2022/10/18 No.514カンボジア出張報告(2)シハヌークビルにおける中国
藤村学
青山学院大学教授
ITI・ASEANサプライチェーン研究会(JKA補助事業)は、8月18~31日にかけて、タイ、カンボジアで現地調査を行った。主な目的はタイの東部臨海地域からカンボジア南部沿岸にかけての「南部沿岸経済回廊」とプノンペン首都圏におけるインフラ整備・物流状況および中国資本の進出状況の視察であった。本稿はその2回目の報告である。
シハヌークビルの現地紙(2022年2月)によれば、中国資本の流入により「第2のマカオ」と例えられたシハヌークビルで、住宅賃貸料が急落しているという。例えば、2021年までは一戸建て住宅の平均年間家賃は8,000~1万6,000ドルであったが、今では2,000~6,000ドルに下落。海岸地区の地価も、高騰時には1㎡あたり800~1,200ドル、中心部では同1,200~1,300ドルもしていたが、今では最大で3割下落したという。地価の下落は、オンラインカジノ規制(2019年8月に行政指導を開始し、2020年11月にカジノ法が成立)が契機となった。最盛期には70超あったカジノも、現在残っているのは20前後だという。オンラインカジノ閉鎖により、8,000人の地元住民が失業したと伝えられる。さらにゲーム関連の仕事のためにこの地域に集まった中国人が数万人規模で流出したという。
中国ブームで沸いていたシハヌークビルで何が起きているのか。中国資本によるリゾート、港湾建設の状況について、11年前と比較しながら、藤村教授に伺った。聞き手は大木博巳ITI研究主幹。
Q. ダラサコールを16時過ぎに出発してシハヌークビルの市内に到着したのが20時ごろでした。夜の街に電光文字で中国語が氾濫し、ここは中国の地方都市ではないかと見間違うほどでした。
A. 11年間シハヌークビルに住んでいるという市内に残った数少ない洋食店の若いトルコ人経営者によれば、最初の7年間はローン島(Koh Rong)で欧米系客を相手に働いていたが、中国資本が押し寄せて、中国人客がメインになったため、仕事ができず、シハヌークビル本土に戻ってきた。のどかであったシハヌークビルの海岸風景も、中国資本による開発で大きく変貌したということです。
シハヌークビルのビーチは北西から南東方向に、まずはIndependenceホテルのプライベートビーチとなっているIndependenceビーチ、次に高級ホテルが建ち並びやはりプライベートビーチ化しているSokhaビーチ、さらに、かつては欧米系バックパッカーや地元住民でにぎわったカジュアルなCerendipityビーチ、Ochheutealビーチ、そして市街から遠くて以前は人がまばらだったOtresビーチと連なっています。
ガイドによれば、中国資本が流れ込んだことで、前者2ビーチのみならず、後者の3ビーチも中国人観光客を対象とした高級ビーチに変貌し、バックパッカーや地元客や彼らを対象としたローカルなレストランなどは、すべてのビーチから追い出されたということです。
Q.その中国化したシハヌークビル市内も閑散としていた印象でしたね。
A. ビーチ通りから4号線の起点のガソリンスタンドまで、市街のメインストリートを走った印象では、11年前に視察したときの印象と比べ、道路はすっかり整備され外見は近代化を遂げ、高層ビルが立ち並んでいます。とくに目立つのが中国資本によるカジノホテルやコンドミニアム群です。しかし、あちこちに建設を中止・放棄したとおぼしきゴーストビルがみられ、中国資本に依存してきたこの街の光と影が混交します。
Q. 中国企業による不動産バブルがはじけましたが、港湾インフラでは日中の整備支援競争で熱くなっていました。日本が支援しているシハヌークビル港に対抗するように中国は新しい大規模港湾(カンポット港)建設を意欲的に進めています。まずは、シハヌークビル港の現状をどう見ましたか。
A.シハヌークビル港は日本が唯一全面的にODAで支援している港湾です。これまで日本は計1,000億円以上を援助しています。1990年代後半から日本のODAで開発が始まり、1998年に政府機関から独立してシハヌークビル港公社(Port Authority of Sihanoukville: 以下、PAS)となり、2017年に新規株式上場しています。
カンボジア発着のコンテナ貨物物流ではシハヌークビル港が全体の約7割を占め、残り3割がプノンペン河川港経由のベトナムのカイメップ港へのルートとなっています。
PASでヒアリングした港湾運営アドバイザーのJICA専門家の方によれば、カンボジアの主要貿易相手国(金額ベース)としては、輸入では中国(64%)、他のアジア(20%)、米国(6%)等となっており、輸出では米国(40%)、EU(26%)、中国(12%)等となっています。
シハヌークビル港の取扱貨物量(トンベース)は、2012~2017年のゆっくりとした増加に比べ、2017~2019年に加速した後、2019~2021年はコロナ下でやや減速したとのことです。コンテナ取扱量(TEUベース)は2020年を除いて順調に伸びているようです。そうした貨物量増加に対応して、日本としてはさらにターミナルを拡張しキャパシティ不足にならないよう手を打っているところです。
シハヌークビル港の開発計画(PAS)
(https://www.pas.gov.kh/en/page/development-plan)
Q.2022年から「シハヌークビル港新コンテナターミナル拡張事業」(第1期413.88億円)が始まっています。どのような将来展望を描いているのでしょうか。
A.インドシナ地域主要6港の中では、タイのレムチャバン港のコンテナ貨物量が最大で、それにカイメップ港が続き、この2港がインドシナ地域の国際航路のハブになっています。ホーチミン港、バンコク港、シハヌークビル港、ヤンゴン港は、アジア域内航路が主体です。シハヌークビル港は、カンボジア唯一の大深水海港ですが、大型船が寄港するには既存施設の水深(10.5m)および岸壁延長が不足しているため、現状では北米・欧州との間を往来するコンテナ貨物はシンガポールで積み替える必要があります。
そこで日本の円借款で行っている新コンテナターミナル拡張事業では所要の岸壁延長・水深を整備して、航路誘致(レムチャバンやカイメップに寄港する船舶のシハヌークビル港への追加寄港)を目指しています。
拡張計画としては2024年までのフェーズ1で岸壁幅を350m、水深を14.5mとし、コンテナ取扱能力を現在の約60万TEUから45万TEU増加させ、フェーズ2では岸壁幅を830mまで延伸する計画です。取扱能力を2026年までに120万TEU、2032年までに180万TEU、2038年までに250万TEUに伸ばしていくという計画だと聞きました。
Q. 一方、中国は民間資本によるカンポット港の整備を進めています。カンボジア政府としては、日本でも中国でも支援してもらえるならどうぞ、という姿勢のようです。
A, 2股をかけている印象が強いです。カンボジア駐在経験のある港湾専門家の方によれば、カンボジア政府の複合輸送マスタープランのなかでは、シハヌークビル港をカンボジア沿海中心部におけるLogistics Complex、コッコン港とカンポット港は沿海西部と東部におけるLogistics Centerと位置付け、両者は補完関係にあるという立場です。ただ中国側は、日本が港湾整備を先行支援したシハヌークビル港の機能に正面から競争はしないが、中国資本の橋頭保を積極的に築いていこうとする姿勢を隠そうとしていないようです。
カンボジア経済が順調に成長したとしても、基幹となる大規模港湾が同時に2つ稼働すれば全体としてオーバーキャパシティになることが懸念されます。日本側としては、シハヌークビル港の能力拡大は、2030年ごろまでにライバルとなるかもしれないカンポット港開発と時間との勝負という見方になるかと思います。
Q.カンポット港を中心にして大規模経済特区が中国資本によって建設中でした。印象はいかがでしたか。
A.シハヌークビルからカンポット港までは、国道3号線を54km走ると着きますが、全行程約2時間半のうち、最初の約20kmは極端な悪路で2時間かかりました(時速10km)。私が経験したメコン地域出張の中で、ワースト3に入る悪路でした。穴だらけでアスファルトはもはや完全にはがれ、茶色土のクレーターだらけの月面走行のようでした。貨物トラックが走るたびに穴がどんどん深く大きくなったようです。全面的に工事しなおす必要があります。
カンポット港に入るゲートは3号線に面しています。立派なゲートが目印です。ゲートから南へ200mほど先に、セキュリティチェックがあってその奥には入れませんでしたが、ゲートの右手にはセメント製造工場ができていました。遠景から捉えた限りでは港湾整備は始まったばかりのようでした。
2022年5月5日にこのカンポット港とそれに関連するロジスティックパークなどを含む新経済特区全体の起工式が行われました。Maritime Executiveという海運分野の報道(2022年5月6日付)によれば、同特区を建設・運営するのはKampot Logistics and Port Co., Ltd.という名称で現地登録されている企業ですが、中国側パートナーの詳細は公表されていないようです。建設を担うのは上海建設(Shanghai Construction Company)と中国路橋行程(China Road and Bridge Company, CRBC)です。CRBCは中国交通建設(CCCC)の子会社でプノンペン~シハヌークビル高速道路の建設事業者でもあります。
新特区プロジェクトの中核となる港湾施設は水深15メートル、10万トン級のコンテナ船が入港可能となるとしています。コンテナ取扱量は2025年30万TEU、2030年60万TEUを目指しています。港湾に隣接して、600haが埋め立てられ、コンテナヤード、経済特区、石油コンビナート、ロジスティクスセンター、観光施設等が建設されるとしています。総コストは、15億ドル(約1,950億円)としています。3期に分けて開発される予定で、第1期は2億ドル(約260億円)の予算で建設されるとしています。
本プロジェクトの現地パートナーは米政府の制裁リストに載っている「木材王」と呼ばれるTry Pheap氏だということです。カンボジア政府からの開発コンセッションは得ていますが、上記のような大規模工事を進めていくための資金手当は、走りながら考えるのではないかと推測(憶測)します。例えば中国側パートナーが一帯一路プロジェクトとして北京政府に売り込み、優遇融資を後付けで得ようとしているのではないでしょうか。
Q.山側を崩して大規模なLogistic Parkを建設しようとしていました。まるで、中国が進めたラオスのボーデン経済特区開発を彷彿させました。
A. カンポット市内から西へ23km、建設中のカンポット港から西へ15kmの地点に、開発中のカンポット港を中心とする経済特区に含まれるLogistic Parkの建設地がありました。立派な大きなゲートの構造物だけ先に完成しており、奥で整地作業が始まっているところでした。3号線を挟んで向かい側には経済特区をアピールする横断広告看板があり、山側の斜面も大改造を始めている様子でした。ラオスと同様、中国資本がメコン地域の小国で行う経済特区や工業団地開発に共通の、荒っぽいスピード重視の作業のように見えました。
Q.シハヌークビル近郊のリアム海軍基地でも中国の動きが懸念されています。
A. シハヌークビル空港の南方向約8kmの地点にリアム海軍基地があります。空港通りの45号線を南へずっと走り、その突き当りに基地のゲートがありますが、そこは金属の扉で締め切られています。そこで少し北へ引き返し、基地の東側へ回ります。Vinhean Ram Pagodaという仏教寺院の角を右折して南へ1kmほど走ると右手に基地の正面ゲートがあります。一般車両は当然入れません。さらに南東方向へ500mほど走ると、右手にReam Oil Terminal という石油ターミナルがあります。タイの石油会社TPPのタンクローリーがたくさん並んでいました。地図で確認すると、ここまで走った部分の海岸側、つまり東西方向約500m、南北方向1.5kmがリアム基地の敷地面積と思われ、こじんまりした基地という印象です。
2021年8月から2022年6月にかけて、このリアム基地内において中国支援による道路整備や新桟橋建設の跡が衛星写真で確認され、在カンボジア米国大使館がカンボジア政府に対し、「中国軍の役割について十分な透明性を示していない」として抗議声明を出しました。この基地はシハヌークビル空港から近く、タイ湾に臨む海上安全保障の要衝となり得るため、米国は懸念を露わにしています。
さすがに基地内に入って目視することはできませんが、関連報道に付されている写真などを見る限り、大型艦船が寄港できるような大きい桟橋には今のところ見えません。しかし、この基地の周囲一帯が中国資本によって開発されている現状を見ると、地政学的な懸念を抱かざるを得ません。
Q. 海軍基地を取り囲むように中国企業がリゾート開発を進めていました。ダラサコール空港と同じ構図です。
A. そのように感じました。リアム基地の北側から東側にかけての一帯がリアム国立公園ですが、その半分近く、3,300haという広大な土地が2010年に99年間のリースで金銀湾国際旅游旅假開発区(Golden Silver Gulf International Tourism Resort)に指定されました。総事業費は50億ドルといわれます。開発業者は宜佳旅遊発展(Yi Giay Thie Zhi Development Co., Ltd.)で、北京の投資集団から開発資金を得ているという情報がありあります。2009年ごろにフン・セン首相が同事業に同意を与えたとされます。国立公園内でリゾート開発を行うとともに、空港や港湾の整備支援をセットで押し進めるという構図はダラサコールと同じです。ラオスでも感じることですが、カンボジアにとってland for capital(資本を招き入れるために土地を差し出す)という構図を否めません。
上述した走行ルートの延長でリアム基地の東側からリゾート開発区へアクセスしようとしたところ、途中から未舗装の赤茶色の道路工事中区間となり、ブルドーザーが行く手を塞いでいて前進を諦めました。いったん北方向へ引き返し、シハヌークビル空港を左に見ながら4号線に出る手前の道路を右折し、5kmほど南下したところにリゾートへの検問ゲートがあります。ガイドもここに来たのは初めてで、門番にその先の道を確認してから進みます。約5分後、リゾートの見どころを説明する看板があり、そこから東方向はまだ未開発で見るべきものがないそうで、右折し南方向へ走ると、行き着いたところが「王子島Prince Island」という海岸リゾートホテルです。
日本の江の島のような地形をミニチュア化した離れ島(王子島)があり、5ドルの入場料を払えば見学できます。なかなか風光明媚でした。シハヌークビル市街から30kmは離れているので、隠れ家的な休暇村といった印象です。見学中に激しいスコールに見舞われ、バンガロー風レストランで時間をつぶしながら、そこに勤める年配の女性に聞いたところ、このリゾートは2015年ごろにヨーロッパ人によって開発されたものを中国企業が買い取ったそうです。宿泊費は1泊55ドル、雨季のローシーズンは48ドルです。宿泊客はほとんどカンボジア人とのことでした。コロナ禍の影響で中国人観光客を当面期待できず、経営維持は採算度外視になるのではないでしょうか。
シハヌークビル空港から南西部分の広大な土地でリアム基地を取り囲むような形で中国資本がすでに幹線道路(下図の赤色破線)を整備し、リアム基地につながる道路整備も進めているところをみると、観光誘致を目的としながらもインフラをスピード建設するパターンは、ダラサコール地域と同じです。営利優先でないことは確かだと思います。
今回の調査対象の位置関係図
(本調査は令和4年度JKA補助事業で実施)
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