一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2001/09/21 No.14文明の衝突を回避せよ
―同時多発テロ対応への教訓―

木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹

 マンハッタンの冬は寒い。ビル風が肌を刺す。寒波がきた時などは、通りを歩く人は極端に少なくなる。車の通行を除けば、街はしばしゴーストタウンと化す。だが、そんな時でも、オフィス・ビルの玄関先には人影がみえる。かじかむ手でタバコをくわえるスモーカー達だ。禁煙のビル内から追い出された「喫煙巡礼者達」が、雪が吹き込むビルの玄関口で凍えながらたむろする。そんな光景は、私の中ではすでに、この街の冬の風物詩と化している。

スモーカーは巡礼者?

 私も巡礼者の1人だった。一時の喫煙タイムという至福の時を求めて、44階もの道のりをも苦行として甘受し、エレベータで聖地の玄関先に向かう。禁煙ブームが席巻する米国で、あらゆる「迫害」に耐えて聖地に向かうのだから、巡礼者としかいいようがあるまい。そんな風にして巡礼を繰り返すうちに、いつしか1日のうちの巡礼時間も決まってくる。すると同じような顔ぶれにほぼ毎日顔を合わせるようになる。 

 いつものように、ビルの玄関口でタバコを吸う。ふと目が合う人がいる。時折見かける戸外スモーカー仲間だ。言葉は交わさない。互いに目で語り合う。

「寒いですなあ。タバコを吸うのも難儀になりました」

「でも、タバコはやめられませんね。」

「いやー、まったくです。それにしてもタバコがこれほど目の敵にされるとは…」

「お互い苦労しますな。ご同輩」

 「虐げられた者」同士の声にならない短い会話をかわし、それぞれ足早にオフィスに戻っていく。スモーカー同士の会話に言葉は要らぬ。虐げられた者同士の共感さえあれば足りる。そこに連帯感が芽生え、コミュニケーションが成立する。

アラブ系米国人殺害の持つ怖さ

 虐げられた者同士の連帯という原理は、スモーカーに限った話ではない。今回のテロ事件に対応するに当たって、留意すべき点の1つである。 

 同時多発テロ勃発後、米国ではアラブやイスラムへの憎悪から悲しむべき事件も起きている。アラブ系米国人に対する殺人事件が増加していると伝えられる。イスラム寺院に火炎ビンが投げ込まれるという事件もあったという。 

 こうした「憎悪の犯罪」(hate crime)が怖いところは、アラブやイスラムというだけで、全てを一括視してしまう点にある。今回のテロが生んだ新しい人種偏見と差別というべきであろう。ブッシュ大統領が国内のイスラム幹部と面談したとのニュースを数日前のテレビで見たことがある。これも「全ての」アラブ勢力との対決という構図を払拭するための政治ショーとは思われるが、正しいアプローチではある。

「虐げられた者」同士の連帯感

 イスラム社会は必ずしも一枚岩ではない。国によっても違うし、急進派、穏健派、保守派、守旧派といった多種多様の勢力がある。今回のテロを契機に、これらを一括して敵視するならば、イスラム内の各種勢力間には「迫害を受けている者」同士、「虐げられた者」同士の連帯感が芽生えるかもしれない。マンハッタンでみたスモーカー間の連帯は、禁煙ブームという「時代の迫害」が揺籃となったことを銘記すべきだ。

文明の衝突を回避するには?

 大事な事は、イスラム内の各種勢力を、すべてひとからげにして扱うようなことを厳に戒めることである。もちろん、テロを引き起こしたグループに対しては厳しい姿勢で臨むべきことは言うまでもない。だが、反イスラム主義に基づき全アラブをまとめて敵視するというようなステレオ・タイプの対応は戒めなければならない。さもないと、今回のテロ事件をめぐる争いは次第に、文明と文明との争いの様相を深めることにもなりかねない。 

 イスラエルのペレス外相は9月23日、田中外相との電話会談で、「戦う相手はテロリスト・グループであって、アラブ諸国やイスラム教を信じる国々ではない」旨、述べたと伝えられる。この発言の意図が、戦いの次元を文明レベルにまでエスカレートするような事態を回避させようとすることにあることは、いうまでもない。

リクルーターになるな!

 この点に関連して9月14日付ニューヨーク・タイムズ紙のコラム記事(注1)の見方はもっと直裁的だ。文明間の対立の現出こそが、ビンラディンの狙いだというのである。同記事によれば、ビンラディン一派の戦略は、全イスラム勢力に対する米国の大量報復を引き出し、文明間の対立を現出させることにあるというのだ。これによりすべてのイスラム勢力をジハード(聖戦)へと誘うことができるというわけである。 

 「テロリストへの攻撃は」我々がビンラディンのリクルーターの役割を担うようなやり方で行なってはいけない」との記事中の比喩は巧みである。リクルーターとは本来、「採用担当者」、「徴兵担当官」の意。したがって、この比喩の意味するところは、イスラムに対する無差別攻撃は、結果として全イスラムの文明的結束を促し、彼らの戦闘能力を高めかねない――というメッセージにある。

文明の衝突――西欧VS非西欧

 「文明の衝突」(注2)をハンチントンが発表したのは1993年であった。冷戦の終焉後における「西欧」対「非西欧」の対立構造を大胆な文明史観に基づいて描いたこの論文の内容は刺激的であった。当時、私は客員研究員としてワシントン暮らしをしていたが、この論文は、当時の彼の地では必読の書とされていたことを思い出す。ハンチントンの見方を支持するにせよ、異を唱えるにしろ(実際、ハンチントン史観には批判も多い)、一度は読んでおくべき論文とされていたのである。

 今、私は改めて、この論文を読み直そうと思っている。

(注1)Smoking or Non-Smoking, by T.L.Friedman, NYT., Sep. 14

(注2)The Clash of Civilization by S.P.Huntington, Summer, 1993

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