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2019/11/18 No.444ITIタイ研究会報告(6)ラオスと中国の紐帯~南北経済回廊ラオス国道3号線(R3A)の沿線で見える中国~

藤村学
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
青山学院大学 教授

ラオス北部の交通の要衝、ルアンナムタで、早朝、轟音を轟かせてやってきた異様な一団に遭遇した。マレーシアのクアラルンプールから来たというコンボイ(ランドクルーザー9台、BMW大型オートバイ7台の総勢35人ほどの群団)である。南北経済回廊ラオス国道3号線(R3A)の悪路を北上し、ボーテンから中国に入り、モンゴル、ロシア、ラトビア、ベラルーシ、ポーランド、チェコ、ドイツ、フランスのパリへと一帯一路を65日間かけて走破する究極の現代版グランドツアーである。出入国を取り仕切るエージェント、医師、メカニック、弁護士が随行しているというから驚きである。ラオス北西部の国道3号線の沿道は、寒村が軒を連ねている。住民たちは、この群団をどのような目で見ているのであろうか。

タイのチェンコンからタイ・ラオス第4友好橋を渡ったラオスの町がフェイサイ、そこから国道3号線を約170Km北上すると、ルアンナムタに着く。今回、ルアンナムタをベースに、⓵ルアンナムタ↔ボーテン、②ルアンナムタ↔ムアンシン↔中国国境、ミャンマー国境(ラオス・ミャンマー第1友好橋)、③ルアンナムタ⇒ウドムサイ⇒ルアンパバーンー⇒ビエンチャンの3ルートから、ラオス北部における物流インフラ及び中国の経済的影響について実態調査を行った。まず、フェイサイからルアンナムタまでの現地事情を青山学院大学・藤村学教授に解説していただいた。(聞き手・大木博巳)

Q第4友好橋のラオス国境から、ラオス・ボケオ県のフェイサイ市街まで約10km。フェイサイは、前回の訪問と比べて何か変化がありましたか?

- フェイサイは人口がせいぜい2万人程度の小さな街ですが、メイントリートには垢抜けたレストランやカフェなど、前回見なかった店舗が増えています。バイクショップやミニスーパーなど、漢字の看板も目立つようになりました。フェイサイにはもともと一定程度の中国系住民が住んでいますが、(本シリーズ第4回で紹介した)ゴールデントライアングル経済特区の拡張効果もあり、ここに住みつく中国人事業家も増えたのだと思います。

Q フェイサイの果実野菜市場には中国産果実があふれていました。

- 果物はリンゴ、桃、プラムなどは中国からの輸入です。リンゴはいったんタイへ出てからラオスへ再輸出されたものが多いそうです。中国産品の農薬漬けイメージを避けるためでしょう。ラオス商人が中国商人から果物を直接買い付けることはあまりないようです。野菜は地場産が多く、通訳ガイドによれば、農薬を使う野菜と使わない野菜ははっきりわかるといいます。白菜、キャベツ、ゴーヤ、ナス、キュウリ、ネギなどは農薬を使っており、その他の雑多な葉物は使っていないそうです。

Qオートバイは、日本ブランド品が優勢であったように見えました。

- マーケットの駐車場にあるオートバイはホンダが多く、クラシックの域に達したSuper Cubを始め、次にWaveが古く、次に Click、スクータータイプの新モデルScoopieと勢揃いでした。このあたりのホンダはタイで製造されたものを輸入しているそうです。ベトナム産のDreamも入っています。ラオスではホンダはビエンチャンに組み立て工場があります。現地生産のオートバイではKOLAO製(中部サワナケート県に組み立て工場)も少ないが見かけました。

Q フェイサイにはボケオ県の立派な県庁舎があります。中国の寄付によると聞きました。かつて、東欧のどこかの町で見たような錯覚を起こしました。

- 地元のマーケットを出て、丘の高台に建つ県庁舎へ登りました。夕方、勤務時間を終えた時間でしたが、ゲートが開いていて門番もいなかったので、進入したところ、小さい街に不釣り合いに大きい立派な県庁舎があります。広場にはラオス国旗に加えて人民革命党旗がはためいていました。ただ、展望台のようなものはなく、写真を撮る場所はありませんでした。門番があとから現れ、「何の用事か」という感じで、ドライバーの身分証明を求められ、我々乗客の身元についても聴取されました。

Q, ラオス北西部の国道3号線をフェイサイからルアンナムタまで約170kmを実質約4時間で走行した。フェイサイからルアンナムタへの道路状況は?

-フェイサイ~ルアンナムタ~ナトウーイ交差点の3号線およびナトウーイ交差点~ボーテン国境の舗装道路は2008年に完成したものです。タイ寄りの3分の1がタイの援助、中国寄りの3分の1が中国の援助、真ん中の3分の1がアジア開発銀行の援助でそれぞれ工事区間を区切って整備されました。すでに10年以上経ったことと、重量車両の通行が増加したせいか、傷んでいる箇所が目立ち、前回より走行スピードが落ちました。今後はますます修復が必要な箇所が増えると思います。

Q バナナやゴムのプランテーションが目に入ってきました。

-これらはラオス農家が中国企業に契約生産で販売するものや、中国企業とラオス企業の合弁で運営するものといろいろあるようです。通訳ガイドによれば、中国寄りのルアンナムタ県のム生産が最も多いが、ボケオ県もそれに続くといいます。5年以上前まではゴムの販売価格が高く、ラオス農家がこぞって参加したが、その後、値崩れし、買いたたかれているという状況だそうです。一度ゴム園に転換した土地はほかの用途に戻せないうえ、中国市場にしか売れないので、不利な状況にロックインされてしまいます。

Q.仲買人が天然ゴムの樹脂の塊を農民から買い付けている光景を目にしました。沿線には、ゴムの集荷場がいくつも見かけました。

-中国国境に近づくにつれゴム林が目立ちます。中国・雲南省最南部の西双版納(シーサンパンナ)にもゴム林が多いのですが、中国側で植林の余地がなくなったところで、国境を越えてラオス北部へ進出してきたのだと思います。ミドルマン(バリューチェーンの上流に近いほどラオス人、加工工場の下流に近いほど中国人と推測)が、ゴム液を何かの酸で固めて巨大なおにぎり状にして買い上げている現場に遭遇しました。車を降りて近づいたら、臭いのなんの。ドリアン以上のスーパーヘビー級です。通訳ガイドは近づきたがらないので詳しい事情がわかりませんでしたが、1kgあたり20バーツが相場だといいます。2013~2015年のおそらく初期の収穫開始時期(植樹から収穫開始までに8~10年かかる)には1kgあたり50~60バーツだったが、買い手市場で値崩れしたようです。

Q ルアンナムタへ向かう途中にカム族の村に立ち寄りました。経済発展から取り残さているようでした。

-フェイサイを出発して約100分後、約70km地点で、沿線のクメール系のカム族の村Ban Sodがあります。カム族は昔、奴隷労働力としての地位でしたが、フランス軍が戦闘要員として利用した経緯から、ラオ族からはその後差別を受けたということです。やはりベトナム戦争時に米軍が動員したモン族と似たような歴史でしょうか。陸稲中心にほぼ自給自足でしたが、余ったコメを道路沿いの販売小屋で売っています。大半の世帯が豚を飼っていて、子豚が道路をチョロチョロ横切って走って危なっかしいです。現在押し寄せている中国資本の投資はラオス経済の景気を刺激していることは間違いないですが、確かにそうした流れからは取り残されている印象です。

Q. ルアンナムタ市場では、ラオ語を話せない中国人が商売をしていました。かなりの数のいわゆる「新華僑」が、市場で商売をしているようでした。

-マーケットの正面にはVivoやHuaweiの看板が並び、(生鮮品でない)ドライ部分のほぼすべての店舗は中国人オーナーで、家電製品、玩具、衣料品、靴、装飾品などほぼすべて中国製です。トイレや風呂周りの雑貨だけはタイ製品だった。通訳ガイドの見立てによれば、ドライマーケットの店舗オーナーたちは昔からいる中国系民族ではなく、ここ数十年のうちに移入してきた「新華僑」だとのことです。

Q.自家用車でルアンナムタに乗り込んできた中国人ファミリーを見かけました。

-市街で夕食中、雲南省ナンバーの子供連れの若い中国人夫婦がレストランの向かいにBMWを駐車し、ナイトバザール(夕食屋台)通りへ向かうのを見ました。通訳ガイドによると、こうした中国籍の乗用車はラオス当局に登録して登録料を払えば、ラオスのどこでも走行できるとのこと。中国正月ともなれば、数千台規模で雲南省から中国車両が観光旅行にやってくるといいます。タイでは不評を買った中国人の乗用車乗り入れが、ラオスでは左ハンドル・右側通行という共通のシステムもあるせいか、自由に走行できるというのは、経済統合のひとつの形態かもしれません。

Q,ラオスで中国の影響力が強まった背景に、前副首相の存在が大きいと聞かされました。

-ラオス政治について率直な物言いをする若手識者から、ラオスと中国の関係について私見をうかがう機会がありました。彼によれば、中国に依存する年配層が政権の中枢にいるため、海外経験をもつ若者層が中国を敬遠したとしても、なかなか中国との政治関係は変えられないということです。その象徴であるソムサワート・レムサワン氏は海南出身の中国系で、1998年以来20年近く副首相を務め、大規模な中国資本による投資をトップダウンで誘致してきたという話です。以前は政治的にはラオスはベトナムの影響が大きかったが、今では中国が逆転し、タイの影響力も弱まっているという見方です。

一方で、現在のトンルン首相はロシアでPhDを取得し、アメリカや豪州でも短期滞在の経験がある国際派で、前トンルン政権下の親中国の前副首相が築いてきた中国べったり路線をできる限り修正しようという姿勢だそうです。しかし、現状では中国の経済進出の勢いを止めるのは難しく、5年後以降、ラオスがどうなっているのか、見通すことは難しい、と明かしてくれました。

(参考)KOLAOグループ:1997年にラオスで中古車販売業としてスタートし、自動車の生産・販売をはじめ、銀行、建設、新聞などへ事業を拡張。内需モデルで成功した韓国系企業。セダンでは市場シェア65%、商用車では24%程度とみられる。ベトナム、パキスタンへ事業を拡大。2020年までにインドシナのトップ10企業を目指している(ジェトロ・ビエンチャン事務所、山田健一郎氏情報)

(ITIタイ研究会は公益財団法人JKAの補助事業)

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