一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2005/09/05 No.84ドイツ連邦議会選挙の争点とCDU/CSUの戦略

田中信世
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹

ドイツの連邦議会(下院)の総選挙は、解散・総選挙が基本法(憲法)に違反するという下院議員2人の提訴に対して連邦憲法裁判所が8月25日に合憲という判断を下したため、予定通り9月18日の実施が確定した。現在ドイツでは連邦議会(下院)選挙に向けて社会民主党(SPD)、緑の党などの与党と、最大野党のキリスト教民主同盟(CDU)およびその姉妹党であるキリスト教社会同盟(CSU)の対決を軸に激しい選挙戦が繰り広げられている。メルケル党首率いるCDUなど野党陣営は、失業や不景気から脱却できない与党のシュレーダー政権に対する不満の高まりを追い風に、政権与党のSPDに支持率で10ポイント程度の差をつけるなど選挙戦を有利に進めており、現時点ではCDU/CSUが7年ぶりに政権を奪取する可能性が大きいとみられている。もちろん選挙は水ものであり、その勝敗は選挙が終わるまでわからないが、仮に今回の総選挙で政権交代が実現した場合、CDU/CSUはどのような政策をとることになるのか、また政権交代によってドイツのEUに対する姿勢に変化がみられるのかといった点について、CDU/CSUが7月に発表した「政策綱領」(Regierungsprogramm2005-2009)などから探ってみた。

<企業競争力改善のため付加価値税を引き上げ>

長期低迷に陥っているドイツ経済を立て直すことは、ドイツのみならず、EU経済全体の活性化を図るうえでも最大の課題であることは、明白であり、ドイツ経済の立て直しは今回の選挙戦でも最大の争点となっている。

CDU/CSUの政策綱領では、SPD・緑の党の「赤緑連立」政権の99年以降の7年間の平均経済成長率は1990〜98年の平均経済成長率の半分にまで落ち込んだとし、「赤緑連立」の7年間を「失われた7年間」と厳しく糾弾している。CDU/CSUは、ドイツ経済が不振に陥った最大の原因はコスト高による企業の競争力の低下にあるとし、企業の競争力向上のために、1)法人税の引き下げや、2)労働コスト、特に労働コストの約40%を占める失業保険料、公的健康保険料などの賃金付帯コストの引き下げなどが重要としている。

具体的には、政策綱領では、法人税の現行25%から22%への引き下げ、所得税の最低税率を現行15%から12%へ、最高税率を現行42%から39%へそれぞれ引き下げることを公約として掲げた。また、労使双方から折半で徴収する失業保険料は6.5%から4.5%へと2ポイント引き下げるとしている。そして、こうした措置をとるための財源確保の方策として、付加価値税を現在の16%から18%に引き上げる必要があるとしている(ただし、食料品や交通費などに適用される軽減税率は現行の7%で据え置き)。

また、雇用を確保するためには、バイオ・遺伝子技術、医療技術、光学、ナノテク、航空宇宙、情報通信、エネルギー・環境技術などの分野で技術革新が不可欠としており、研究開発のための資金を毎年10億ユーロ追加支出し、GDPに占める研究開発支出の比率を現在の2.5%から2010年までに3%に高めることを目標にすると謳っている。

EUの安定・成長協定との関係で問題になっている財政赤字問題については、1)政権担当期間内に安定成長協定で謳われた財政赤字のGDP比3%以内の達成、2)2013年以降については新規債務ゼロと財政均衡の実現などが謳われている。また、旧東独支援については、SPD政権のときに決定した2006〜19年の期間における総額1,560億ユーロの連帯協定支援は予定どおり実施するとしており、2007〜13年においては旧東独の経済発展の遅れた地域に対してEUの構造基金を使った支援も実施するとしている。

そのほか、政策綱領では、所得税基礎控除額の8,000ユーロ(現行7,664ユーロ)への引き上げ、健康保険改革によりすべての子供に対する健康保険料支払い義務の免除、年金保険料の負担比率は長期にわたって現行水準(19.5%)で固定、年金保険料負担軽減策の一環として2007年1月1日から新生児に対する月額50ユーロのキンダーボーナス(新生児補助金)制度の導入など盛りだくさんの公約が盛り込まれている。

以上が政策綱領に盛り込まれた経済関連の政策の概要であるが、綱領に目を通した限りでは、盛りだくさんの公約が並べられているものの、こうした諸政策を実施することにより、全体としてどの程度の経済効果が見込まれるのかといった具体的な効果についての言及は少ないような印象を受ける。また、財政赤字問題をとってみても、財政赤字のGDP比3%以内達成が具体的にいつの時点になるのかについては必ずしも明確に示されていない。

政策要綱なりマニフェストを読む場合、美辞麗句に惑わされることなく、冷静に政策の中身を読み取ることが重要であることは、日本の選挙でもよく言われていることであるが、この政策綱領だけで選挙民がどの政党を選択するのかという判断を下すのはかなり難しいような気もする。残された選挙期間に、政策綱領に書かれたことを補完して選挙民にどのように訴えていくかが、CDU/CSUが政権権獲得を実現していくうえで重要な課題になるものと思われる。その際、前述の付加価値税の引き上げが有権者にどの程度受け入れられるかが選挙の帰趨を決めるうえで大きなポイントになろう。

<財務相候補にキルヒホーフ氏>

一方、CDU/CSUでは8月中旬、政権を担当した場合に、こうした政策の実行を担当する閣僚候補者を発表した。閣僚候補者にはヴォルフガング・ショイブル(外務担当)、ディーター・アルトハウス(旧東独担当;現チューリンゲン州首相)、アンネッテ・シャヴァーン(教育・科学担当;現バーデンビュルテンベルク州文化担当想)、パウル・キルヒホーフ(財務担当;税法学者、元連邦憲法裁判所判事)、ペーター・ミュラー(経済担当;現ザールランド州首相)などの顔ぶれがみられる。このうちの目玉は財務担当のキルヒホーフ氏である。キルヒホーフ氏は1943年ドイツ北部のオスナブリュック生まれ、ミュンスター大学の公法教授、税法研究所長を経て、ハイデルベルク大学に移籍後、最年少で憲法裁判所の判事に就任した(現在はハイデルベルク大学教授)という経歴の持ち主で、歯に衣を着せない(wortgewaltig)発言で知られ、税制の簡素化による産業競争力の強化に強い意欲を持っているとされている。なお、当初、経済・財政を総合的に管轄するスーパー官庁を創設する案が検討され、担当相にキリスト教社会同盟(CSU)の党首ストイバー氏を充てる案も検討されていたようであるが、この案は見送りになった模様である(Handelsblatt、2005年8月17日付)。

上記の閣僚候補者に対して経済界からは幅広い支持の声が上がっており、特にキルヒホーフ氏の起用に対しては、工業、商業、手工業界から税制改革と経済成長の火付け役としての期待が大きい。また、CDUのメルケル党首は経済界の支持をとりつけるため、ダイムラークライスラーやシーメンスなどの有力企業やドイツ産業連盟(BDI)などの経済団体の代表者と精力的に接触しており、政策顧問として、シーメンスの前社長ハインリヒ・フォン・ピーラー氏を招くことが決まったと伝えられている。ピーラー氏の政策顧問への招聘は「雇用を生み出すためには技術革新が重要」という前記政策綱領の趣旨に沿って、経営者の知恵を経済再生に生かすために行われたもので、CDU/CSUが政権を獲得した暁にはピーラー氏をトップに10人程度の有職者による「イノベーションと成長のための委員会」を結成する意向といわれている(日本経済新聞、2005年8月31日付)。

<EU拡大には慎重姿勢>

次に、CDU/CSU政権が誕生した場合、EUとの関係ではどのような変化が考えられるのかについて見てみよう。

政策綱領によれば、EUとの関係については、これまでEU統合を連携して進めてきたフランスとの関係を、他の欧州諸国の信頼を得る形で引き続き維持していくとしている。また、フランスに限らず、すべての近隣諸国やEU加盟国との信頼関係の構築は極めて重要としている。この点から見ると、仮にドイツの総選挙で政権交代が実現した場合でも、ドイツの対EU関係は、統合推進に向けたフランスとの協力関係など大枠には大きな変化はないようにみえる。もっとも、ドイツがEU統合の推進において従来同様、フランスとの関係を重視していく姿勢を堅持していくとみられることは、フランスのEU内での指導力に陰りがみられる現在、EU憲法批准の挫折で停滞しているEUの統合の推進という意味では、当面大きな前進を期待できないということになるのかもしれない。

一方、EU拡大については慎重な姿勢が際立っている。政策綱領では、トルコのEU加盟はEU統合にとって荷が重過ぎるとして、トルコのEUへの完全な形での加盟を拒否すると明言しており、トルコには「加盟国」としてではなく、民主主義、法治国家、経済などの面で力に応じた発展を求めていく「特別パートナー」としての地位を与えるべきと主張している。これはキリスト教を支持母体とする両党が、イスラム教徒のトルコを受け入れることに対して強いアレルギーを持っていることを示したものといえる。また、2007年に加盟が予定されているブルガリアとルーマニアについても、加盟基準を厳守することを求め、ドイツが両国との加盟条約を批准するかどうかの決定は、欧州委員会が作成する両国の加盟準備に関する報告書を見てから下すとしている。

さらに綱領は、「中小企業と企業設立の支援」の項目の中で、EUの東への拡大に伴う低賃金労働者や不法労働者の流入懸念についても言及しており、行き過ぎたEUのサービスの自由化に伴う低賃金労働者流入などの弊害を関係官庁、団体との協力により防ぎたいとしている。また、イギリスの分担金軽減の見直しを巡って現在審議がストップしているEUの中期財政計画(2007〜13年)などEUの財政問題についても、ドイツの財政負担能力には限界があることを考慮に入れて緊縮財政をとるようEUに求めていくとしている。

以上のように、EUとの関係については、全般的に慎重な姿勢が目立っており、拡大問題や財政問題など個別の問題では、従来とは異なる強硬路線がとられる可能性もある。要綱を読む限り、仮にCDU/CSU政権が誕生したとしても、政権交代が、EU憲法批准の失敗で先行き不透明なEUを再び統合推進に向かわせる大きなインパクトになるとは考えにくいように思われる。

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