2002/02/26 No.28強いアメリカの自画像(その4)
——軍事力と経済力の方程式——
木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹
絶頂期にあるアメリカは帝国か、それともリーダーか? |
ヘンリー・キッシンジャー |
ポール・ケネディが「大国の興亡」を執筆するに当たって分析のツールにしたのは経済と軍事の相互作用という視点であった。「行き過ぎた勢力拡大の危険」、「責任負担能力の破綻と世界的混乱」といったキーワードは大国の「興」と「亡」にいかに関わるか。私は、この週末、「大国の興亡」を急ぎ再読したが、そこから興亡のエッセンスを私なりに次のごとく抽出、整理しておきたい。
「興」:地政学的な条件や生産資源の保有状況の変化などを要因として、特定の国家あるいは国家群が台頭し、他地域へも勢力を拡大する。
「亡」:こうして勢力が拡大すると、これを維持するための経済的負担も大きくなり、それに耐えきれなくなると、「亡」のプロセスに移行する。
このように整理すると、後者の「亡」のプロセスを説明する原理が「行き過ぎた勢力拡大の危険」、「責任負担能力の破綻」にあることがより鮮明になる。前回レポートで、「舞い降りた鷲」と「大国の興亡」で用いられた分析のためのキーワードには基本的にあい通じるものがあると指摘した所以である。
レーガノミックスをめぐるバーチャル・ディベート
レーガノミックスが掲げた歳出削減の唯一の例外が軍事費であったことは前回レポートで述べた。レーガノミックスの当否については、経済と軍事の相互作用の分析から覇権国の姿を浮かび上がらせようとしたケネディの分析ツールを真似て、次のような仮想ディベートを組み立てるのも一興ではないか。
レーガノミックスを支持するA氏の陳述:
「軍事力(国防費増強)のみを優先して経済(財政赤字対策としての歳出削減)を無視するならば、長期的にはその国の安全を阻害し、国力を低下させることになる。」
レーガノミックスを批判するB氏の陳述:
「経済(財政赤字対策としての歳出削減)にのみ力を注いで、軍事を無視(国防費削減)するならば、「今、そこにある危機」に対応できなくなる。」
ケネディの原理を登用して組み立てたこの仮想ディベートでの論点は、図らずも、大国の短期的安全保障と長期的安全保障のいずれを優先すべきかというテーマに収斂している。もっとも、経済力と軍事力の均衡が大国のパワーの相対的な地位変化を決定するというケネディのテーゼからすれば当然の帰結であろう。
「大国の興亡」にみる戦前世界
こうした視点に沿って、18世紀以降第2次世界大戦に至るまでの世界を「大国の興亡」から独断的に抜き出せば、おおむね次のようになる。
- 18世紀にはロシアと英国が勢力を拡大させた。これら2カ国の台頭の要因となったのは一つには地政学的条件。欧州大陸の周辺部に位置するという地理的条件が、欧州内の軍事対立に介入する力の保持と他地域への勢力拡大をともに可能にした。これが産業革命以前の欧州内勢力均衡の維持に寄与した。
- 英国では18世紀後半に産業革命が起きる。これを機に英国は工業生産を飛躍的に高め、工業生産では実質的に独占的な地位を占めるに至る。海外に向けては、植民地建設という手段で勢力拡大させていく。かくして英国は、海軍力、植民地、商業において他の追随を許さぬ覇権国の地位を獲得する。
- こうして世界の頂点をきわめた英国の力も相対的にかげりを帯びる時期がやって来る。その契機となったのは、皮肉にも自国で育まれた産業革命の成果普及であった。すなわち、19世紀後半には、産業化は大きなうねりとなって他地域に広がっていく。その結果、各国間の力のバランスは以前とは異なる様相を帯びる。こうした国際的なバランス変化を背景に、新興国が台頭する。こうして、バランスの支点は新しい生産や技術を生む資瀦や組織を持つ国にシフトしていく。
- 20世紀前半に勃発した第一次世界対戦は、中級大国(日本、ドイツ等)の消耗、ロシア革命の勃発、世界最強国家としての米国の現出——をもたらした。以後、米国は世界最大の工業生産国としての地位を維持し、ロシアも工業超大国に変身していく。かかる事態に直面した中級大国は領土拡大に活路を見出そうとする。大国の影におおわれてしまうことを恐れたからだ。
これが第2次世界大戦勃発への伏線となる、と私は読んだ。第2次世界大戦後の世界をケネディがどうみているかについては、前回レポートにて紹介済み。
キッシンジャーのゾルレンの書
ここまで書いて、私は数ヶ月前に通読した一冊の本を思い出した。『DOSE AMERICA NEED A FOREIGN POLICY?:
Toward a Diplomacy for the 21st Century』と題するキッシンジャーの近著がそれである。邦訳はまだないが、タイトルを直訳すれば「米国は対外政策を必要としているのか?:21世紀の外交に向けて」ということになる。「絶頂期にあるアメリカは帝国なのか、それともリーダーか?」との一文で始まる本書が扱う中心テーマは、今日世界における米国の覇権的地位(preeminence)をいかに行使すべきかという問いとそれへの答えである。
その意味で、ケネディの「大国の興亡」「舞い降りた鷲」が現状分析、いわばザインの書だとすれば、キッシンジャーのこの著は「いかになすべきか」を説くゾルレンの書といっても良い。今、私の手元にあるキッシンジャーの最近著は、300ページを雄に上回り、手にずっしりと重い。当初の予定を急遽変更、本書を急ぎ再読の上、そのエッセンスを次回本報告(その5)の中に盛り込むことにした。
というわけで、ヴェルレーヌの詩の謎解きはまた、先延ばしになってしまった。
※関連サイト
フラッシュ拙稿「強いアメリカの自画像」
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