2003/08/20 No.49首相の犯罪は歴史の審判に待つのか?
〜マフィア裁判から10年〜
長手喜典
(財)国際貿易投資研究所 欧州研究会委員
元北海学園北見大学 教授
1970年代から80年代にかけ、7度もイタリア首相の座にあり、閣僚経験に至っては、間違いがなければ、33回を数えるイタリア政界のドン、アンドレオッティ元首相の裁判について、7月下旬のラ・レップブリカ紙(ローマ)が、久しぶりに報じていた。これを機会に、概要をまとめて紹介してみよう。
わが国の田中元首相はロッキード裁判で、その政治的生命を失ったが、アンドレオッティ首相の場合は現在も上院議員であり、新聞もセナトーレ(=上院議員)と呼んでいる。かってのような政治的実権はなくなったにしても、キリスト教民主党系の議員の間には、依然として、隠然たる影響力を持つと言われる。
この元首相の犯罪が検察側に起訴され、それまで何度となく捜査通告を受けながら、議員特権を楯に逮捕を免れてきたア上院議員が、遂に法廷で裁かれるようになったのは、90年代に入ってからである。
逆転有罪の記者殺人事件
元首相の容疑は大きく二つに分けられる。一つはペルージアの法廷で裁かれてきた新聞記者ペコレッリ殺人事件で、1979年、当時のマフィア犯罪の核心に迫った件の記者が、ローマで消されるという事件があった。この明らかにマフィアによる殺人に、元首相が係わっていたとの疑いが持たれたのだ。
第1審の判決は無罪であったが、2002年11月のペルージア高等裁判所の控訴審では、ア上院議員に懲役23年の実刑判決が下され、世間の耳目をそばだてた。かねてイタリアの裁判には、政治色が色濃く出ることで、検察官や判事の資質を問題視する向きがあるが、このように無罪から有罪へと180度転換した理由として、新証拠による新たな判断があったとは言われておらず、元首相からマフィアのボスへ、記者殺害の「使唆」があったかどうかという事実認定にかかわっているようだ。
いずれにせよ、破棄院(日本の最高裁に相当)で、さらに争われるのは必須であるが、その後の様子はまだ伝わって来ない。
パレルモの闇
もう一つはシチリアのパレルモで争われてきたマフィア結社罪に関するものだ。こちらの方は1993年5月にパレルモ検察庁が元首相を起訴したのが、事件の公式の始まりである。1999年9月に第1審の判決があり、ア上院議員がマフィアに係わった状況証拠なしとして、無罪を言い渡した。しかし、これに対し検察側が上告し、2003年5月、まさに、10年裁判の結果、控訴審(日本の高等裁判所に相当)は、再度、ア上院議員の無罪を判決した。
ただし、この第2審の方は、ア上院議員が完全な白というわけではなく、少なくとも、1980年までの期間には、元首相がマフィアと係わりを持っていたとの状況証拠を見出せるとし、にもかかわらず、すでに時効が成立しているというものであった。 したがって、ラ・レップブリカ紙も“アンドレオッティは80年まではボス(マフィア)に近かった”(カッコ内は筆者注)と6段抜きの見出しで報じている。今回マスコミで話題になったのは、この控訴審の1520頁に及ぶ判決理由の最後の13頁に述べられている、例え、時効とはいえ、元首相に責任を問う裁判所の重い判断である。
1980年、当時のシチリア州政府のマッタレッラ議長が、政治のマフィアとの癒着を断ち切るべく、アンチマフィア活動に身を挺して、奮闘していた矢先、マフィアの手で殺害されるという事件があった。これに元首相が関係していたことを、今回の裁判では認めているのだ。
一方、世上で噂が絶えなかったのは、イタリア南部、とくにシチリアにおけるキリスト教民主党の選挙基盤確立のため、絶大なマフィアの集票能力を知る元首相が、いくつかのサロンで、数回はマフィアの幹部と会っていたというのだ。しかし、当時のマフィアのボス、サルバトーレ・リーナと交わしたとされる「マフィア式接吻」については、裁判所も証拠としては認めていないようだ。
シチリア出身の欧州議会議員の死
このように元首相がマフィアに関係ありと見られるに至ったもっと最近の例は、1992年3月に起こった欧州議会議員サルボ・リマ(元パレルモ市長)の暗殺事件である。サルボ・リマはシチリアにおけるアンドレオッティ派の最有力議員であり、元首相の右腕として、70年代から80年代にかけ、キリスト教民主党の選挙対策で、元締め的役割を果たしていた。彼が当時イタリアで大々的に行われたマフィア狩りと、その裁判で手心を加える見返りに、マフィアに選挙協力を仰いでいたとされる両者のギブ&テイク関係は、彼の死でますますマスコミの関心を煽る結果となった。つまり、マフィア大裁判の92年2月の控訴審判決で、マフィア幹部の有罪が確定し、約束を果たせなかったサルボ・リマに対して、コーザ・ノストラ(後述)が報復したとの筋書きである。ときあたかもイタリアでは、92年3月総選挙の直前であり、話が符合しすぎるのだ。したがって、元首相にも捜査の手が伸びるのは時間の問題であった。
ここまでア上院議員の疑惑を述べるに急であったが、議員の無罪を示す論証も多くあるはずで、少なくとも、無罪判決のなかで裁判所は、元首相がその最後の方の内閣時代に、自らの生命と家族の危険をも顧みず、アンチマフィア対策を指示して、コーザ・ノストラに対決したことを認めている。したがって、当時、シチリア島の現地で、前述のサルボ・リマも首相の右腕となって働いたことも想像に難くない。
レップブリカ紙のア上院議員へのインタビュー
去る7月26日付の同紙は、両手の指先を拝むように合わせた同議員の大きな顔写真入りで、インタビュー記事を載せている。彼はコーザ・ノストラと戦った。最後の答えは歴史が物語るだろう”というタイトルが示すように、ア上院議員は自分の無罪を信じている。以下はQ&Aの要約である。
Q:無罪判決ではあるが、論告が二つに分かれていることをどう思うか?
A:10年間の裁判で、正確な考えを示すには、すべての裁判文書を検討してからでなければということを学んだ。
Q:1980年まではボスと友好関係にあり、時効に救われたというが?
A:この点は判決理由のもっとも忌まわしい部分だ。しかし、判決には白を示す多くの部分があり、その辺は私も夢中で読んだが、これからすべてを読まねばならない。まだ、深いコメントができる段階にない。
Q:選挙の支持をえるため、マフィアと良い関係を保とうとした点を、裁判官は重く見ているようだが?
A:確かに、最後の13頁で触れているような判断はあった。しかし、私は全体を見たい。繰り返すが、積極的に私の白を強調しているところが多い。今度は破棄院(最高裁)まで行かずに決着して欲しいものだ。
Q:裁判官は前もってあなたがマフィアとの危険な関係を考慮すべきだったと主張しているが、どう思うか?
A:裁判についての私の関心は、最終の結果だけだ。これまでの結果は私にとりポジティブなのだから、今後もその通りにと願っている(この最後の部分は“Amen”と表現されているので、筆者は“その通りに”と訳したことを付記する)。
(注)日本ではマフィアという言葉だけが一般化しているが、イタリアではナポリを中心とするカモッラ(組員7,000人強)、カラーブリア州のンドランゲタ(約5,600人)、シチリア島を本拠とするコーザ・ノストラ(約5,400人)などの暴力集団に分かれている。うち最も規模の小さいコーザ・ノストラが、マフィアと言われて恐れられているのは、かれら組員の間にオメルタと称される「沈黙の掟」があり、一般犯罪のみならず、殺人が常態化しているからである。90年代のイタリア官憲の努力でシチリアン・マフィアの動静は、一頃よりは沈静化している。一方、最近では、ナポリを縄張りとするカモッラの活動活発化が注目されている。
(追記〜その後の変化)「ペコレッリ記者殺害事件に関し、アンドレオッティ上院議員に無罪判決」
8月20日付フラッシュ49で取り上げたアンドレオッティ、元イタリア首相の裁判のうち、24年前ローマで起こったジャーナリスト、 ペコレッリ記者殺害事件(マフィア問題に突っ込みすぎた同記者の死体が車の中で発見された)について、10月末、破棄院(日本の最高裁に相当)はアンドレオッティ上院議員(以下ア上院議員)に無罪判決を言い渡した。
同事件は第1審は無罪であったが、2審では一転して24年の禁固刑を受け、高齢のア上院議員にとっては、終身刑に等しい判決であった。2002年11月17日、破棄院に上告し、約1年後、最終判決が出て、ここに同議員の無罪が確定したわけである。
もともと、マフィアを知りすぎた男を消すのは、彼等の常套手段であり、疑いを挟む余地はなかったが、本件にア上院議員の教唆があったかどうかが、争われた事件であった。破棄院は「第2審の有罪判決は、法律に従って導き出された単なる定理に過ぎない」として、結論を導くに足る証拠の不足、ア上院議員に疑いを向けるに至ったマフィア改悛者の陳述の信憑性など、犯行の動機付けが不十分で、事実を巡る憶測に憶測が積み重なったとして、第2審の有罪判決を退けた。
去る10月30日付のレップブリカ紙は犠牲者の姉(または妹)ロジータ・ペコレッリさんの判決に対する感想を載せているが、「アンドレオッティの無罪は思っていたとおりであり、死んだものの命は帰らない」と意味深長な言葉を発している。また11月24日付の同紙では、本件に関しては第1審の無罪判決で決着すべきであったとコメントしている。
いずれにしても、筆者の知り合いの在日イタリア人ジャーナリストの言を紹介すると、“イタリア人のうち、アンドレオッティの無罪を信ずる者などほとんどいない”という手厳しいもので、これで潔白の身となったアンドレオッティ元首相ではあるが、本当の歴史の審判はまだ下っていないのかも知れない。
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