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2018/09/10 No.388何故マレーシアで政権交代が起きたのか(3)~前途多難な船出、政府のガバナンス回復が最優先課題~

小野沢純
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
元拓殖大学/東京外国語大学 教授

第3回は、ナジブ政権下で劣化した政治モラルの回復を目指したマハティール首相のガバナンス改革です。(聞き手はITI事務局長大木博巳)

2018年5月10日、マハティール氏は、第7代目首相に就任しました。全閣僚がそろった組閣の完了は、7月3日でした。組閣完了前に、マハティール首相は、①政権公約した「政権交代後100日以内に実現する公約10項目」の準備、「賢人会議」を結成(5月12日発表)、②1MDB汚職疑惑問題解明への取り組み、③ナジブ前政権時代の人事刷新と機構改革を明言しました。

-まず政権を握って、マハティールさんが真っ先に取り組んだのがナジブ逮捕・起訴で明かのように、1MDB疑惑の解明でした。これまでは、捜査できなかったけれども、自分たちが権力を握ったから、1MDB捜査のタスクフォース4機関(法務長官と汚職防止委員会、中央銀行、警察)の活動を新メンバーで再開させた。今度は解決に向けて本気でやるぞと動き出しました。そして、ナジブ政権下で劣化した政治モラルを改め、三権分立と法の支配にもとづくこれまでの政治体制に戻そうというガバナンスの回復、これがマハティール改革と私は捉えています。

改革というと何かを変えようとすることでしょうか

-それは何か新しい“ニュー・マレーシア”をつくろうというよりも、従来あった、政治的にも、経済的にも比較的安定したマレーシアに立ち戻り、しかし、かつてのマハティール政権時代に復帰するのではなく、希望連盟の諸党が訴えてきた改革(もともと反マハティール的要素があったものだが)をも取り込んで、あらためてガバナンス改革を徹底して本来の民主主義の国になり、少なくとも2025年頃までに高所得国入りを目指そうということです。 マハティール氏は1~2年後に首相職をアンワル氏に禅譲することが希望連盟内ですでに合意されているので、限られた時間を前提に、93歳マハティールの大きな挑戦となりそうです。

マハティール首相が賢人会議を設けた意図はどこにありますか。

-「賢人会議」(Council of Eminent Persons)のメンバーは、マハティールのブレーンといわれるダイム元財務相を座長に、ゼティ前中央銀行総裁、ハッサン元ペトロナス会長、御用学者の対極にいるジョモ経済学者、それに財閥ロバート・コォック会長の5名です。マハティール首相に対する諮問委員会みたいなものです。

なぜ設けたか? 政権交代後100日以内に公約を実現すると選挙民(国民)に約束しているが、新政府の大臣・副大臣55名のうち、マハティール首相とムヒディン内務相、州首相だったリム財務相(ペナン州)とアズミン経財相(スランゴール州)を除き、ほとんどが野党政治家として政府行政にかかわった実務経験がない。軌道に乗るまで当面は即戦力のある有識者の知見を政策策定に反映させればよい、という現実主義者マハティールの決断があったからです。

香港在住のロバート・コォックを除く4名の賢人たちは5月から連日会合し、「一帯一路」関連のメガプロジェクトやクアラルンプール・シンガポールの高速鉄道問題を手始めに、賢人会議終了の8月20日までの3か月間で350人以上の責任者・関係者(官僚トップクラスの他、関連業界、NGOなど)を呼んでヒアリングを行ったうえで、マハティール首相に然るべく提言したという。

賢人の中で注目される人物がロバート・コォック氏でした。

‐マレーシア随一の大金持です。年齢は94才。中国の習近平国家主席と太いパイプがあるので、8月20日の習主席との交渉に備えて、マハティールはコォック会長のアドバイスを求めたに相違ないとみています。

8月17日には、政権交代から100日を経過しました。10項目の公約の進捗をどう評価しますか。

-マレーシア史上初めての政権交代となったマハティール新政権は、最初の100日でかなり善戦しています。世論調査ムルデカ・センターが8月前半に行った1,160名を対象にした調査では、67%がマハティール政権に満足していると回答しました(マレーシアBIZナビ、2018年8月17日)。

6%の消費税(GST)は、早速6月1日に0%にして、8月の議会で撤廃が正式に決まり、同時に売上・販売税(SST)が9月から再導入されることも決定(この間に車の売り上げが上昇)、燃料補助金制度を復活し、ガソリンなど石油価格は固定制にしたので、これらの政権公約はほぼ実現しました。

しかし、サバ・サラワクを対象にした1963年マレーシア協定についてはまだ進まず、時間をかけて取り組むことになります。また、選挙を意識した利益誘導的な公約(下表の5~8)もそれほど進捗していない。

ただ、1MDB汚職疑惑の捜査は、再開して3ヵ月になるが、すでに述べたように着実に進展し、8月末では国内での捜査を中心に約60%が完了し、残り40%は海外諸国における証拠固めを米国やシンガポール当局の協力を得て進行中である、と汚職防止委員会副委員長が発表しました(Malay Mail, 30 August 2018)。

また、前政権時代に契約されたメガプロジェクトの見直しも新展開がありました。5月30日に高速鉄道は延期を発表、またMRT(大量高速輸送)第3期は中止となり、東海岸鉄道と二つのパイプラインプロジェクトは7月3日に工事が即時停止となりました。これについては、「一帯一路」のところで取り上げます。

<100日以内に実現する10項目>(政権公約)

公約達成度(注)
1.GST(財サービス税=消費税)を撤廃する A
2.石油価格を安定化し、燃料補助金制を復活 A
3.1MDBおよびFELDA,MARA,THを再編する B+
4. 外国企業に与えたメガプロジェクトの再調査調査 B
5.最低賃金を全国統一した後、最低賃金を引き上げる C+
6.FELDA入植者の不当な負債を帳消しする C
7.PTPTN(国家高等教育基金)のローン返済を延期する B+
8.B40(下位所得40%)の人たちにヘルスケア制度を導入 C
9.主婦を対象にEPF(従業員積立基金)を導入 B+
10.閣僚特別委員会で1963年マレーシア協定を見直す D
*達成度は、The Star紙(Aug 18, 2018)の評価

マハティール首相が緊喫の課題としているのがナジブ政権下で失われた政府のガバナンスの回復です。

‐ナジブ首相府の醜態ぶりは酷いものです。選挙当日の5月9日真夜中に政権交代が確実になったことが報道されるや、なんと17名の首相警護員・ガードマンらがナジブ首相のオフィスに乱入し、そこにあった現金350万リンギット(約9,800万円)を盗んだ。8月7日にこれら17名が汚職防止委員会に逮捕されました。現金はUMNOの選挙資金だったとナジブ前首相は語っていました。

8月27日に今度は首相府調査局(通称MEIO=マレーシアのスパイ組織)の副局長を含む高官7名が、翌28日にはハサナ局長もが逮捕された。逮捕理由は総選挙1週間前に米ドル紙幣総額1,200万ドルを不正にマレーシアに持ち込み、それが選挙のための資金なのか、そして1MDBと関係する資金なのかどうかを汚職防止委員会が調べています。

ボスに見習ってか部下たちもここまで腐敗していたのだろうか。総選挙直前にMEIOが米国CIA長官に送った「総選挙で辛勝しても、CIAはナジブ首相を支持するようにお願いする」という公文書の存在が暴露されたが、こんな恥ずべき文書を書いた本人はハサナ女史であることが以前から話題になっていました。

プトラジャヤに復帰したマハティール首相は、ガバナンス改革の手始めに、ナジブ人事を一掃しました。ナジブ首相に権力が集中するようになった首相府の機構を再編しています。

‐ナジブ首相の意向のままに動いた行政部のトップ、とくに財務省次官や中央銀行総裁、法務長官、汚職防止委員会トップを5月の早い時点で更迭しています。その後任にかつてナジブ首相から追放された有能な官僚を呼び戻しました。

例えば、中央銀行ノール・シャムシア副総裁は1MDBを厳しく追及したため、2016年から世銀に異動させられたのをマハティールが総裁として呼び戻しました。

汚職防止委員会のシュクリ副委員長も厳しい捜査で有名だったが、2016年自ら早期退職していたのを呼び戻され、5月21日から汚職防止委員会委員長として1MDB捜査を指揮しています。

この他、ナジブの起訴状を草稿して更迭されたガニー元法務長官およびアブ・カシム汚職防止委員会元委員長は共に1MDB捜査タスクフォースの共同委員長に就任しました。マハティール首相の1MDB解明に向けての本気度が反映されているといえます。

また、法務長官にインド人弁護士のトミー・トーマスを登用、これは財務相に華人のリムDAP幹事長を登用したのと同様に、これまでのマレー人指定ポストに非マレー人を選んだマハティール采配に新鮮さがあると注目されています。

さらに、ナジブ時代に政府高官・中堅官僚のみならず、大使や政府系企業(GLC)トップの中に政治的に任用された者が少なくないので、前政権の息がかかったこれら関係者は相次いで退任となっています。

ナジブ前首相に権力を集中させて独裁政治を生み出したのが首相府でした。

‐2009年のナジブ政権誕生以降、首相府が肥大化しました。ナジブ首相が権力を集中させたからです。その結果、首相の強権発動と権威主義が横行し、立法と司法の存在が相対的に弱まり、三権分立に危機が生じました。

これを改めるため、マハティール新政権は政権公約で約束したとおり、2018年7月1日から首相府に属していた次の8つの政府機関を独立機関とし、首相府から切り離し、国会に直結する仕組みに変えました。

特に汚職防止委員会や選挙管理委員会は時の為政者の支配から免れ、独自の活動が保証されます;

① 汚職防止委員会(MACC) ② 選挙管理委員会(EC) ③ 人権委員会(Suhakam)

④ 会計検査院(NAD)  ⑤ 公務員人事委員会(PSC)  ⑥ 教育職人事委員会(ESC)

⑦ 裁判官任命委員会(JAC) ⑧ 法務長官室(AGC)から分れる検察庁(PPO)

⑧について、現行の法務長官は政府の法律顧問役と検察権限を持つ検事総長役とを兼任するため、利害対立が生じるところから、法務長官室は首相府内のままとし、そこから検察権限を分離させ、独自の機関として検察庁を新設することになります。これらが軌道に乗ると、ガバナス改革が大きく前進するはずです。

首相府内の大臣ポストも大幅に削減しました。

首相府内の部局のうち、ほとんどがナジブ首相のために奉仕していたとみなされる10の機関を6月26日付けで廃止した。

主なものに、業績評価局(PEMANDU)、陸上公共交通委員会(SPAD)、国家教授評議会(NPC)、国家イノベーション庁(NIA)、MEIO(スパイ組織)、2050年国家変革(TN50)事務局など。このうち、TN50とは、「2020年ビジョン」を完全に無視したナジブ首相がその代りに設けた2050年までのスローガンだが、まともな識者はだれも相手にしなかった。

以上の首相府再編により、首相府担当の大臣数はナジブ政権で9名もいたが(ほとんどがナジブ応援団)、新政権は3名に縮小し、首相府の2018年度予算も前政権の当初予算122億リンギットから49億リンギットへと大幅に削減しました。

マハティール首相は首相府の官僚全員を広場に集めて、訓示を行っているようですね。

‐毎月1回首相府の官僚全員を広場に集めて、まるで朝礼のように、訓示をするようになりました。8月13日の定例会では、ガバナンスこそ重要と言い、「もしわが政府の行政が最良のクオリティを持つようになり、世界に誇れるガバナンスとなれば、すべてうまく行く。私はすでに年老いている。長くは働けない。しかしながら、公務員諸君に崇高な価値観が身につくように願っており、諸君らの努力によってわが国は再び“世界のハリマオ(虎)”として尊敬されるようになれるのを期待しています」(首相府ホームページ:Berita Pejabat PM,13 Ogos,2018)。 

そして、政権スタートして100日を迎えた8月17日に、マハティール首相は、「マレーシアから汚職をなくし、グッド・ガバナンスを確保するためのドラスチックな総合計画を実施する」と明言しました(Malay Mail, 17/8/2018)。

新政権は、グッド・ガバナンスを回復するべく汚職防止策を発表しています。

‐それは次の5項目です

  1. 政府高官(大臣・副大臣)および選挙で選ばれた代議士は資産公開を義務付ける。汚職防止委員会に提出する(マレーシアで初めての画期的な試みだが、対象になる代議士とは誰か、いつ、どのように実施すかなどはこれから発表されるようです)。
  2. 「政治資金規正法」を策定中(”金権政治“に立ち向かう、これもマレーシアでは画期的な試み。下記GIACCの率いる特別チームが策定した同法案を閣議に提出する段取り)。
  3. 「汚職防止に関する内閣特別委員会」(JKKMAP)が設置された。
  4. 首相府内に汚職防止のための「ガバナンス・インテグリティ・汚職防止センター」(GIACC)を設立した。センター長はアブ・カシム元汚職防止委員会委員長。各省の次官と定期的に汚職防止の会議を開くことになる。
  5. 総合的な「国家汚職防止計画」〔National Anti-Corruption Plan〕を策定する。8月17のマハティール発言がこれ。GIACCが原案を用意するものとみられる。

なお、賢人会議の下で5月15日にアンビガ人権協会会長を含む5名の法律家から結成された「制度改革委員会」(IRC)は、選挙制度見直しや首相府の機構改革など幅広い制度改革案を提言したようです。その効果もあってか、総選挙直前に駆け込み成立した悪法「フェーク・ニュース対策法」は8月16日下院で廃止が決まりました。今後は希望連盟を中心に政治改革の議論が高まるでしょう。

前政権から引き継いだマレーシアの政府債務が、実は公表値(6,868億リンギット)を上回る1兆リンギット(28兆円)を超えていることがあきらかになりました。

‐2017年12月末の政府の公的債務は6,868億リンギット(GDP比50.8%)とナジブ政権はみていたが、5月22日にリム財務相は、これは債務が膨らんだのをわざと過少に公表したものであり、本来はこの公的債務に加えて、①債務不履行に陥った政府系企業の債務保証分1,991億リンギット、②政府が約束した官民連携(PPP)事業関連のリース料金支払い分2,024億リンギット、を加算すると、政府債務は総額で1兆870億リンギット(GDP比80.3%)にも達すると発表しました。

ナジブ政権は何を隠していたのでしょうか

‐問題の1MDBは支払不能の状態にあり、2017年4月から70億リンギットを政府が救済したことや1MDBの政府保証が2017年末で380億リンギットにも達している事実をナジブ政権は隠していた(FMT, 25/5/2018)。

2018年は11月までに1MDBの利子支払分9億5,300万リンギットを政府が救済せざるを得ない、とリム財務相は言う(Star, 23/5/2018)。今後も大規模な1MDB債券の政府保証分がさらに増えます。

1兆リンギットの債務を引き継いだ新政権は経費削減を訴えねばならない。5月23日の初閣議で全大臣の給与の10%をカットすることを閣議で決めました。先ずは大臣から範を示すことか。5月30日に国民に希望基金を訴えると、8月30日までに1億7,990万リンギットが集まったという(マハティール首相は9月末でこの希望基金は終了する意向、Malay Mail 30/8/2018)。

新政権は、ガバナンスに欠けたナジブ前政権の尻拭いを迫られて、前途多難な船出となっています。

‐統治ガバナンスの正常化の他に、予想もしなかった過重な政府債務を背負わされてスタートすることになったマハティール新政権は、現実的な対策としてはやはり政府の経費削減を強化せざるを得なくなりました。そこで、ナジブ前政権が導入したメガプロジェクトを財政面からも見直す方針が固まりました。そして。メガプロジェクトの多くは中国からの借款と中国国有企業がからむ「一帯一路」プロジェクトとも重なるので、さらにやっかいな問題を抱えることになるのです。

(続く)

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