一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2020/08/12 No.470債務繰り延べに目処、アルゼンチン左派政権の政治経済運営の変化

堀坂浩太郎
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
上智大学 名誉教授

コロナ禍の克服と、その下でのギリギリの経済運営を続けながら成長回復の燭光を何とか見つけ出すことが、どの国の政府にとっても喫緊の責務となっているが、南米の食糧輸出大国・アルゼンチンの場合は、それらに加え、GDP(国内総生産)の90%近くに上る膨大な債務の処理が重くのしかかっている。この二重、三重の危機対応を迫られているのが、昨年12月、4年ぶりに政権の座に復帰した左派・ペロン党(正式名称は正義党)のアルベルト・フェルナンデス大統領である。交渉に交渉を重ねて、8月4日漸く、主要債権団との間で総額約650億ドルに上る外貨建て債券の減額・再発行の手段を使って返済繰り延べにメドをつけ、ひと息ついたところだ。この間に見えてきたのは、南米ポピュリズム(大衆迎合主義)のいわば元祖的な存在であった正義党政権の、現実認識の前進である。

ペロン党は、1940年代半ば、労働者階級をベースに陸軍軍人フアン・ペロンを軸に結成された政党で、工業の国産化を推進、時には外資排斥を打ち出すなど、アルゼンチン・ナショナリズムの根幹をなしてきた。社会正義を思潮に「正義党」と名乗り、カリスマ指導者を擁する中南米典型のポピュリズム政党とみられてきた。ペロン自身3度大統領職に就き、1983年の長期軍政から民政への移管後も、89年から99年(メネム大統領)、2003年から15年(キルチネル大統領およびその後継者の同夫人クリスティナ・キルチネル大統領)と長期にわたり政権の座を占めてきた。その半面、「ヨーロッパのパンかご」と称されたこともある肥沃な国土を強みとした、輸出志向の小麦・大豆・雑穀・畜産などの農業生産者とは、利害がしばしば対立し、政治波乱の基底をなしてきた。

現フェルナンデス政権も、正しくそうした対立構造を背景に誕生したといえる。2015年12月に発足した前政権のマウリシオ・マクリ大統領は、中道右派を糾合して「カンビエモス」(政党連合名で、語彙は「変革しよう」)をうたい、新自由主義経済路線を採用、一気に市場開放に動いた。国際経済界から高く評価されるところとなり、18年11月には、日本との間でも投資協定が締結されている。ただその後は、“ジェット機並み”と揶揄された急激な経済活性化策によって、物価高騰、為替暴落、財政肥大、外貨不足と深刻な経済危機を招き、昨年10月の大統領選挙で正義党政権の復活を招いたのである。19年の経済は、2年連続の後退でマイナス2.2%、インフレは年率53.8%、貧困率(生活に必要な基本的ニーズをみたせない世帯比率)は35%に達していた(マクリ政権が残した負の遺産については、桑山幹夫の論考「フェルナンデス新政権はアルゼンチン経済を立て直すことができるのか?」ラテンアメリカ協会研究所19年12月20日発行を参照)。

果たして、大衆迎合的な思考をもつペロン党に、国民に犠牲を強いるこの難局を乗り切れるのか、債権者はもとより、国内外の不安の的となってきた。フェルナンデス大統領は、2003年から08年まで、キルチネル政権下で内閣官房長をつとめた正義党系のテクノクラート。しかも19年大統領選に勝つべく、党内で絶大な影響力を保持するクリスティナ元大統領を副大統領に擁し、同国憲法の規定で彼女は目下、上院議長でもある。5月には、ブラジルのルーラ、ウルグアイのムヒカ両元大統領など、2000年代初頭、中南米で中道左派政治の潮流をつくった元大統領やリベラルな学者らが集まるフォーラム「プエブラ・グループ」にビデオ出席し、人民重視の旗色をはっきりさせている。

8月4日の合意の詳細は政府発表等に譲るとして、債務返済開始は来年まで先送りとなり、今世紀に入り01年、14年に続き3回目(史上9回目)となるデフォルト(債務返済不履行)を回避し、債務負担も額面で45%強軽減される計算となる。同国政府は8月24日までに他の債権者の了解を取り付け、9月4日には合意を正式発効させたい意向だ。

ただ、これは債務解消の第一歩にすぎない。3月にIMF(国際通貨基金)スタッフが公表した「テクニカル・アシスタンス・レポート」によると、2019年末のアルゼンチンの総債務残高は3,234億ドル、GDPの88%に達する。今回合意した650億ドルは、同国で「外国法に基づく国債」カテゴリーに分類される外貨建て債務に相当する部分で、その大半はキルチネル政権時代に借り換えた2005年債、10年債およびマクリ政権下の16年債である。このほか、「国内法にもとづく」外貨建て債務が238億ドル、同・自国通貨のペソ建て債務がドル換算で365億ドルあり、国際機関からもIMFの441億ドルのほか計680億ドル、パリクラブ(債権国会議)参加等の外国政府機関からの借り入れが54億ドル、州債務が206億ドルとつづく。債務合計額のうち、外貨建ての総額は1,700億ドル、非居住の外国民間保有の債務総額は795億ドルと、債務構成は複雑そのものだ。

今回の交渉は、3月20日にIMFから、同国の債務状況は「持続不能」「民間債権者の十分な助けが不可欠」との“お墨付き”を得た後、4月16日に債務再編案を発表、5月22日には期限の来た5億ドルの返済を(保有外貨準備高約430億ドルからみれば支払い可能であるにもわらずからず)意図的に止めて「テクニカル・デフォルト」状態に持ち込み、8月4日まで計6回にわたり交渉期限を延期した上での合意であった。過去幾度も経験した借り換えの交渉実績をもつ粘り腰がうかがえる。今回の合意が最終決着となれば、他の債務交渉にもメルクマールを与えることにもなり、最前線で交渉に当たったグスマン経済相の「パンデミック終息後の再出発のプラットフォーム」との発言は、あながち大げさではない。

コロナ禍の状況だが、8月4日時点での感染者数は、米ジョンズ・ホプキンス大学の集計で20万6,743人、死者3,813人である。流行の新たなエピセンター(中心地)として警戒される中南米の中では、世界20位の感染者数である。同国の人口は約4,500万で、中南米4位の規模ではあるが、感染者数の順位は米国に次ぎ世界2位のブラジル(感染者数275万318人、死者9万4,665人)や6位のメキシコはもとより、ペルー(7位)、チリ(8位)コロンビア(9位)と比べてもかなり少ない。3月3日に最初の感染者が見つかると、2週間後の20日には全国規模のロックダウン (強制隔離措置)に踏み切った。感染者100人強、死者3人の段階のことだった。

ブラジルの経済誌Exameは、大統領就任前まで、法学部で教鞭をとっていたフェルナンデス大統領が、与野党の市長・州知事を伴い、グラフや統計を示しながら教師然の口ぶりで説明する光景は、国民にリーダーシップを示す格好の場となったと、その早い対応に驚きを交えて報じている(5月27日付け)。政権発足4か月後のことで、機動力の発揮は政権支持率の引き上げにつながったが、それから4か月後の7月末、感染者数増加を受けブエノスアイレス首都圏中心に8月16日までロックダウンの延長を決めている。

ただ、政策の振れは少なくない。4月には、メルコスール(南米南部共同市場)が進める第三国とのFTA(自由貿易協定)からの離脱、6月には穀物大手商社ビセンティン社の国有化、7月には裁判所増設の司法改革案が、政府の決定事項として流れた。これらのニュースは、隣国のブラジル・ウルグアイ・パラグアイ3か国と結成する関税同盟メルコスールからの脱退、国有化路線の復活、汚職疑惑がつきまとうクリスティナ副大統領の擁護策といった憶測や疑惑を呼び起こした。正義党政権内の複雑な路線温存ぶりが露呈された形だが、結局のところ、いずれもフェルナンデス大統領自らが否定することとなった。

新型コロナで中南米経済は「過去100年最悪の縮小」が予想される事態に陥っている。国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)が発表した最新(7月15日)の分析によるものだが、中でもアルゼンチンは、今年は前年比マイナス10.5%と最も落ち込みが大きい部類に入る。一貫した経済復興策を立案できる段階ではまだとてもないとみられるが、少なくともこれまでのところ、伝統的なポピュリズムへと大きく傾斜する兆しはみられない。選出時にはメディアで、クリスティナ副大統領の「操り人形」との見方も報じられたフェルナンデス大統領だが、その後の動静をみる限り副大統領の影はそれほど大きくはない。

この点、アルゼンチン観測筋の間で関心を呼んだのは、7月下旬、海外メディアとして大統領との初の独占インタビューを2度にわたり報じた英フィナンシャル・タイムズ紙の記事である。「債権団に譲歩しない」とのタイトルで報じられた債務交渉最終案提示後の20日付け(日本経済新聞電子版に翻訳転載)で、「クリスティナと話をするのか? するよ。彼女のアイディアを取り入れるかって? もちろんだ。しかし決定を下すのは自分だ」と結んでいる。それだけでは足りないと思ったのか、5日後の25日に独占インタビューに再度応じ、「ヘンリー・フォード式資本主義を評価」と題する記事で、「投機の資本主義ではなく、雇用、投資を生む資本主義が求められている」「グローバリゼーションは後戻りできない」との主旨の発言を重ねている。

労組や地方政府には強硬なペロニスタ(ペロン主義者)が少なくないが、過去のペロン党政権時代からの置き土産でもある対外債務問題に加え、未曽有のコロナ禍に直面して、身内のことばかり主張し続けることが許されない現実主義的な認識が正義党政権内に生まれてきたように伺える。

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