一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2002/03/13 No.30アフガン・マーシャル・プランはBIGPUSHの実験場

青木健
国際貿易投資研究所 客員研究員
杏林大学 社会科学部 教授

 英国1.4%、フランス1.8%、西ドイツ1.3%、アフガニスタン90% ——— これが何の数字かお判りになるだろうか? 前者3つはかって第2次世界大戦後米国が欧州諸国の復興支援のため1948年から51年にかけて実施したマーシャル・プラン支援額の対支援国GDP比である。90%というのはアフガニスタン支援額の対GDP比である。

 アフガン支援国会議は2005年までに45億ドル(うち2002年中に18−20億ドル)を支援することを決定した。アフガン支援はマーシャル・プランをはるかに超え、一国に対する支援としては過去最大級である。アフガン支援は基本的には人道的かつ非常時の世界を挙げての支援である。さらに発展途上国が「貧困の罠」を脱出するために必要とされる一時的な巨大投資、いわゆるBIGPUSH(経済的自立を図るため生産設備とインフラストラクチャへの投資に対する大規模かつ集中的資金援助)という理論がほぼ純粋な形で実施される一大実験でもあると見なすことができる。緊急支援としては必ず成功させなくてはならない。後者についてはこれから試される実験であるが、この点の関心はほぼ皆無であるようだ。しかしアフガン・マーシャル・プランは、次の発展基盤形成を確保するものでなければならない役割があるということも強く認識しなければならない。

復興支援東京会議

 アフガニスタン復興支援会議が2002年1月22日東京で開催された。参加国は59ヶ国と21の国際機関を数えた。同会議はアフガニスタンの復興に必要な複数年の累積総額に45億ドル以上の支援を決定した。発表された「共同議長文書」によると、そのうちカルザイ暫定行政機構議長の希望どおり「2002年4月から1年間で18億ドルから20億ドル」の範囲となった。残りはボン会議で合意された民主選挙が実施される2年半先までに実行されることになる。会議前に、国連のアナン事務総長は復興に向け「5年間で100億ドル」、世界銀行などは「10年間で150億ドル」などと試算を示したが、東京会議での支援額はいずれもはるかに下回る。しかも中長期の支援目標などは「中長期議長サマリー」で明示されていない。しかしアフガン復興支援額は一国に対するものとしては最大級でありこれからもそうであり続けることは間違いない。

 国際社会のアフガニスタン復興支援を第2次世界大戦で荒廃した西欧諸国に対して、米国が資金援助をしたマーシャル・プランと比べれば、その規模の大きさは明らかである。同プランは1948年から51年にかけて実施され、総額102.6億ドルで、うちわけは贈与91.3億ドル、借款11.3億ドルが供与された。これは当時の米国GDPの約2%に相当する。現在の貨幣価値に換算すると約880億ドルに相当する(1997年5月、オランダのハーグで開催された「マーシャル・プラン」50周年記念式典でのクリントン前米国大統領の演説)。現在DAC加盟国(21ヶ国)の発展途上国全体への援助規模が約600億ドルという規模、またDAC加盟国GNP平均の0.3%という比率からみても、マーシャル・プランの資金供与規模がいかに大きいかが理解できよう。マーシャル・プランの対象国は20ヶ国以上を数えるが、主要対象国は、英国の26億7500万ドルを筆頭に、以下フランス(20億6000万ドル)、西ドイツ(11億7400万ドル)、イタリー(10億3400万ドル)、オランダ(8億900万ドル)と続き、これら上位5ヶ国だけで全体の75%となる。

 米国は敗戦国日本も支援した。日本は1946年から占領地域救済政府資金(ガリオア資金)、1949年からは占領地域経済復興資金(エロア資金)の2つのチャネルを通じて合計約20億ドルが提供された(うち13億ドルが無償資金であった)。これはマーシャル・プランでの第1の資金供与国英国の26億ドルに次ぐ規模で、1946年から1951年にかけて実施された。

 米国の西欧および日本に対する支援額は非支援国にとってどの程度重要性があったのか。これを支援額の対GDP比で見てみよう。この指標からみると日本は2.3%(1952年)、英国1.4%(1950年)、フランス1.8%(1950年)、西ドイツ1.3%(1950年)、オランダ3.7%(1949年)である。イタリーは18.9%と最も高かった。南北問題が世界的課題となって以降先進国は発展途上国に資金援助(ODA)をしているが、それを受け取った発展途上国の対GNP比は平均0.9%(1999年)であるので、現在の比率から見てかなり高い。

 西側諸国は膨大な資金を供与されたものの、いずれも当時大多数は工業国であった。これら諸国は戦災に見舞われたといっても人的資源やノウハウはもとよりモチベーション、何世紀にも渡って培ってきた経済発展の制度(官僚制度、徴税能力、政策立案能力、実施能力、アントレプリナーシップ)は破壊されることはなかった。極論すれば機械などの生産設備と生産に必要な原材料のみが不足していたといっても過言ではない。それ故投下されたマーシャル・プラン資金は一般市民の生活を正常化するための日常生活物資の調達はもとより工業生産を軌道に乗せるため資本財(機械)や原材料の輸入に向けられるや、援助が実施段階に移された1948年上半期には、欧州諸国の工業生産は戦前の1938年の水準を超えた。経済成長は軌道に乗った。マーシャル・プラン実施期間中、西欧のGNPの合計は3割以上増加した。農業生産は戦前の水準を11%上回り、これに伴い物資不足によるインフレ発生は、フランスを除き、1950年までにほとんどの国で抑え込まれた。

 日本は当時先進国とはみなされていなかったものの、非アングロサクソン世界では航空機や航空母艦の建造できる技術と人材を有する唯一の工業化した国家であった。日本は米国からの資金援助をコメなどの食糧や衣料品など生活必需品の緊急物資をはじめ綿花、羊毛などの工業原材料の輸入に向けた。日本の経済成長率は1950年に2.3%となり、その後朝鮮特需で一層高まり、経済復興は軌道に乗りさらに1960年代高度成長期に突入して行った。

余りにも高いアフガン支援額の対GDP比とその含意

 過去20年以上にわたって外国からの侵入と内戦に明け暮れたアフガニスタンは、GDPや貿易といった経済政策の立案と運営に必要な基礎的データさえ「正確なところ全く不明である」という。これでは経済政策の立案は不可能である。それでも世界銀行やアジア開発銀行などは基礎的なマクロ経済指標を推計し発表している。まず最も基本的データである人口から見てみよう。

 アジア開発銀行(ADB)『Key Indicators 2001』によると、1990年のアフガニスタンの総人口は1610万人で、2000年では2270万人である。イランとパキスタン両国に流入している370万人余の難民を含めると、アフガニスタンの2000年の総人口は最低でも2640万人と推定される。国内総生産は1990年で24.6億ドルであったので、同年の1人当たりGDPは153ドルである(ただし1978/79年価格)。現在の1人当たりGDPは全く不明であるが、世銀によると「現在の一人当りGDPは100ドル台」でないかという(日本経済新聞2000年1月22日付け朝刊)。これをベースに、難民を除く2000年のアフガニスタン居住人口を2270万人とすれば現在のGDP規模は22.7億ドルとなり、これは1990年のGDP規模を一割近く下回る。

 2002年中に支援額18〜20億ドルが投下されることになると、その対GDP比率は実に79−88%という大きなものとなる。つまり成長率が90%近くになるであろうことで、これは2000年のアフガニスタンの経済規模がほぼ倍増することに相当する。中国が高成長を遂げていた一時期ある省が30%という高い経済成長を記録したことや、アフリカのある発展途上国においてODAが中央政府財政収入の60%を占めたことなどがあったが、アフガニスタンのような例は過去一度もない。また特にアフガニスタンの場合、自国民の財とサービス生産プロセスによってもたらされた付加価値でないということを強く留意しなければならない。アフガン支援は国際社会による緊急対応であるとはいうものの、短期間に自国のGDPに匹敵する規模の資金が流入すると、一体どのような事態が発生することが想定されるのか。

汚職の蔓延

 まず汚職の一層の蔓延である。NGOが人道支援物資を首都カブール市内で配布する際、300−400世帯を束ねる地区長は配布物資の20%前後を懐に入れ、仲介業者を通じて市場で換金するのが普通であるという(読売新聞2002年2月15日付け朝刊)。カルザイ暫定政府議長の兄であるM・カルザイ氏は「新政権に資金を与えるだけでは腐敗を生むだけだ。賢い運用方法を指導してくれたら、成功すると思う。金の使い方は日本・欧米に聞いたらよい」という(朝日新聞2001年12月22日付け朝刊)。期待される日本も最近の政官業の癒着構造をみるにつけ偉そうなことは言えないが、支援国側も汚職を充分認識している。そのため復興資金の運用について、世界銀行に「信託基金」を設ける一方、各国支援の大部分は2国間ベースであるので、これらの運用・管理などを調整する「実施グループ」を首都カブールに設置する。「実施グループ」は第1回会合を2002年1月22日に東京で開催し、この時決定したのが2002年中に支援額18−20億ドルを執行することであった。次回会合は3月にカブールで開催され、4半期ごとに開かれる。「実施グループ」はアフガン暫定行政機構が議長となり、世界銀行を中心にアジア開発銀行、国連開発計画や日本などの主要支援国が参加する。

 日本では汚職やわいろと称されるものでも、アフガニスタンでは、同国の伝統である「喜捨」と呼ばれることがあるという。先に指摘した地区長の行為は必ずしも否定的に捉えず、支援物資がスムーズに国民に届くための最少コストであるという役割を持っているという理解が必要であろう。世界銀行に「信託基金」が設けられたのは、そうしたコストを一層小さくし、支援をより効率さらに支援が国民に一様に行き渡らせる仕組みである。さらに支援金が武器や弾薬の調達に回ることがないようにするためでもある。

インフレ懸念

 「共同議長文書」は復興の鍵となる優先分野として6つ挙げている。(1)行政能力の向上、(2)教育(特に女子)、(3)保健・衛生、(4)インフラ整備(特に道路、電力および通信)、(5)経済システムの再建(特に通貨制度)、(6)農業および地方開発(食料安全保障、水資源管理、灌漑システム回復を含む)。支援額の分野別配分や実施時期はこれから「実施グループ」によって策定されるであろうが、どの分野に支出されるかによって、その効果は異なる。

 アフガニスタンの産業は牧畜と農業が8割を占め工業生産はほとんど皆無に等しい。首都カブールの北部に「工業地帯」があるが、それは名ばかりで小さな塩ビパイプ工場があるだけであるという(朝日新聞2002年2月11日付け朝刊)。こうした経済に膨大な資金が投入されるとインフレは昂進する恐れがないのか。前記復興優先分野を点検すると、必ずしも大規模プロジェクトを想定していない。むしろ地道な復興支援策を中心としている。また大量の資金が投入され復興需要が大きくても「実施グループ」が管理するであろうからだ。しかも調達先は国内でなくおそらく大半は海外になるであろう。調達の原資は膨大なドルによる支援額で、これは外貨準備の役割を果すことになる。こうしたことから、インフレの昂進の可能性は意外と小さいといってよいだろう。もっとも資金はほとんど海外に還流してしまい、国内の生産を誘発するという直接効果は極めて小さいものとなろう。

 しかし小規模なインフレが発生するという事態が発生するかもしれない。これを検討するために支援額の分野別支出を次のように区分してみる。①文字通り日常生活を軌道に乗せる緊急支援。②当面短期的支援であるが、中長期的に生産力強化に間接的に繋がる支出。この典型が教育のための支出や行政能力向上に向けた政府機関の強化であろう。③日々の支出が生産力や潜在生産力に繋がるもの。この代表例が道路の修復であり新規建設でありさらに電気、水道などのインフラ部門の整備である。④その他内外に影響を及ぼす支出分野。いずれに共通するのは復興需要に伴う雇用や人材の確保である。ここに中長期に生産力の増強という観点を導入しインフレ発生の可能性を探ろう。

 長年の戦乱と災害による人材不足があり、国際機関やNGOは人材引き抜き合戦をやめるため、アフガニスタン人を雇用する際に守るべき「行動規範」を設けようとしている。この「行動規範」は特に短期的に物的生産に貢献しない雇用分野の指針の方向を示したものである。それによると最低賃金は家族を養うために必要な月50ドル以上とする一方政府機関の幹部職などの給与の上限は月2000ドルにするという(朝日新聞2001年12月31日付け朝刊)。「行動規範」はまた暫定政権がしっかり機能するため、国際機関やNGOに政府公務員を車の運転手として雇用することのないように自制を求めている。内戦時代の10年前から政府機関の就業時間が午前8時から午後1時までと決まっている。大半が退庁後アルバイトに精を出すためである。その理由はこれまで長い間給料の支払いが滞っているからである。それ故「実施グループ」は支援額の最優先分野として行政能力の向上つまり政府行政機構設立のために給料の支払いを挙げている。公務員(病院、学校、警察など)約23万人のため今後半年間に必要な資金は1億ドルという(朝日新聞2002年1月20日付け朝刊)。2002年1月カブールの公務員に半年振りに給与が支払われた。今後全国の公務員に合計800万ドル支払われる予定という(朝日新聞2002年2月11日付け朝刊、読売新聞2002年2月15日付け朝刊)。さらに新規需要がある。それは小学生の帰校計画である。現在全土で約440万人の小学校学齢期(7歳から6年間義務教育)の児童がいると推定されているが、大半が教育を受けていず、ユニセフはそのうち150万人の帰校計画を推進しようとしている(朝日新聞2002年1月21日付け朝刊)。このため6万人の教師の養成が必要であるという。もし教師1人当たり50ドル/月支払うとすることになれば、年間最低3600万ドル必要となる。さらに学校の建設や補修、150万人分の教材の費用も必要となる。これらは支援額でユニセフが調達し支給することになっている。

 以上は新規需要として市場に参入することになる。しかし需要される財は当面ほとんど食糧や衣料などの日常物資で、これら一部は国内で供給されようがほとんどは周辺国や支援国からなされるのであろう。また世界的需給バランスから見てインフレ懸念は大きくないのではないだろうか。

パキスタンの役割

 日常物資の供給に関して、第3国とりわけパキスタンの役割が重要である。アフガニスタンがパキスタン経由で第3国から輸入する場合、パキスタン国内の輸入業者は輸入品に対する関税が免除されるという1965年に締結された『アフガン・トランジット合意』があり、これがアフガニスタンのインフレ抑止に大きく貢献していると見られる。パキスタンとアフガニスタン間の貿易額は約25億ドル(1996/1997年度)でこのうち約84%が密輸で、これがパキスタン経済を圧迫しているという(アジア経済研究所『アジア動向年報2000』578ページ)。これはパキスタンのみならずアフガニスタンにも大きな影響を及ぼしている。

 『アフガン・トランジット合意』でアフガニスタンに搬入された物資は当然のことながら同国国内の供給を増やす。米国のアフガニスタン攻撃以降同国の映像をTVで見る機会が多く、その時いつもカブール市内や市場(いちば)で物資が豊富に溢れていることに驚かされたものであるが、実はそうしたことによるものなのである。同時にアフガニスタンに搬入された物資の一部がパキスタンとの国境に跨り両国で多数を占めるパシュチュンの居住するトライバル・エリアを通じて、パキスタンに逆流し同国の産業を圧迫する。

 しかし、パキスタンは、これを契機に1951年に勃発した朝鮮動乱の特別需要で日本がその後の経済発展と産業構造高度化をテコとしたように、今回の機会を積極的に活用すべきである。宗教・気候が同じであるので衣料・食糧生産などで違和感がない点は優位にある。他のイスラムの隣接・近接諸国も同様である。パキスタンを始めとする周辺・隣接国がアフガン特別需要を活用することは、まず自国経済の拡大と構造の高度化や自国の軍事的支出の相対的低下さらに中央アジアにおける政治的・軍事的安定に貢献することに繋がり、経済発展に好ましい環境を醸成しよう。「平和の配当」である。アフガン・マーシャル・プランはそれを確実にするものであり、この面からも、是非成功させなければならない。

ドル通貨採用案

 アフガンの公式通貨アフガニは少なくとも主要4人種がそれぞれ発行した4種類あるという。世界ではこのようなことは例がないであろう。巨額の復興資金が流入すると、トラブルが発生するのはすぐ解る。このため、フィトラット中央銀行総裁代理は「米ドルを公式通貨として採用することも選択肢のひとつとして検討している」という(読売新聞2002年2月15日付け朝刊)。しかしドルを導入すべきでない。

 ①現在は4種類のアフガニがあるが各通貨間のレートは全て1対1である。しかしドルが流入すると②各通貨の対ドルレートが決まろう。この時③4種類のアフガニのうち最も強いアフガニに引っ張られ、残りの通貨の対ドルレートはもとよりアフガニ相互のレートに変化が生じる可能性がある。

 ドル通貨採用案はそもそも膨大なアフガン支援額とその持続性を前提としているのでないだろうか。しかしアフガニスタン支援国のほとんどは、一部(英国、パキスタンなど)を除いて、2年半先以降の支援をコミットしていない。支援期間中はもとよりその後アフガニスタンはドルを獲得できるまで産業を育成できるのであろうか。もし支援が打ち切られ、輸出産業も育たずさらに復興需要が旺盛のままに加えてパキスタンが競争力を強化したら、アフガン経済は次は経済で大打撃を受けることになる。これは復興過程にあるアフガン経済の混乱をもたらし、復興のテンポを遅らせることになる。殷漢遠からず。アルゼンチンの例がある。アフガニスタンのあらゆる現状からみて、ドルを公式通貨に採用すべきでない。

BIGPUSH

 マーシャル・プランとアフガン・マーシャル・プランの共通点は短期間に大量の資金を投入し経済を再建することである。ただし目指すべき目標は異なる。マーシャル・プランは第2次世界大戦で破壊された欧州諸国経済を大戦前既に到達していた世界の工業水準に復帰させることであった。マーシャル・プランは成功した。それどころか「余りにも大きな成功」であった。これは当時の経済開発論に大きな影響を与えた。

 発展途上国が低開発から脱出できないのは低貯蓄率と低購買力を軸に「貧困の罠」に陥っているからである。この「貧困の罠」を切断し発展を目指すには、一時的に巨大な投資を行い人口増加率を超える大きな所得増加「大躍進」する必要がある。これが初期の開発理論でありそのひとつがBIGPUSHといわれるものであった。この着想は既に第2次世界大戦前にあった。それが初めて実践されたのが事実上マーシャル・プランであった。同プランは大成功を収めたが、対象国は発展途上国ではなかった。しかし「大規模な資金援助」の効用に対してその後の発展途上国援助に安易な楽観論を生む結果をもたらした。つまり先進国が発展途上国に資金を供与すれば離陸(take off)できるということである。これに呼応して経済成長理論も動員された。1960年代に独立した多くの発展途上国の経済発展に適用されたが、ほとんど全て失敗したといっても過言ではない。しかしほとんどの発展途上国は依然低貯蓄のため資本蓄積に苦しんでいる。それ故先進国は援助している。しかし先進国の発展途上国に対する政府開発援助(ODA)供与額は約600億ドルで、国際資本フローに占める割合は1990年前後の約3割から低下の一途をたどり1999年には10%を割り公的ローンを含めても20%以下となっている。発展途上国の資本形成比率でFDIは13.8%であるが、公的ローンを含むODAは4.2%でFDIの3分の1である。

 アフガン・マーシャル・プランでこれから同時に実行されるのは、発展途上国でマーシャル・プランとBIGPUSHである。その試練がこれから課されようとしているということである。

 アフガン・マーシャル・プランも旧ソ連の侵攻と内戦で破壊された国内経済の再建である。しかしアフガニスタンは世界の最貧国のひとつである発展途上国であるので同国の歴史的経緯を踏まえる限りまず目標は伝統的コミュニティの再建であり、自ら「国造り」の意識を持たせることである。ウオルフェンソン世界銀行総裁が指摘するように、それを通してエンパワーメント(自ら生きる力)を体得させることである。このために当面の生産力回復目標は食糧自給と輸出の可能性の潜在力を有する主要産業である農業生産の回復である。1985年から2000年までの穀物生産量の推移を見ると、1997年に368.3万トンとピークを画した後低下の一途をたどり、2000年には191.3万トンと半分近くにまで減少した。しかしアフガン政府が、支援を活用し政策を効果的に実施すれば、ピーク時の穀物生産高に到達さらに超えることができるであろう。この過程でさらに農業生産性を向上させていけるならば、農業の余剰労働力を工業部門にシフトさせることが可能になる。しかしこれだけでは経済成長の持続性に欠ける。経済発展のダイナミズムの原動力は工業化である。急速な工業化を現在のアフガニスタンに求めるわけにはいかない。そもそもその基盤を全く欠いている。「共同議長文書」はそれを認識している。同文書は当然のことながら「人道支援、復旧、復興、開発の間の強い補完関係の必要」を強調している。

 再び強調するならば、アフガン・マーシャル・プランは緊急支援援助であり、通常の発展途上国の経済発展を図るための資金の投入でない。しかし、同時に「開発の間の強い補完関係」も併せて踏まえるべきであるということである。まさにアフガン・マーシャル・プランはマーシャル・プランが発展途上国アフガニスタンで再現され、かつ極めて純粋な形でBIGPUSHが実行されようという点であり、戦後開発理論のひとつが再び試練にさらされ、さらに同国の経験は我々に新しい展望を提供することになろう。

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