一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2002/11/13 No.40動き出したドイツの労働市場改革

田中信世
国際貿易投資研究所 研究主幹

 ドイツの労働市場改革が動き出した。シュレーダー首相は9月の総選挙において、400万人に達する失業者の削減を最優先課題に掲げ、「ハルツ提案」が完全に実施された場合は、現在の約400万人の失業者を3年間で半減することができると公約していた。総選挙を受けて10月に成立した第2次シュレーダー政権は早速、「ハルツ提案」の具体化に向けた取り組みを開始した。

 「ハルツ提案」とは、政府の労働市場改革に関する諮問委員会(諮問委員会の委員長をフォルクスワーゲンのハルツ人事担当取締役が務めたことから通称「ハルツ委員会」と呼ばれている)が去る8月16日に発表した報告書に盛り込まれた労働市場改革案のことである。

 ハルツ改革案は次の3点が骨子となっている。

  1. 失業者(特に若者)の迅速な就業
  2. 連邦雇用庁が所管する職業安定所の人材派遣会社化と派遣労働者の拡大
  3. 個人企業の設立奨励とヤミ労働の削減

 ハルツ改革案を具体化する上でまず必要な手続きは、この改革案の法制化である。労働市場改革はシュレーダー政権にとって待ったなしの緊急課題であるため、政府は労働市場改革に関する法案作成を急ぎ、早くも10月7日、法案を連邦議会(下院)に提出した。

 法案はその内容によって、連邦参議院(上院)の可決を必要としないもの(以下、便宜上「第1法案」と表記)と、連邦参議院の可決を必要とするもの(同「第2法案」と表記)注)とに分かれるため2本立てになっている。第2法案については、連邦参議院では野党が多数を占めているため、法案の成立までに紆余曲折が予想されるが、連立与党の社会民主党(SPD)と緑の党が多数を占める連邦議会の可決だけでよいもの(第1法案)については、政府は11月15日までの可決、2003年1月1日の施行という早期の具体化を目指している。

 独経済紙のハンデルスブラット紙などの報道等から、それぞれの法案の中身を概観すると以下のとおりである。

【第1法案】

①失業者の迅速な就労

 失業者は解雇通告を受けた場合、直ちに連邦雇用庁に届け出なければならない。届け出が遅れた場合、失業手当の多寡に応じて失業手当支給額から、届け出が遅れた日数につき1日当たり7〜50ユーロ(1ユーロ=約120円)が差し引かれる。支給額が差し引かれる日数は最高で30日である。

 この措置により失業者1人当たりの失業日数は1週間短縮され、失業手当支給額の削減は総額で10億ユーロに達すると見込まれている。

②派遣労働

 派遣労働については、次のような内容が法案に盛り込まれた。職業安定所を衣替えした人材派遣サービスエージェント(PSA)は派遣労働の形で失業者に新しい職場を仲介する。派遣労働者の賃金については、民間の派遣会社による派遣労働者も包含した新しい規則を導入し、派遣受け入れ企業の労働者の賃金と原則同一水準とするという「平等の原則」を導入する(これまで派遣労働者の賃金水準は、同業種の労働者の平均賃金水準とくらべて最高で30%下回っていた)。ただし、クリスマス手当てや休暇手当てなど1回限りの賞与支払いについては「平等の原則」の適用外とし、また、派遣後最初の6週間については、企業は派遣労働者との間で自由に賃金水準を決めることができる。

 なお、ハルツ改革案では、①PSA派遣労働者の試用期間中の賃金は失業手当支給額相当額とする、②試用期間終了後はPSAのために取り決められた賃金協定が適用されるとしていたが、労働組合の猛反発にあい、法案では上記のように大幅な譲歩を余儀なくされた。 法案を作成した労働・社会省では、PSAの仲介によって2003年に5万人の失業者が新しい職場を見つけることができるようになるとしている。

③職業教育

 失業者に対する職業教育の内容や職業教育を行う事業者の適性については今後、外部の専門家によって認定されることになる。 この措置の目的は、職業教育を行う事業者の競争を促し、職業教育の内容の充実を図るとともに、連邦雇用庁の管理負担を軽減することにある。

④賃金保証

 55歳以上の失業者は職業安定所を通じて賃金保証を受けることができる。これは、高齢者が低賃金の職業に就くことを促進するための措置であり、失業前の高い賃金と新しい職場の低い賃金の差の半額が補助金として支給される。補助金は当該者が新しい職に就かなかった場合に支給されることになる失業手当の支給期間にわたって支払われる。政府は、補助金支給による歳出増は失業手当の支給減によって相殺されるとしている。この規則の適用期間は2005年末までである。

【第2法案】

①つなぎ資金

 55歳以上の失業者には、PSAの職業仲介を受けないという選択肢も残されている。この場合、当該の失業者は失業手当支給額の半額相当の「つなぎ資金」を受け取ることができる。この「つなぎ資金」は可能な最も早期の年金受給開始時まで支給される。ただし、支給期間は最長で5年間であり、この規則の適用期間は2004年末までである。

 なお、野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)は、この規則は新しい形態の早期年金制度であるとして反対しており、この制度が政府によって失業統計を低く操作する道具として使われることになるのではないかと警戒している。

②個人企業

 失業者が個人企業として独立した場合、その所得が2万5,000ユーロを超えない場合には、最高3年間にわたって職業安定所から創業補助金が支給される。創業補助金の支給額は初年度が月額600ユーロ、2年目が同360ユーロ、3年目が同240ユーロである。創業者は公的健康保険や年金保険に加入することもできる。また政府は、一定限度の売上高の零細企業に対しては現行よりも低い税率の総合課税を課する新しい特別税法の導入も検討している。

 失業者による手工業の創業もより容易になる。手工業の分野では失業者は開業するに当たって「マイスター資格」を取得する必要がなく、「当該分野で要求される知識と技能」を持っていると認定されただけで、手工業者としての特別認可を取得でき、手工業者として登録されることになる。

③ミニジョブ

 法案では、月額収入が500ユーロまでの家事関連サービス(ミニジョブ)に対して、社会保険料負担比率の10%への引き下げや、税制優遇措置などの特別措置を盛り込んでいる。ミニジョブに対する特別措置導入の狙いは、この分野で広がっているヤミ労働を削減することにあるが、同時に政府は、約10万人のミニジョブ労働者による社会保険料の支払いによって、年間5,000万ユーロの歳入増が期待できるとしている。

 政府が連邦議会に提出した労働市場改革法案の概要は以上のとおりであるが、これらはおおむねハルツ改革案の内容に沿ったものとなっている。

 しかし、法案作成の過程で労働組合の反対などによって改革の中身が大幅に後退したものも見られる。特に、第1法案における派遣労働者の賃金に対する「平等の原則」の導入は、産業別賃金協定による高賃金を避ける目的で派遣労働を利用して何とか競争力の維持を図ってきた企業にとっては、大きな打撃になるものと考えられる。また雇用労働者の賃金の引き上げは企業が派遣労働者の雇用を手控える要因にもなり、その意味で、「平等の原則」の導入は改革と逆行した動きとも受け止めることができよう。

 また、第2法案については、前述のように野党が多数を占める連邦参議院の審議が必要なことから、仮に法案が成立したとしても中身が大幅に修正されるといったケースも考えられ、その先行きは不透明である。

 第2次シュレーダー政権による労働市場改革は緒についたばかりであるが、ハルツ改革案がそもそも失業者の就業あっ旋の効率化を目指したものであり、新規雇用創出の処方箋は盛り込まれていないという指摘も考え合わると、失業削減がどの程度実現されるのか、その先行きはきわめて多難という印象を受ける。

注)ドイツ連邦基本法によれば、州の利害にかかわる法案については連邦議会の承認を経た後、連邦参議院の承認が必要。

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