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2018/09/12 No.391何故マレーシアで政権交代が起きたのか(4)~マハティール首相の訪中、「一帯一路」プロジェクトの一部凍結~

小野沢純
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
元拓殖大学/東京外国語大学 教授

4.マハティール首相の訪中、「一帯一路」プロジェクトの一部凍結

マハティール新政権は、政権公約にもとづき、大型インフラ事業を中心とするメガプロジェクトの見直しを進めています。2018年5月30日に中止すると発表したクアラルンプール・シンガポールの高速鉄道計画は、シンガポール政府との間で調整がつき、9月5日に2020年5月まで2年間延期する協定が両国政府間で結ばれました。財政面の負担があるものの、結局中止せず実施することになりました。問題のメガプロジェクトの中には中国企業がからむ「一帯一路」プロジェクトが含まれています。

マハティール首相は、8月20日には北京で習金平国家主席、李克強首相と個別に会談を行っています。マレーシアにおける一帯一路プロジェクトと対中経済関係の今後について伺います。(聞き手はITI事務局長 大木博巳)

ナジブ前政権がコミットした「一帯一路」プロジェクトにはどのようなプロジェクトがあるのでしょうか?

2013年に中国の習近平国家主席の来訪を契機に、ナジブ政権はASEANの中で最初に「一帯一路」戦略に本格的にコミットしました。ロイター通信(2018年8月14日付)の巧みな表現を借りれば、ナジブ氏は習主席主導の「一帯一路」の東南アジアの“チアリーダー”の役割を果たしたのです。

ナジブが呼び込んだ「一帯一路」プロジェクトは、30件を超えています。鉄道や港湾、電力、パイプライン敷設、工業団地造成などの分野で大型インフラ事業が動いています(主なプロジェクトと対応する中国企業のリストは表1)。

(表1)マレーシアにおける中国の「一帯一路」関連の主要インフラ・プロジェクト 2017年9月末現在

(出所)各種情報から作成(小野沢純「マレーシアにおける「一帯一路」戦略」、『国際貿易と投資』No 110, 2017年12月)

マレーシアにおける「一帯一路」の目玉プロジェクトとされているのが、東海岸鉄道建設です(地図参照)。マラッカ海峡のクラン港からマレー半島を横断してクアンタンへ、さらに東海岸を北上してコタバルまでのルート。南シナ海に面したクアンタンでは、大型タンカーが入れるような深水港を造っています。クラン港から原油をクアンタンまで、マレー半島を横断して運んで、そこから船で中国まで運ぶことができる。あるいは、中国からクアンタンまで物が来て、マレー半島を横断して、クラン港、マラッカ海峡を通って、西に行くという、非常にこれは中国にとっての地政学的なインパクトのあるプロジェクトです。この東海岸鉄道プロジェクトはどういう経緯でマレーシアに導入されたのでしょうか。

‐東海岸鉄道建設の計画は、2016年10月末に訪中したナジブ首相一行が中国側と合意した「一帯一路」戦略に関連する14件の大型プロジェクト(総額1,440億リンギット)の一つです。660kmの鉄道建設の総工費は550億リンギット(約1兆5,000億円)。総工費の85%は中国輸出入銀行からの借款(金利3.25%、7年据え置き、20年払い)です。残り15%は国内のスクーク(イスラム債)。両方ともマレーシア政府が保証を付けています。そして、中国政府からの借款は、いわゆる“ひも付き”、公開入札なし、中国の有力な国有企業である中国交通建設(CCCC)が建設の主体となり、資材も労働力も中国本土から来る方式、マレーシアでも例外でありません。2017年8月からすでに工事が開始されています。

この鉄道建設のマレーシアにとっての経済的価値をどう評価しますか。

‐フィージビリティ・スタディの数字は明らかでありませんが、2017年8月の東海岸鉄道建設の起工式でナジブ首相は、この鉄道が完成すれば、2030年までに年間乗客540万人、貨物5,300万トンになるという数字を挙げました(Bernama, Aug 9, 2018)。

しかし、2015年にマレー鉄道(KTM)のマレー半島全線の貨物輸送量合計は621万トンにすぎなかった(Star, Aug12,2017)。よって、15年後に東海岸鉄道だけでその8.5倍にも膨らむとはあまりにも非現実的な数字です。採算性はあるのか、赤字路線のままではないだろうか、との声が多い(賢人会議のメンバーである経済学者ジョモ氏も以前から批判的)。マラッカ海峡から半島を横断して南シナ海へと連日ピストン輸送するというとんでもない事態にたとえなったとしても…

率直に言って、まだあまり必要性がない。マレー半島東海岸地域は工業地帯でなく、経済活動がまだ活発でないこともあり、現行の「第11次マレーシア計画」(2016~2020年)のどこを探しても東海岸の鉄道建設は開発の対象になっていないくらいですから。

「第11次マレーシア計画」(2016~2020年)にないプロジェクトがなぜ強行されたのでしょうか。

‐これはもっぱら「一帯一路」戦略の下で、中国の習近平国家主席・李克強首相とナジブ首相の首脳会談によってトップダウンで始まったことを如実に示しています。「一帯一路」についてはナジブ首相直属の閣僚級の中国担当特使オン・カーティン氏(元マレーシア華人公会党首)が窓口になり、インフラ担当のリゥオ運輸相(マレーシア華人公会党首)が東海岸鉄道計画を担当していました。本来なら外国からの援助を担当するのはEPU(経済企画庁)ですが、外されていました。

政権交代後の7月3日、マハティール新政権は、この東海岸鉄道と二つのパイプライン建設(半島部とサバ横断)について、即時工事停止を命じました。この3件いずれも「一帯一路」プロジェクトですね。すでに着工しているプロジェクトを工事停止する理由は何だったのでしょうか。

‐これには驚きました。理由の一つは建設コストが巨額になるのが判明したからです。政権交代後の7月までに、新政府が東海岸鉄道の総工費を再査定したところ、当初の550億リンギットではなく、実に50%も増えて、810億リンギット(2兆2,200億円)に跳ね上がるとリム財務相が公表しています。

前政権の査定には土地収用代金や利子支払、運転経費などが含まれていなかった。マレーシアの政府債務が1兆リンギットを超えていることが判明したばかりだけに、今後は財政圧迫が避けられない、もはや安閑としていられないという雰囲気になったのです。2つ目の理由は、これら3件の「一帯一路」プロジェクトはいずれも総工費の85%を中国輸出入銀行からの融資に依存するのですが、建設工事がまだ始まったばかりなのに、巨額の資金が請負い側の中国国有企業にすでに前政権時代に払い込まれていることが分かり、その不明朗な経緯を調べる必要があったからです。

建設工事がまだ始まったばかりなのに、巨額の資金が請負い側の中国国有企業に振り込まれたとは不可思議ですね。リム財務相はどう説明したのでしょうか。

‐1年前の2017年8月に着工式が行われたが、初年度にもかかわらず、ナジブ政府は総額196.8億リンギットをCCCC(中国交通建設集団)にすでに支払っている、とリム財務相が7月3日に明らかにしました。これは、プロジェクト契約書に前払いと定められている準備金(総工費の15%)としての100.2億リンギットと工事実績分の96.7億リンギット(ただし、工事進捗率は全体の15%)が追加された金額である、とリム財務相は説明しています(Star,July 4,2018)。

パイプライン・プロジェクトでも同様な不明朗なことが起きています。

‐東海岸鉄道と同じ時期の2016年7月に2つのパイプライン・プロジェクトが閣議決定されています。①MPP、マラッカからクダー州までの600km石油パイプライン敷設と②TSGP:、サバ州横断の662kmガス・パイプラインです。

これら2つのパイプラインの総工費は94億リンギット、東海岸鉄道と同様に中国輸出入銀行が総コストの85%(80億RM)を融資し、プロジェクト請負は入札なしで中国の有名な国有企業CPPB(中国石油パオプライン局)に決まり、2017年4月に工事が着工、3年後の2020年に完工予定となっています。これにも工事進捗率が13%なのに、総工費の88%が支払済みとなっています。

政権交代により、2018年5月に初めて財務省に入ったリム財務相は、特定の関係者しか見ることのできない”赤いファイル”が財務省に存在することを知らされたとのことですが。

‐リム財務相は「赤いファイルによると、パイプライン・プロジェクトは着工して1か月目の2017年5月第1週に、資金の引き落としがすでに始まっている。2018年3月末現在で2つのプロジェクトの工事達成率は13%にすぎないものの、総工費94.1億リンギットのうち、実に82.5億リンギット(全体の87.7%)がすでに引き出され、いずれも中国企業CPPBに支払われているのを発見して驚いた」と6月5日にメディアに公表しました(FMT/ NST, June 5, 2018)。

費用の支払いがプロジェクトの進行状況に沿ってなされるのではなく、ほとんど9割に近い資金が1年目に支出されたという奇妙な事実をナジブ政府の閣議は承知したのか、調べる必要がある、と同財務相は語っています(Bernama, June 6, 2018)。

(表2)「一帯一路」3プロジェクトの資金支払状況 (金額単位:リンギット)

プロジェクト総工費中国輸出入銀行からの借款/総工費資金支払額
(2018年3月末現在)
工事進捗率着工→完工
ECRL
(東海岸鉄道)
550→810億85% (468億)196.8億15%2017.8月
→2024年
MMP
(石油パイプライン)
53.5億85% (46億)47.1億14.50%2017.4月
→2020年
TSGP
(サバ州横断ガスパイプライン)
40.6億85%(40億)35.4億11.40%2017.4月
→2020年
(出所)NNAマレーシア(2018年8月23日)、The Star,Aug 22,2018、その他から作成

「一帯一路」プロジェクト資金が1MDBの債務返済に使われたという疑惑が浮上しています。 

‐このように中国からの借款資金が不明朗な流れをしていることから、それがもしかしたら資金の一部が1MDBの債務返済に使われたのではないかという疑いがマレーシアのメデイアに流れています。

そのように疑われる背景には、2つのパイプライン事業を実施する中国石油パオプライン局のマレーシア側のパートナーである財務省傘下の100%子会社SSER(Suria Strategic Energy Sdn Bhd)の人脈が1MDBスキャンダルの黒幕とみられる華人実業家ジョー・ローとつながっているからです。

  • SSER社のアザール社長は、ジョー・ローが関与する会社Putrajaya Perdana Sdn Bhd の取締り役員。
  • SSER社は、1MDBの子会社であったSRC International 社の支社であり、そのSRCは起訴されたナジブ前首相の個人口座に公務員退職金からの借入金の一部を振り込んだ会社でもある。SSERのスタッフの中にSRC社に関係した者がいた、とリム財務相が6月5日に明言した(FMT,June 5,2018)。

このような疑惑が起こる背景には、何があるのでしょうか。

‐ナジブ政権時代に「一帯一路」関連のチャイナ・マネーがマレーシア側の事情で、つまり債務返済を抱える1MDBを救済するために、利用されたケースがあるからです。

たとえば、2015年に1MDBは傘下の発電所エドラ社の全株式98.3億リンギットを中国の原子力大手、中国広核集団(CGN)に売却して、負債(60億リンギット)も引き取ってもらったので、これが1MDB救済に大いに貢献したことは間違いない。もっとも発電所は外資上限49%という出資規制があるのですが、そうした国益を無視してまでも保身を図るナジブ首相(当時)の愚かさだけが浮かび上がったといえます。

発電所エドラ社の全額売却

1MDB傘下の独立系発電所の全株式RM98.3億を中国の原子力大手中国広核集団に2015年末に売却、しかも負債(60億)も引き取る、総額RM158億(4,400億円)も1MDB救済。ただし、発電所は外上限49%の外資政策を無視して100%を認可した。1MDB救済のためなら国益を無視しも構わない、とナジブ政権は考えていたのだろうか。

マハティール首相は2018年8月17~21日に中国を訪問しました。習金平国家主席との会談は、17~21日の滞在期間のうち帰国前日の20日でした。ここから、中国側の『冷淡さ』が見て取れるという指摘もあります。

‐「一帯一路」プロジェクトは前政府がG-Gベースで始めたものだが、政権が交代したので、マハティール首相としては中国政府首脳と直接話し合う方が良いと判断して、2018年8月17~21日に新閣僚6名を連れて中国を訪問しました。

8月20日にマハティール首相は、習近平国家主席と李克強首相、栗戦書全人代常務委員長(国会議長に相当)の首脳陣にそれぞれ個別に会談し、マレーシア政府は「一帯一路」政策を基本的に支持しているが、いま新政府は国家債務の削減に迫られ、重い財政負担を理由に東海岸鉄道とパイプライン計画を中止せざるを得ないことを説明し、中国側から理解と同意を得た、とマハティール首相が明らかにしました。補償金など中止の条件については今度協議することになります。

工事停止の理由の一つである資金支払の不明朗さは、あくまでもナジブ前政府内部のマレーシア側の問題であって、中国企業や中国政府が関与した問題ではない、というマハティール政府の考え方・立場を中国側に伝えたようです。

マハティール首相のこの訪中によって、東海岸鉄道とパイプライン敷設の「一帯一路」プロジェクトは中止になったのですか。

‐帰国後の8月24日の記者会見でマハティール首相は、「これらのプロジェクトは中止するのがベストだが、協議の過程でマレーシアに有利になれば、延期するか、他の方法で実行するか、検討の余地はある」とも述べました(Bernama, Aug 24,2018)。

東海岸鉄道は中国にとっては戦略的な「一帯一路」プロジェクトであるだけに、習近平主席の面子を配慮して、中止を先送りしているのかもしれない。最終的な中止になっていないので、現在は凍結状態です。パイプラインは支払った資金の返却が決れば、中止になるでしょう。

マハティール首相、習両氏のほか、李克強首相と会談をしています。マハティール首相と中国首脳との会談に関する中国の公式発表は、マレーシアでのインフラ開発計画が議論されたことに触れていません。中国外務省は、マハティール氏の発言について「2つの国が協力する中で、いくつかの問題や意見の違いが浮上するのは避けられない」と述べ、両国の首脳が友好的に違いを乗り越えていくことで合意したと発表しています(WSJ、2018年8月22日付)。

‐訪中に備えて、ダイム元財務相を事前に北京に派遣するなど、「一帯一路」を主導する習近平国家主席のプライドを傷つけないようにマハティールさんは慎重に準備し、一方の習主席はリー・クアンユーやスハルトなき後のASEANの長老を丁重に迎え、釣魚台国賓館の晩餐会に招待しました。(写真)

マハティール首相の今回の訪中目的は、「一帯一路」の問題だけでなく、政権交代後のマレーシア・中国関係は相互利益を重視した”新時代“をつくるという方針を両国で確認することでした。

すでに10年前から中国がマレーシアの最大の貿易相手国になり、中国からの直接投資は2016年に日本を追い抜いたこともあり、マハティール自身は対中経済関係を積極的に推進する立場は変わりません。今回の訪中で、マハティール首相はアリババ本社やプロトンの合弁先、吉利汽車の本社を見学するなど、対中経済関係に積極的な姿勢が見せています。

マハティール政権の対中政策の今後は

‐李克強首相との会談後の共同記者会見で、マハティール首相は、「自由貿易は公平な貿易であるべきだ。新たな植民地主義が台頭するような状況は望んでいない」と「一帯一路」戦略の下で拡大する中国の影響力に釘を射すことを忘れない。マハティール節は北京でも衰えていない。

8月20日の両国の共同声明で、相互利益をめざした貿易投資を促進するため、「マレーシア・中国の経済・貿易協力の5ヵ年計画(2018~2022年)」を策定することが決まりました。情報技術など高付加価値の投資分野での技術移転などを推進する方策が検討されるようです。

習国家主席夫妻がマハティール首相夫妻を釣魚台国賓館で晩餐会に招待、2018年8月20日、Bernama

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