賃金 | 10億ユーロ | 735.2 | 1,199.7 | 123.6 | 214.4 | 14.4 | 15.2 | ||
被雇用者1人あたり賃金 | ユーロ | 27,088 | 39,141 | 15,439 | 31,974 | 57.0 | 81.7 | ||
被雇用者1人時間あたり賃金 | ユーロ | 24.28 | 29.61 | 17.61 | 22.29 | 72.5 | 75.3 | ||
総賃金・給与額 | 10億ユーロ | 602.1 | 981.3 | 103.4 | 177.7 | 14.7 | 15.3 | ||
1人あたり総賃金・給与額 | ユーロ | 22,183 | 32,007 | 12,920 | 26,502 | 58.2 | 82.8 | ||
人口1人あたり総設備投資額 | ユーロ | 4,800 | 6,100 | 3,300 | 4,500 | 69.0 | 74.0 | ||
就業者1人あたり資本ストック | ユーロ | 241,000 | 352,000 | 100,000 | 314,000 | 47.0 | 89.0 | ||
人口1人あたり資本ストック | ユーロ | 105,000 | 181,000 | 47,000 | 145,000 | 45.0 | 80.0 |
注1) フランクフルター・アルゲマイネ紙 2010年6月30日付け
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