一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2019/03/19 No.420最後のフロンティア、ミャンマー再考〜2020年の総選挙後にミャンマーのゴールデンタイムが到来〜

工藤年博
政策研究大学院大学 教授

ITI(国際貿易投資研究所)は、さる3月4日にセミナー「ASEAN最新事情講座:ミャンマー経済の現状と将来展望」(国際機関ASEANセンターとの共催、公益財団法人JKA後援)を開催した。貿易、物流インフラ、投資政策、人材育成について4名の講師による発表を踏まえて、政策研究大学院大学教授工藤年博氏から、ミャンマー経済の現状と展望について総括をしていただいた。以下は、工藤年博教授の発言要旨である。(取りまとめ 大木博巳ITI事務局長)

ミャンマー経済の減速について

4人の発表者の皆さま、ありがとうございました。これだけ多面的、包括的にミャンマーの経済、産業、貿易、コネクティビティー、人材についてお話をいただける機会というのは、非常に貴重だと思います。私自身とても勉強になりました。会場の皆さまにとっても、良い機会になったのではないかと思います。まず発表者の皆さまにお礼を申し上げます。

4人の発表者のお話を踏まえて、アウン・サン・スー・チー政権—2016年の3月に発足したわけですけれども—の3年間の、特に経済運営について、現状と将来の展望を考えてみたいと思います。

何人かの発表者の方からご指摘がありましたが、ミャンマー経済は今踊り場に来ているのではないかと。私もそういうふうに思っております。スー・チー政権になってこの3月でちょうど3年になりますが、ほぼ全期間にわたってミャンマーの景気が減速している、成長が鈍化しています。

ちょうどスー・チー政権が誕生したタイミングで経済成長が鈍化したということで、たとえば私の友人のミャンマーの実業家達も、かなり不満を溜めているところがあります。しかし、今回の成長鈍化が全てNLD(国民民主連盟)政権のせいというわけではありません。大きく分けると、NLD政権であるがための要因と、それから構造的な要因というのがあると考えています。

まずNLD政権であるから、少し経済減速しているのかなというふうに思われる点ですけれども、一つ目は、アウン・サン・スー・チーさんの政策の優先順位ということです。NLDは2015年の11月の総選挙で勝ったわけですが、そこでの最重要の選挙公約、最大のスローガンというのは、「国民和解・民族和平」ということでした。経済成長についても、「平和なくして経済発展なし」といっていました。平和がまず最優先課題ということで、連邦和平会議—いわゆる21世紀のパンロン会議—に力を入れてやってきた。これ自体は悪い話ではもちろんないですが、スー・チーさんの多くの時間をこれに注力をしたということで、経済政策や経済運営のところが若干おろそかになったという面がある。これが第1の理由です。

行政経験・能力の不足が露呈

それから、2点目は、前政権のテイン・セイン政権と比べて、経済担当大臣の実質的な決定権限が弱くて、その人たちの行政経験、経済運営に関する知識、経験が不足していたことが挙げられます。

スー・チー政権が誕生したときに、それまでの国家計画を担当していた国家計画・経済開発省と財政・歳入省という予算を握っている省を合体させて計画・財務相という巨大な省をつくりました。今回、そのうちの一部が、投資・対外経済関係省に切り離されたわけでありますが。スー・チーさんは計画・財務大臣が、経済の司令塔になるという絵を描いていたのではないかなと思います。しかし、現実にはそのときの大臣—この大臣は2018年5月に辞任をしていますが—は経験・知識不足であった。彼はもともと前の社会主義時代の計画・財務省のときの係長ぐらいで官僚を辞めた方です。行政経験といっても社会主義時代のそれですし、知識も不足していたのだと思います。市場経済、対外開放を前提とした経済の司令塔にはなり得なかった。そういった事例がほかの省庁でもありました。結果として大臣が自分で自信をもって決断できないので、すべてスー・チーさんに上げる。スー・チーさんの時間は限られていますから、当然案件が決まらないまま溜まっていったわけです。しかも、スー・チーさん自身も経済政策・経済運営についてはプロではありませんから、正しい判断ができるとは限らない。このような状況で、前政権に比べれば様々な経済政策や案件がスローダウンしたというところがあったと思います。

頭(トップ)が代わっても首(官僚)が変わらなかった

それから、三つ目ですけれども、今もそうですが、高級官僚、行政官、特に局長以上は、やはり国軍出身の方が多いわけですね。それまでは、大臣も自分の先輩の軍人出身の大臣が来るわけですから、怖いですし、人間関係もありますし、ある意味ではコミュニケーションもいいわけですけれども、いずれにしても大臣が指示すればそれにしたがって仕事を進めてきたわけです。

しかし、そこに新しい大臣がぽっと来て、しかもあまり政策や行政に精通していないわけです。当然、高級官僚、局長のほうがその分野についてはよく知っているわけですね。新しい大臣と高級官僚との間には人間関係もないわけです。大臣が局長連中をうまくコントロールできるとは限らないわけです。官僚には官僚なりのアジェンダがあり、あるいは彼らの既得権益なんかもあるわけですね。行政に疎い新大臣はそういったものを切り崩すことはできない。頭が変わっても首が変わらなければ方向は変えられないという諺がミャンマーにはありますが、そういった状況があったのだろうと思います。

以上がNLD政権であるがための経済減速の要因です。

一時的要因で好景気が実現

しかし、それだけではありませんで、やはり構造的な要因というのもあったというふうに思っております。思い出していただきたいのですけれども、ミャンマーがアジア最後のフロンティアといわれるようになったのは、正確には2012年のアメリカの経済制裁の実質的な解除からだったというふうに思います。この制裁解除によって、ミャンマーを取り巻く国際経済環境が大きく変化をし、外国投資も、外国企業もミャンマーに注目をして、あるいはODAですね、政府開発援助なんかも復活すると。それをミャンマー政府、当時のテイン・セイン政権は、自分たちも自由化をするという中で、うまく取り込んできたということですね。

携帯電話の事例がありまして、私が2000年頃にヤンゴンに住んでいたとき、一台買うとなると大体20万円とか、30万円というお金を出さないと買えなかったのです。携帯電話の普及率は数%だったのですね。それが外国投資を受け入れるようになって、外資が入ってきて、あっという間に電柱を立てて、携帯電話を普及させて、もう今は100%になっています。20〜30万円から150円にまで下がったということが起きたわけですね。

しかし、これらの効果というのは、ワンショット的なのです。つまり、ずっと抑えられたいたばねをふっとふたを外したことによって、ぽんと跳び上がるというようなところがあった。ある意味では、テイン・セイン政権期というのは戦後の復興のような状況があって、ある程度自動的な成長というのがあったと思います。

しかし、現在はもはや戦後ではないというような状況になっていて、そうした自動的な成長というのは期待できなくなりつつある。やはりこれから持続的な成長を遂げていくためには、インフラの整備であったり、あるいは法律を含めた制度整備であったり、あるいは、人材育成であったり、つまり近代的な市場経済を機能させるために「造り上げる」政策というのが必要になるんだろうというふうに思います。

もちろんスー・チー政権も一生懸命やっていると思いますが、すべてについて時間のかかる課題であると思います。したがって、そんなに簡単にこういったものが出来上がるということにはならない。それから、それがたまたま2016年のスー・チー政権の誕生とともに、ほぼやってきたということが、構造的要因の1点目であろうと思います。

自由化の副作用

2点目ですけれども、テイン・セイン政権のときは、このときは何しろ23年間続いた軍事政権から民政移管をして、そしてその政治体制を安定させなければいけないということで、国民がすぐに体感できる短期的な成果、いわゆるクイック・ウインズ(Quick Wins)を重視したわけです。先程指摘した携帯電話とか、あるいは日本の自動車の中古車の輸入自由化による自動車価格の大幅下落などです。そういった「民主化」の成果を、変化をみせて、国民が「ああ、よかったな」とその果実を感じられるような政策というものに重点を置いてやっていったわけですね。

その結果、経済は成長しました。しかし、急速な開発とか、あるいは輸入の自由化とかで副作用も起きていたわけです。例えば、ヤンゴンなんかはものすごく渋滞をするようになりました。それは毎年10万台ぐらいの中古車が日本から輸入されてくるわけですから当然です。道路整備もしないまま、輸入台数だけ増やしたわけですから、渋滞をする。あるいは都市開発、不動産開発も、例えば建築基準法とかさまざまな規制がない中で進むので、乱開発にならざるを得ない。そこに当然汚職なども起きるわけですから、これも対策をうたなければならない。正規化・正常化しなければいけないことが、たくさんあったと思います。

これらはNLD政権でなくてもいずれは取り組まざるを得なかった課題であったと思いますが、NLD政権であるからこそ取り組めたという面もあろうかと思います。ただ、結果として、ある意味での規制の強化や、許認可の見直しや、汚職対策とか、そういったものが成長を鈍化させたという面はあったのだろうと思います。こういう状況でこの3年間、少し経済減速があって、ミャンマーの経済も踊り場なのかなという認識が広まったのではないかなと思います。

「平和なくして発展なし」から「平和も経済発展も」へ政策変更

では、これを踏まえて、今後はどうなるのかということですけれども、私は、今後は、こういった今までの問題が解決されてくるのではないかなというふうに思っております。

まず一つ目は、スー・チーさんですけれども、明らかに経済重視という方向にかじを切っております。以前は「平和なくして発展なし」ということだったが、今は「平和も経済発展も」という政策に変ってきていると思います。その一つが、先ほど本間さんのほうからご紹介があった、MSDP(Myanmar Sustainable Development Plan)の作成であるとか、あるいはプロジェクト・バンクというものをつくって、インフラ事業をコントロールしながらも積極的に整備していこうというような政策も見えてきているのではないかなというふうに思います。

変化は起こらなかったが勉強期間は終了

それから、二つ目ですけれども、やはり3年たちました。当初は素人であったり、あるいはそれこそNLDの幹部の中には、軍事政権下で刑務所に長くいた人たちもいたわけですけれども、そういう人たちもこの3年間で勉強期間というのはほぼ終えたのではないかなと思います。国家運営や経済運営というものについても、だいぶ熟知してきたのではないかなというふうに思います。

それから、2015年のときのNLDの選挙スローガンに、「変化の時が来た」というのがありました。私なんかもNLDはものすごい大きな変化を起こすのではないか、ドラスティックな改革をするのではないかと若干心配していました。しかし、変化はあまりなかったというのが現状です。つまり、前の政権のやってきたことということを基本的に継続してきている。政策の継続性を維持しつつ、勉強機関を終えて、それをさらに進化あるいは深化させる。そういう時期にきているのではないかと思います。

最後に3点目ですけれども、やはりスー・チーさんには国民の支持があるということです。先ほど私のミャンマー人の友人、商売をやっている方なんかは、だいぶNLD政権に批判的になっていると言いましたけれども、批判の対象はあくまでも経済運営についてなのです。決して選挙で選ばれたNLDの統治の正統性について疑問を投げかけているわけではないのです。これは政治の安定の大きな要因となるでしょう。

ミャンマーのゴールデンタイムが到来

ミャンマーは来年2020年の11月に総選挙があります。NLDが議会の過半数を握るためには総選挙で7割近い議席を獲得する必要があります(議会の25%は軍人に議席が割り当てられているため)。これは簡単なことではありません。しかし、スー・チーさんが健康でいる限りという前提付きではありますけれども、NLD政権、あるいはNLDを中心とする政権は続くのではないかと思います。そうなると政治は安定していきます。そういう意味では、まさにこれからがミャンマーのゴールデンタイムということになると思っています。

もちろん、いろんな課題があります。ロヒンギャ問題、憲法改正問題、国軍との関係、中国との関係、ASEANの中での立ち位置など、数えればきりがありません。さまざまな問題はあるわけですけれども、しかしながらやはり政治が安定をし、まじめなミャンマー国民のポテンシャルが開花していくということがあれば、これからのミャンマーは非常に期待できるというのが私の展望であります。

これから5年間の時期がとても大事な時期だと思います。ミャンマーとしてなにをやるのか。「スー・チー後」を安定させるためにも、今後5年間で「造り上げる」政策を全力でやらなければなりません。日本企業の皆さまの活動はそうしたミャンマーの国造りに貢献できると思います。ぜひこの機会をとらえて、日本企業の皆さまもミャンマーで何をやるのかということを考えていただければよいと思います。

以上です。ありがとうございました。

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