2016/01/12 No.261米国のTPP協定批准とTPP協定の発効(訂正版)
滝井光夫
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
桜美林大学 名誉教授
米国はいつTPP協定を批准するのか。これは、TPP協定の発効と密接に関係する。そこで、米国が2016年中および2017年初頭に、少しでもTPP協定を批准する可能性のある、いくつかの時点を挙げ、最も可能性の高い時期を検討してみた。先に結論を述べると、米国が2016年中およびオバマ大統領在任中にTPP協定を批准する(正確には実施法案を可決する)ことはまず不可能である。これに伴いTPPの発効は2017年1月下旬以降になると考えるのが妥当ではなかろうか。
1.協定発効の3段階
TPP協定の第30章(最終規定)第5節(発効)は、TPP協定の発効日を次の3段階に設定している。①協定署名後2年以内に全12ヵ国が協定を批准した場合は、12番目の国が批准した日から60日後、②協定署名後2年以内に全12ヵ国が批准せず、2013年の全12ヵ国のGDP合計の85%以上を占める6ヵ国以上の国が批准した場合は、2年が経過した日から60日後、③上記①および②により協定が発効しない場合は、全12ヵ国のGDP合計の85%以上を占める6ヵ国以上の国が批准した日から60日後。
つまり、協定署名から2年以内にTPPが発効するのは、全12ヵ国が2年以内に協定を批准した場合であり、2年以内に全12ヵ国が批准しない場合は、発効は早くても協定署名から2年プラス60日以降となる。また、2013年のTPP域内のGDP構成は米国が60.5%、日本が17.7%であるから、日米のどちらかが欠ければ85%以上という発効条件が満たされない。TPP発効には、日米両国の批准がTPP発効の絶対条件となる。
このため、全12ヵ国が迅速に国内手続を完了すれば、2016年中にTPP協定が発効することもあり得よう。
2.米国の2016年の選挙日程と議会日程
しかし、米国が2016年中に、迅速に国内手続を完了することは非常に難しい。米国の国内手続は2015年貿易促進権限法(TPA)の規定に従って、上下両院がTPP実施法案を可決することで完了するが、TPPは従来の2国間のFTAとは根本的に異なり、FTAとしては前例のない複雑な協定であるだけに、事前の議員に対する説明や賛成票の取り付け、最終法案の調整、さらに実施法案審議などにかなりの時間が必要になるとみられる。問題はそれだけでなく、選挙年である2016年の議会では、そもそも審議日程を組み入れること自体が非常に難しいからである。
2016年は、大統領選挙と上院議員の3分の1と下院議員の全員が改選される選挙の年である。大統領選挙の候補者指名のプロセスは2月1日のアイオワ州党員集会から始まり、2月9日ニューハンプシャー州予備選挙、3月1日はテキサス、ジョージア州など予備選挙(スーパー・チューズデー、民主党11州、共和党12州)、3月15日フロリダ、イリノイなど5州の予備選挙、4月19日ニューヨーク州予備選挙、4月26日ペンシルバニア、コネチカットなど5州の予備選挙、6月7日のカリフォルニアなど6州の予備選挙を経て、6月14日の首都ワシントンの予備選挙で終わる(注1)。
最終的に各党の正副大統領候補者が指名されるのは、全国党大会である。共和党の全国党大会は7月18~21日、オハイオ州クリーブランドで、民主党の全国党大会は7月25~28日、ペンシルバニア州フィラデルフィアでそれぞれ開催される。両党の候補者が勝敗を争う本選挙は、9月5日のレーバーデー(祝日)の翌日から開始され、11月8日に投票日を迎える。もちろん、この間、州によっては上下両院議員選出の予備選挙も行われる。
一方、2015年11月4日、ケビン・マッカーシー議員(下院多数党院内総務、下院議長に次ぐポスト)が発表した2016年の議事日程表(注2)をみると、2016年に週4日ないし5日連続して下院議会が開会される週は、25回しかなく、選挙運動に多くの日程が割かれている。夏季休会は7月16日から9月5日まで続き、10月1日から11月13日までは議事は行われず、投票日以降のレームダックの期間で議事が行われるのは11月14~17日の4日と11月29日~12月16日の間の12日、合計16日だけである。ただし、選挙後の議事日程は変更の可能性があるとしているから、この日程が最終的なものではない。上院の議事日程も下院に類似したものだと報じられている。
こうした選挙日程と議事日程を勘案すると、米国議会がTPP実施法案を審議する可能性が少しでもあるとみられるのは、次の4期間ではないかと考えられる。
①各州の大統領予備選挙でほぼ大勢が決まり、その後、7月中旬以降開催される全国党大会までの期間(2016年5~6月)、②11月8日の投票日の翌日から2017年1月3日の新議会開会までのレームダックの期間(11~12月)、③2017年1月3日の新議会開会から1月20日の新大統領就任までの期間(2017年1月4~19日)、④新大統領、新議会就任以降(1月21日~)。
3.オバマ大統領の希望と現実
オバマ大統領としては当然のことながら、最も重要な遺産のひとつとなるTPPの実施法案を任期中に成立させたいと考えているであろう。TPP交渉は2015年10月5日にジョージア州の州都アトランタで開かれた閣僚会合で合意(注3)に達し、その1ヵ月後の11月5日、オバマ大統領は議会に対してTPP協定締結(署名)の意思を通知した。
TPA(2015年貿易権限法)の規定(注4)によれば、TPP協定のテキスト全文がUSTR(米国通商代表部)のウェブサイトに掲載されるのは、11月5日から数えて30日以上経った日に行うことになっている。しかし、今回は11月5日、つまり大統領が議会に協定締結の意思を通知すると同時にUSTRのウェブサイトに協定のテキスト全文が公表された。これは、規定された期限よりも30日も早い。フロマン通商代表は、議会等に協定内容をより早く周知するためだと述べているが、これは早期の協定批准に向けた布石と思えなくもない。
また、オバマ大統領はトルコ・アンタルヤでのG20、マニラでのAPEC首脳会議およびマレーシア訪問に出発する前日の11月13日、ホワイトハウスのルーズベルト・ルームにキッシンジャーなど歴代の4国務長官、スコークロフトなど3人の元安全保障担当補佐官、四つ星の大将数名などを招き、TPPの安保上の重要性を訴えた。これは、クリントン大統領がフォード、カーターおよびブッシュの歴代大統領を招いて、NAFTA批准を訴えたひそみに倣ったものである。
しかし、国境を接した2ヵ国とのNAFTAと太平洋を挟んだ11ヵ国とのTPPとは国数も協定内容も大きく異なる。1993年8月にクリントン大統領は労働と環境に関する補完協定を締結し、4ヵ月後の1994年1月にNAFTA実施法案を成立させた。しかし、NAFTAの事例がそのままTPPに当てはまる訳ではない。
2015年5月から6月にかけて異常な展開をみせたTPA審議で改めて明らかになったように、民主党には国内外の労働問題を中心に、貿易協定に対する強い異論がある。最有力大統領候補のヒラリー・クリントンは現状では賛成できないと表明している。
実施法案審議で鍵を握るのは、上院財政委員長と下院歳入委員長(ともに共和党)である。
ユタ州選出のハッチ財政委員長(81歳)は医薬業界のドン(注5)で、生物製剤の特許保護期間を実質8年で妥協したことに不満で、政府に再交渉を求めたが、政府はこの要求を即座に拒否している(注6)。ハッチ委員長はTPPに対する厳密な審査の過程で、米政府は、①TPP協定がTPAによって規定された交渉目的に合致していること、②TPP交渉参加国が協定を遵守することを保証すること、③連邦議会議員と米国民は協定を審査するために十分な時間を必要としており、この審査の過程で政府は議会に完全に協力すること、の3点を求めている(注7)。ハッチ委員長が何回も強調している「協定の厳密な審査」の方針は、11月6日に発表した声明でも繰り返されている(注8)。
一方、下院歳入委員長のケビン・ブレイディ議員(60歳、テキサス州第8選挙区選出)は、10月末に辞任したベイナー下院議長の後任となったポール・ライアン歳入委員長の後任で、11月8日に委員長に就任したばかりだが、貿易小委員長の経験もあり、貿易問題にも造詣が深い。ブレイディ歳入委員長はTPPの議会審議について次のように述べている。「我々は今後数ヵ月間、USTRに問い合わせながら詳細にわたって協定の内容を精査する。TPPが米国経済および労働者にとって好ましい協定であると決まれば、協定を支持し、賛成票を集めるが、上下両院の民主党議員の支持を確保するのはホワイトハウスの責務である」(注9)4.実施法案の提出と法案審議の時期TPAの規定に従えば、オバマ大統領がTPP協定に署名する日は、協定締結の意思を表明した2015年11月5日から90日以上経過した2016年2月4日以降となり、大統領が現行通商関係法の変更点を議会に報告するのは署名後60日以内の4月3日以前となる。さらに、ITC(国際貿易委員会)にはTPP協定の米国経済、特定産業部門、貿易および雇用等に関する影響評価報告書を大統領および議会に提出することを義務付けられているが、その提出日は協定署名後105日以内の5月18日以前となると予想される。USTRは交渉の最終段階から交渉状況をITCに伝え、報告書の提出を早めるよう要請しているから、報告書の提出は5月18日よりも前倒しになることも予想される。
次の段階は、政府がTPP協定の実施法案をいつ議会に提出するかだが、TPAには実施法案の提出期限についての規定は一切書かれていない。しかし、ITCの影響評価報告書が出る前に、政府が実施法案を議会に出すことはまずあり得ない。
しかも、実施法案は一旦議会に提出した後は、修正はできないから、政府は実施法案の作成に当たっては念には念を入れ、歳入委員会および財政委員会と法案について逐条審査(マークアップ)し、完全を期さなければならない。しかも、成立が保証された状況でなければ法案を提出する意味がないから、上下両院の議員に周到に説明し、説得して過半数の賛成を確保しなければならない。上述のように審議の鍵を握る財政委員長および歳入委員長は厳格な審査を求めているから、過半数の賛成を確保するには、かなりの期間が必要になると思われる。
こうした諸条件を勘案すると、実施法案の議会提出は、早くてもITCの影響評価報告書が出される5月18日以降、賛成票の確保に時間がかかれば、それよりもかなり遅れて提出ということになろう。
実施法案提出後の議会審議日数は、下院歳入委員会が45日以内(暦日ではなく議会が開会している日数、以下同様)、下院本会議が15日以内、その後、上院財政委員会の審議は下院から法案を受理した日から数えて15日以内、上院本会議が同じく15日以内とTPAに規定されている。つまり、上下両院合わせて審議日数の上限は90日となる。
再交渉によって議会の批判を解決し、協定を修正した韓国、コロンビア、パナマとのFTAの場合、2011年に行われた実施法案の審議は、下院では7日、上院は2日で完了したが、TPPの審議は、このように大幅に審議期間を短縮して終わることはまずないとみるべきであろう。
こうなると、上述の1.で述べた①の5~6月の実施法案審議は、事実上不可能となる。では②のレームダック期間はどうか。まず落選議員もいるレームダック期間にこれほど重要な法案審議を行うのは異例中の異例であり、共和党が大統領選挙でも両院議員選挙でも勝利すれば、オバマ大統領に最後のはなむけを送るようなことはしないであろう。民主党が少なくとも大統領選挙で勝利すれば、オバマ大統領にレガシーを作らせる方向に作用するであろうが、そもそもレームダック期間は短すぎ、実施法案の審議日程がとれるかどうか、疑問を残し、共和党からの異論も高まろう。③のオバマ大統領の離任前の短期間に実施法案を審議するのは時間的にあまりにも厳しいし、そこまでしてオバマ大統領が法案可決にこだわることはないとも思える。
結局、米国議会がTPPを批准するのは、オバマ大統領の任期が終った2017年1月21日以降、新政権と新議会になってからの公算が一番大きいのでなかろうか。そうなると、当然ながらTPPの発効も2017年以降となろう。
ピーターソン国際経済研究所のジェフリー・ショットは10月6日の研究所内のインタビューで、「2017年より前のTPP発効はあり得ない。手続きが遅れればさらに後にずれる」と述べている(注10)。その理由は、上記のようなところにあるのではないかと筆者は考察する。
<訂正>掲載した記事中に誤りがありましたので、下記の2ヶ所を訂正いたしました。
①
誤:「3.オバマ大統領の希望と現実」の第2段落の3行目「サイトに協定のテキスト全文が公表された。これは、規定された期限よりも30日以上早い。・・・」
正:「サイトに・・・・・。これは、規定された期限よりも30日早い。・・・・」
②
誤:「4.実施法案の提出と法案審議の時期」の第1行目末尾の「2015年11月5日から90日以内の2016年2月3日以前となり、」
正:「2015年11月5日から90日以上経過した2016年2月4日以降」
注1. Election 2016, The New York Times. 12月24日検索。これら選挙日程は現時点のもので今後変更の可能性もある。この記事は随時最新情報に改定されている。
2. Election 2016, FirstDraft, The New York Times, November 4, 2015.
3. 日本では政府も新聞も「大筋合意」としているが、TPP協定の取りまとめ役(寄託国、Depositary)であるニュージーランドのホームページにも、また米USTRのホームページにも「大筋合意」に相当する用語はみられない。10月5日付のUSTRの声明は、” we have successfully concluded the Trans-Pacific Partnership” とし、続いて次のように書いている。”To formalize the outcomes of the agreement, negotiators will continue technical work to prepare a complete text for public release, including the legal review, translation, and drafting and verification of the text.” この「完全なテキスト」にする前の状態を「大筋合意」としたのであろうが、「大筋合意」を「最終合意」にするような交渉は行われておらず、「大筋合意」は「最終合意」に極めて近いものであったと思われる。
4. 拙著「2015年貿易促進権限法の制定―回復する議会の権限」、『季刊国際貿易と投資』100号記念増刊号、国際貿易投資研究所、2015年10月、143~158ページ。
5. 2015年11月12日付ニューヨーク・タイムズ紙によると、ハッチ上院議員が米医薬品業界から1990年以降受け取った献金は合計230万ドルで議員としては最高額であった。また2012年の選挙ではハッチ議員支持のSuper PACが米国医薬品研究製造団体(Phrma)から75万ドルの政治資金を得ている。
6. The New York Times, November 12, 2015.
7. The Hill, November 3, 2015.
8. Hatch Statement on Administration’s Notice to Sign Trans-Pacific Partnership, November 6, 2015..
9. The Wall Street Journal, Washington Wire, November 6, 2015.
10. What’s Next for TPP?, Peterson Perspectives, Interviews on Current Topics, PIIE Update Newsletter, October 16, 2015.
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