一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2001/10/29 No.5えひめ丸事件にみる日米「心情」摩擦―公式謝罪よりも「涙」を―

木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹

「謝れ」「もう謝ったじゃないか」「もっときちんと詫びろ」「何度詫びれば気がすむのか」―― 一時はそんな泥仕合の様相すら呈したのが、えひめ丸と米潜グリーンビルとの衝突事故への対応をめぐる日米(言論機関)間の応酬であった。だが、ここに来て、事故の責任者に対する日本側の受け止め方には変化が表れてきたようにみえる。行方不明者の家族の見方もワドル前艦長に対する憎しみ一辺倒から原因究明を重視するトーンにシフトした感がある。事故を見る日本側の目を変える契機となったのはワドル前艦長の「涙」であった。米国政府の公式謝罪ではなかった。この間の経緯には単に日米の文化の違いに留まらず、心情や情念、さらには死生観といった深層心理レベルでの葛藤が潜んでいるように思われてならない。

<涙が契機に>

ワドル前艦長が涙ながらに遺族に謝罪したのは、衝突事故事故発生から実に約1カ月後の3月8日であった。この謝罪を遺族はどう受けとめたか。

邦紙報道によれば、直接謝罪を受けた行方不明者の家族の1人は「(これまで)前艦長に対する憎しみの世界で生きてきた。だが、心の中の怒りが空白になった」と語ったという。また、涙の謝罪というワドル前艦長が初めて見せた人間らしさに「この人も(弁護人からの指示など)いろいろな事情で謝罪の実現が難しかったのかなと思えた」と述べたり、「あなたも愛する家族を大切にして下さい」と伝えた遺族もいたという。もちろん、中には謝罪を受け付けない遺族もいる。だが、大勢は「やっと家族の思いが伝わった。ただ、前艦長が証言を拒否したり、真実を話さなければ、謝罪もうわべだけのものになる」(遺族の1人)との発言にみられるように、重点は前艦長への糾弾から原因究明に向けられ始めた感がある。

ワドル前艦長の「涙」が日本ではいかに大きな意味をもって受けとめられたかは、謝罪を報じる邦紙が揃って「涙」の文字をタイトル、あるいは記事中に使って強調していることからもうかがうことができる。

<もう十分謝ったじゃないか>

事故発生以来、米国は日本に謝り続けた。大統領が謝罪し、国防・国務両長官、在日大使が謝罪し、米政府特使を派遣して謝罪した。対日関係重視を掲げるブッシュ政権登場直後というタイミングにあったにせよ、米軍の事故により死傷者を出した他の外国のケースでの対応と比べても、異例と思われるほどの多大な対日配慮であった。だが、米政府高官たちが何度、公式謝罪を繰り返しても、遺族達の頑な気持ちはほぐれなかった。(その意味でも、ワドル艦長の涙の効果は劇的ですらあった。)

米側の目からは頑なとも見えたはずの日本側の姿勢に対し、米国内には感情的批判論も一部に台頭した。「どれだけ詫びたら日本の気が済むのか」――えひめ丸事件への日本の対応を批判する論評をワシントンポスト紙が報じたのは事件発生から3週間ほど過ぎてからであった。「日本にはもう十分詫びた」(We’ve Apologized Enough to Japan)と題する2月26日付同紙記事は、まずこんなふうに始まる。

「グリーンビルがどんなふうにえひめ丸を沈めるに至ったか、民間人がいたことと事故が関係があるかどうか、誰かがひどくいい加減なことをしたのかどうかは、私には言えない。私に言えるのは、あれが事故だったのだということであり、米国はすでに十分に詫びたということだ。米国は大統領以下、高官がみな日本に詫びている。だが、日本にとってはそれで十分ではないというのだ。えひめ丸乗員の家族が我々に要求するのは当然のことだ。だが、他の日本人(新聞論説や政治家など)が、我々にできる以上のことを要求するのは何なのだ。詫びろという要求はたえずますます強くなる。彼らは、米国人は日本人の死に対して傲慢で非情だと言いたいのである」。
 
同記事は続けて「かくまで詫びを要求するところに、日米の文化の差もあるのかもしれないが、同時に、そこにはたいへんな偽善が感じられる」と言い切る。その上で、従軍慰安婦や南京虐殺などの例を挙げて「日本軍の蛮行」と謝罪の欠如を糾弾した。これにひきかえ、米国ほどきちんと詫びる国はなく、黒人やインディアンに対する謝罪がその証左だというのである。極めつけは、「戦後の日本の安全を守ってきたのであり、日本の再建を助け、つねに日本の同盟国であり、最良の友でもあったのは米国である」とする結語の部分である。

要するに、①米国は十分に謝罪した、②日本は戦争責任を片付けてはいない、③安全保障、経済の分野で米国は日本を助けてきた――といのが、記事の論理骨格である。記事中には明示的に書かれていないが、③の後に来るのが「だから、これ以上米国の非を追求しないで欲しい」という本音であることは容易に察しがつく。

<「悲しみの涙」と「贖罪の涙」>

この記事に反論することはたやすい。「えひめ丸事故と日本の戦争責任問題という本来別個の問題をいっしょくたんに論ずるのはおかしい」、「米国では今でも差別が続いている」などと反論することは可能ではあろう。現に、そうした意見は日本でも散見される。しかし、そうした反論は事の本質を突くことにはならない。この問題の背後に潜むものを見出すには、ディベート術のレベルでの反論に留まるのではなく、日米の文化的差異にも着目する必要がある。邦紙報道によれば、フォーリー駐日大使は原因究明や被害者への補償に全力を尽くすと約束する一方、「米国では刑事責任の追及が想定される場合、法律的な過程が完了するまで、謝らないのが通例」と日米の文化の違いを指摘したという。

だが、問題の本質に迫るにはそれでも不十分だ。訴訟技術の差などで言い表されるような文化の差に求めるだけでは事態は説明しきれない。問題のさらなる核心は、文化というよりも、その背後にあるもの、心情、情念といった、より深いところでのすれ違いにあるのではないか。そこには、日米双方のいわば深層心理レベルでの葛藤が潜んでいるように思われる。

特に「かくまで詫びを要求するところに、…(中略)…たいへんな偽善が感じられる」とのポスト紙の指摘はいかにも的外れな見方だ。何故、日本は詫びを求めたか。賠償金が欲しいからでもなければ、「米国にできる以上のことを要求する」ためでも決してない。日本人にとって、欲しいのはただ一つ「心からの謝罪」だったのだ。

だが、謝罪にこだわる日本人の心的態度を「偽善」と断ずるところに、同紙の見方の限界を感じる。遺族にとっては、身内に襲いかかった、信じ難くも悲惨な事態を自らの不幸として受け入れるためには、どうしても必要なものがある。加害者の「贖罪の涙」である。肉親を失った被害者の「悲しみの涙」と加害者の「贖罪の涙」、この2つの涙がなければ、真のカタルシスは訪れない――これが日本側の執拗な謝罪要求の背後に潜む動機だったといっても過言ではない。卑俗な表現に直せば「詫び方が少ないからもっと詫びろ」というよりも、「死者のために一緒に涙を流して欲しい」というのが、事の本質だったように思われる。ただ、この屈折した心情を米国人が汲み取るのは難しいことであるのかもしれぬ。情念の衝動は我々日本人にとってすら、普段は無意識の闇領域に閉じ込められているからだ。

<「甘えの構造」で読み解く日米心情摩擦>

土居健郎著「甘えの構造」は、日本人にとって「涙のお詫び」の持つ魔術的・呪術的な役割についても触れている。土居は、同著の中で、日本人の罪に対する態度を描き出している例として、ラフカディオ・ハーンの「停車場にて」と題する随筆を取り上げている。ここで語られる人情の機微を損なわないように紹介するためには若干、長い引用になるが、御容赦頂きたい。

この話は、強盗をしていったん掴まった後、巡査を殺して脱走していたある犯人が、再び掴まって熊本に護送されて来たところから始まっている。駅前につめかけた群集を前にして、護送して来た警部が殺された巡査の未亡人を呼び出す。その女の背には小さな男の子が負ぶさっていたが、その子に警部が語りかけて、これがあなたのお父さんを殺した男ですよ、と告げたのである。すると子供は泣き出したが、引続いて犯人が「いかにも見物人の胸を震わせるような、改悛の情きわまった声」で、次のように語りだした。「堪忍しておくんなせえ。堪忍しておくんなせえ。坊ちゃん、あっしゃァ、なにも怨み憎みがあってやったんじゃねぇんでござんす。ただもう逃げてぇばっかりに、つい怖くなって、無我夢中でやった仕事なんで。……あっしぁァ坊ちゃんに、なんとも申訳のねぇ、大それたことをしちめえました。ですが、こうやって今、うぬの犯した罪のかどで、これから死にに行くところでござんす。あっしゃァ、死にてえんです。よろこんで死にます。だから坊ちゃん、・・…どうか可哀そうな野郎だとお思いなすって、あっしのこたァ、堪忍してやっておくんなせえまし。お願えでござんす……。」やがて警部は犯人を連れてその場を立ち去ったが、するとそれまで静まり返っていた群集が「俄かにしくしく啜り泣きをはじめ、」そればかりか付添いの警部の眼にも涙が光っていたというのである。

ハーンは「(日本人の)我が子に対するこの潜在的な愛情、これに訴えて、罪人の改悛を促した」点に最も深い意義を見出している。だが、土居はこの観察に満足していないようだ。「今1歩解釈を進めれば」と断った上で、土居は「犯人は子供を可哀想と思うと同時に、自分も実はこの子供と同じくみじめであることを悟ったといえないであろうか」と解説する。

「日本では、謝罪に際し相手に本質的には幼児のごとく懇願する態度を取り、しかもそのような態度は常に相手に共感を呼び起こすので、あたかもお詫びが魔術的な効果を持つように、外国人には見えるのであろう」、「見物の群集が啜り泣いたのも、ただ子供のためばかりでなく、改悛している犯人のためであったといって過言ではない。むしろ群集の眼には、子供も犯人もこの際渾然一体となって映っていたという方がより正確であろう」――土居の指摘は今回のえひめ丸事件の顛末に当てはめると奇妙なほど符合する。ハーンの随筆に登場する殺された巡査を犠牲者、犯人をワドル前艦長、子供を遺族、群集を日本国民に見たてると、この物語を構成する原理はえひめ丸事件のそれに収斂するのだ。登場人物全員が泣いている。仮に犯人の涙がなかったらこのドラマは成り立たぬ。そして、これこそが、えひめ丸事故で、米政府の公式謝罪よりも加害者の涙の方が遺族達の心をずっと大きく動かした理由だと思われるのである。

土居によれば、「甘え」とは、「一体化を求める依存欲求であり、分離についての葛藤と不安が隠されている心理」でもあるという。「甘えの構造」とは、相手の好意を期待し、また期待されたほうもそれに応えるという心に他ならない。それゆえにこそ、甘えが裏切られた時には、「すねる」「ひがむ」等のネガティブな反応が生じるというのである。

九鬼周造はその著「いきの構造」の中で、「いき」(粋)とは「武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係」に立つ概念だと規定する。九鬼が「いき」の構成要素として挙げたのは「意気地」と「諦観」である。すなわち「犯すべからざる気品・気格」と「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心」である。そして、この「意気地」と「諦め」は日本の「民族的、歴史的色彩を規定している」というのだ。こうした美意識に基づく規範に反する行動様式は、当然「野暮」ということになる。

確かに、この基準に照らせば、当初、遺族と距離を置き、訴訟で自らが不利な立場に置かれないようにすることにのみ汲々としていた感のあったワドルのこの事件に対する身の処し方は、いかにも「野暮」であった。弁護士からのアドバイスによるものであれ、謝ることより言い逃れをしようとする訴訟技術が見え見えなのは決して粋でない。日本の美意識に合わないのである。

こうしてみると、先のワシントン・ポスト紙の指摘がいかに的外れかが改めて浮かび上がる。だが、こうした日本の心情を、あるいはカタルシスへの屈折した期待そしてそれゆえの相手への無意識な期待を米国人に分からせることは難しい。それは日本人ですら明瞭には気付かない無意識の心的態度であるかもしれないからである。

貿易摩擦、投資摩擦、経済摩擦から文化摩擦へ。そしてその背後に潜む、いわば心情摩擦の露呈。これを日米関係の成熟化の産物とみるべきなのか、それとも2つの国の間に横たわる深くて暗い溝とみるべきなのか、難しいところである。

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