2018/11/07 No.408カレーミョにおけるチン族~ITIミャンマー研究会現地出張報告(12)~
藤村学
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
青山学院大学 教授
ザガイン管区のカレーミョまで来ると、 ビルマ族よりはチン族が多数を占めている。カレーミョがあるザガイン管区の隣はチン州、カチン州に次いでミャンマーで2番目の貧困州である。周辺のチン族の若者は、交通の比較的便利なカレーミョに働きに来ている。今回はカレーミョにおけるチン族について伺った。(聞き手は大木博巳ITI事務局長)
ビルマ族の地域、ザガイン管区も、カレーミョまで来ると、チン族が多数派であるようです。
今回の視察で学んだのは、カレーミョ(カレー)とその周辺は主にチン族が住んできた地域であったということです。今回訪問したカレー大学でいただいたパンフレットによれば、Kalay Township(カレーミョ市を含むカレー郡区)の人口は約40万人で、うち55%がチン族、35%がビルマ族、残り10%がその他となっています。同大学の地理専門の教授によれば、流入民はチン族が多く、出稼ぎなどの流入民を除くとカレーミョ市内の人口は10万人弱で、小学校以上の公的教育はビルマ語で行われています。
国境を越えるヒトの流れとしては、この地区に多く住むチン族が、ミャンマーよりは賃金水準の高いインドのミゾラム州やマニプール州のガーメント産業などへ出稼ぎに出ていく流れがメインだとのことです。
インドとの結びつきも強い。
チン族はミャンマーのチン州だけでなく、インドの西隣のミゾラム州や北隣のマニプール州にも多数住んでいるということです(上図参照)。戦後にビルマ族が過半を占める国家としてミャンマーが英国から独立する際に、広範囲にわたって住むチン族を分断する形で国境が引かれ、国境近辺の住民は、インド人となるか、新生ビルマ人となるか、選択を迫られたというような事情だと推測します。ミャンマー側では、ミゾラム州に残ったチン族を「ミゾーチン」と呼び、ミャンマー国籍をもつチン族とは区別しているようです。
チン族の多くは仏教徒ではなくキリスト教徒です。
カレーミョ市街にはキリスト教の多様な宗派の教会があります。市街西側にはPresbyterian(長老派)の教会が5つほどあり、東側にはメソジストの教会が2件、南側にはカトリック教会も見ました。市街中心部のマーケット周辺にはメソジスト教会が建設した病院や商店街倉庫などがあります。隣のチン州は人口47万人のうち、9割がキリスト教徒だという情報もあります。
宿泊したホテルの男子スタッフがチン州出身で、キリスト教徒でした。彼がガイド役になってくれ、Tehan Theological Collegeという長老派の神学大学を訪ねました。1978年に創立され、敷地は34エーカー(約14ha)。神学関連3学科に加えて英語学科もあります。学生数は現在156人で、ほとんどがチン族です。
構内にはここに客員でやってきたImmanuel教会のスウェーデン人が寄付した図書館や長老派信徒の韓国人夫妻が寄付したチャペルがあります。そこで聞いたところでは、ミャンマーに最初にキリスト教が伝わったのは200年ほど前で、カチン州にアメリカ人伝道師がバプティスト派をもたらし、チン州へは1889年、インドのミゾラム州から長老派が伝えられたといいます。
上述のガイド氏もホテルの若い女性スタッフたちも英語が流暢なチン族でした。ミャンマーの辺境州に住む少数民族にとって、キリスト教会が現地住民の教育や福祉に貢献するとともに、英語習得の機会を与え、ひいては彼らに経済機会をもたらすという連鎖があるのだと思います。多数派のビルマ族にとって、僧院学校(日本の寺子屋に相当)が低所得層に社会福祉・教育の機会を与えてきたのと類似の構造でしょうか。
ガイド氏は、カレー大学の通信大学の英語科を昨年に卒業したとのことですが。
カレーミョとその近郊にはカレー大学、カレー工科大学、コンピュータ大学(University of Computer Studies)の3大学があります。
カレー大学は、2003年にカレッジから総合大学に格上げし、チン州とザガイン管区を管轄区に住む学生を対象としています。
面積は285エーカー(約113ha)と広く、医学、工学、情報科学以外の人文、社会、自然科学の12学部を擁し、学生数は約1万5,000人、うち半数は通信制学部(distance education)の学生です。
大学構内はバイクだらけでした。学生寮の収容人数が限られているうえ、広いキャンパス内を歩いて移動するのは大変なので、学生たちはほぼ全員バイクで通学しているようです。収入のない学生がバイクを購入するのは困難でしょうから、裕福な家計でないとこの大学にフルタイムで子供を通わせることはできないのではないかと思いました。
フルタイム学生の学期は12~3月と6月~9月の2学期制で、通信制の学生は、フルタイム学生の休暇期である4~5月と10~11月にだけキャンパスにやって来る仕組みになっています。学生の民族構成は不明ですが、大学の管轄範囲からすると、チン族が過半だろうと思います。
通信大学は1970年代に遠隔地での教員養成のためにヤンゴン教育大学に本部が置かれた通信大学がはじめでした。1992年に教育省が法律、経済など文系に限って正規の大学として全国各地にキャンパスを設置した。
カレー大学の通信大学は、マンダレー大学のサブプログラムで、医学・工学を除く15専攻があります。登録学生は学年ごとに当概年のテキストを渡され、毎学期、3か月自習ののち、1か月間キャンパスで集中的に講義を受け、その後、試験を受けるということです。終了率は8割ほどだそうです。
通信制の大学では働きながら学ぶことが可能ですから、家計に余裕がない人たちはこちらを選ぶでしょう。授業料は2学期制の1学期あたり4~5万チャット(約3,000~4,000円)ということですから手が届く範囲でしょう。
コンピュータ大学はいかがでしたか。
コンピュータ大学はカレーミョ市から東へ約20km、カレーワへのちょうど中間に位置します。2001年6月に開学し、敷地は39エーカー(約16ha)と小ぶりです。コンピュータ科学分野で7つの学科、自然科学分野で3つの学科、計10学科あり、卒業授与学位はコンピュータ科学(BCSc)もしくはコンピュータ技術(BC Tech)の2つです。
カリキュラムは5年制で、4年間はキャンパスで過ごし、5年目は企業実習です。学生数は約250人と少数精鋭です。学生の3分の2はチン族で、キャンパス内の寮がまだ不十分なため、外部のアパート(hostelという表現)からバイクや送迎バスで通います。卒業後の就職先は地元のチン州とザガイン管区が多いそうです。教員数は約50人でその約半分はチン族だとのことです。
市内ではヤマハやホンダのオートバイが走っていたとのことです。
カレーミョの市内中心に広がるマーケットを視察したところ、屋根付きのメインの建物(2006年ごろ火事で全焼して建て替えたという)の中央にバイク駐車場があり、輸入バイクが並んでいました。上述のガイド氏によれば、Ray Zというブランドのヤマハの中古はインドから、Clickというブランドのホンダの中古はタイから来たものだといいます。街角にヤマハやホンダの新車販売店も見ました。
携帯電話店の店先に並ぶのは華為(ファーウェイ)などほぼ中国製で、キーパッドだけインドからの輸入品でした。衣料品については、伝統的デザインのものはミャンマー製ですが、Tシャツやジーンズ等は中国からの輸入品です。
どこから運ばれてくるのでしょうか?
これら中国製衣料はマンダレーのほか、タムー国境かムセ国境で仕入れているそうで、ムセには大規模な卸売市場あり、そこへはトラックで往復数日がかりで仕入れに行くとのことでした。
上述のカレー大学の地理専門の教授によれば、カレーミョ市内の消費財の多くはマンダレー方面かインドとの国境タムー方面から運ばれてくるそうですが、マンダレー方面からの消費財はムセ国境から運ばれた中国製品が大半でしょう。さらに、マンダレー経由でなく、北部の山岳地帯を通って中国から入ってくる商品もあるそうです。そのルートは想像を絶する悪路だと思います。
カレーミョでは、「Mr. Jin」という日本食レストランがあり、久しぶりの和食にありつけた。
宿泊ホテルの近くに「Mr. Jin」という名前の日本食レストランがありました。メニューは、カレーライスやチャーハンなどの定番品です。お辞儀や丁寧な挨拶で日本式のおもてなしをしてくれました。
オーナーは、カレーミョに長年住んでいる日本人だと期待しましたが、会ってみると、カレーミョ出身の長老派教徒で、れっきとしたチン族ミャンマー人でした。過去に5年間、日本の焼肉屋(川崎市)で働いたことがきっかけで、2017年9月に日本食レストランを開いたとのことです。
日本人の知り合い2人と組み、中国向けの乾燥コンニャクや日本向けのコンニャク粉を生産すべく、コンニャク栽培を始めたところだとのこと。
オーナーの本業は、和食店ではなく、鉱山開発の山師であったとのことですが。
詳しい話を聞くと、このオーナー氏の本業は鉱山開発で、チン州にはSnake Hill, Bubibom Hill, Wibra Hillと呼ばれる主要な3つの鉱山があり、他州よりも鉱物資源の種類は少ないが、火力発電所用の石炭、セメント用の石灰岩、クロマイト(自動車のスプリング用など強度を必要とされる金属)などが採れるそうです。
ネピドーだけでなくチン州政府の当局15か所の役所の認可を経て、500エーカー(約225ha)ほどの採掘権を獲得し、石灰岩の採掘は開始したとのことでした。店の奥から鉱石のサンプルを持ち出してきて熱心に語ってくれましたが、「なぜそこに日本人が?」という想定から完全にそれてしまいました。結論として、カレーミョに4泊した限りでの見聞では、日本人のプレゼンスは確認できませんでした。
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