一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2003/12/10 No.52EU加盟準備は進んでいるのか
〜欧州委員会は農業分野などで深刻な遅れを指摘〜

田中信世
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹

  新たに中・東欧などの10カ国が加盟した25カ国の拡大EUが誕生する来年5月1日まであと4ヵ月余りを残すだけとなった。昨年12月のコペンハーゲンでのEU加盟交渉の妥結から早くも1年が経ったわけであるが、その間、加盟予定国の加盟準備は順調に進んできたのだろうか。

  欧州連合(EU)の欧州委員会は、2003年11月5日、加盟予定国における加盟準備状況を評価した報告書を発表した。報告書は加盟交渉で取り上げられた、人・モノ・サービス・資本の自由移動のほか、競争政策、農業、環境政策など29分野について加盟候補国別に準備の進捗度を詳細に評価している。その中で、欧州委員会は加盟予定10カ国の多くの国において農業分野、特に新規加盟予定国の中では最大の農業国であるポーランドで深刻な遅れが生じていると指摘している。

  以下、欧州委員会の報告書などから、農業分野の加盟準備においてどのような点が問題になっているのかについて見てみよう。

IACSの構築

  まずどの加盟予定国においても深刻な遅れが出ていると指摘されているのが、「統合管理コントロールシステム(Integrated Administration and Control System;IACS)」の構築問題である。

  「統合管理コントロールシステム」というのは、現EU加盟国で行われている共通農業政策(CAP)を実施するうえでの基礎となっているもので、個別農家ごとに農地面積、作物別の作付面積、飼育家畜の種類と種類別の飼育頭数などを把握し、基本台帳として整備したもので、CAPによる農家に対する直接支払い、休耕地面積の決定、牛乳・砂糖などの生産割当て等を実施する場合、すべてこのIACSに基づいて実施されている。

  従って、このIACSが新規加盟国においても確立されていないと、加盟予定国が予定どおりEU加盟したとしても、共通農業政策を実施することは事実上できないということになる。このIACSは各農家の膨大なデータを管理する必要があることから、当然コンピューターによるデータベースの構築が必要となるが、加盟候補国においては特にデータベース構築に際してのIT技術の遅れ、IACS構築を担当する機関における職員不足、人材不足などがIACSを構築するうえで大きな問題点になっていると報告書では指摘している。

  また、IACSの構築がスムーズに行われるためには、そのベースとなる土地台帳が完備していることが重要であるが、中・東欧諸国においては土地台帳が完備しておらず、土地台帳の不備もIACSを構築する上での大きな障害としてこれまでから指摘されてきた。中・東欧諸国においては第二世界大戦後の社会主義政権時代に、社会主義政権下でも土地の個人所有に比較的寛容で黙認されてきたポーランドを除き、個人の所有地は次々と接収されて大規模な国有農場に姿を変えていった。1989年の体制転換後、国有農場は解体し国有農場の土地は原則として元の所有者に返還されていったが、40年に及ぶ社会主義政権時代の後遺症は大きく、元の所有者がわからない、土地の境界線があいまいになったといった様々な問題点が浮上し、完全な土地台帳を作成することが困難な状況が続いていた。

  社会主義政権下で土地の個人所有に比較的寛容であったポーランドについてさえ、報告書は、「機能するIACSが確立されていないことが深刻なリスク」と指摘したうえで、問題点として「職員数の不足」「IT技術の遅れ」と並んで「土地登録が十分に整っていない」点を挙げている。

支払い機関

  次にほぼどの加盟予定国にも共通して「遅れ」が指摘されているのは、「支払い機関(Paying Agency)」の立ち上げと改善である。「支払い機関」というのは共通農業政策により実施される農家に対する直接支払いや農村開発計画のための構造基金からの資金をEUから受け取り、各農家に支払う機関のことである。「支払い機関」は資金面の受け渡しの窓口となる機関であり、EUの共通農業政策が機能するためには、機能する「支払い機関」の確立が必須の条件となる。従って、「支払い機関」が十分に機能しないままEUに加盟したとしても、EUから共通農業政策関連の資金や農業改善資金を受け取れないし、自国の農家に支払うこともできないということになる。

  例えば、ポーランドの場合、支払い機関として農村開発計画やIACS構築を含む直接支払いを担当する農業構造改善近代化庁(ARMA)と農産物の介入買い付けなどを担当する農業市場庁(AMA)の2つが指定されているが、ARMAやAMAの活動の裏付けとなる法律の整備、財務省による認可が遅れているとされている。また、報告書では、特にこれら機関における予算管理業務、コンピューターによる会計システムの立ち上げ、新規職員の採用と研修などを加速させる必要があると指摘している。

食品衛生管理問題

  「遅れ」が指摘されている第3の分野は、食品加工工場における食品衛生管理問題である。この問題に対するEUの基本的スタンスは、新規加盟国の食品衛生管理がEUの定める食品衛生管理水準に達していない場合は、EU加盟後は国内販売もできないし、EU域内への輸出もできないというものだった。

  しかし、こうしたEUの厳しい対応は、加盟予定国の食品加工工場に深刻な影響を及ぼすことが懸念されたことから、加盟予定国はEU加盟交渉において暫定措置を設けるよう粘り強い交渉を続けてきた。その結果、加盟予定国によるEUの農業関連アキ・コミュノテール(EUが基本条約に基づいて積み上げてきた法体系の総体)への適合までの暫定措置として次のような点が合意された。

  1. 特定の食品加工施設に関し、EUの食品衛生基準等に完全に適合するまでの一定期間(食肉加工については2007年末まで、乳製品、生乳については2006年末まで)、輸出は出来ないが国内販売は認めるという
  2. 暫定措置を認める(暫定措置の対象として認められる食品加工施設の数は、チェコ52、ハンガリー44、ラトビア117、リトアニア20、ポーランド485、スロバキア2)。暫定措置対象工場以外のすべての食品加工工場はEUの定める規定に完全に合致したものでなければならず、その製品はEU市場に自由に流通することができる。  

しかし、合意事項の2点目は裏を返せば、暫定措置対象工場以外の食品加工工場は、EU加盟時までにEUの規定に完全に合致しなければ、国内販売も輸出もできないということであり、その多くが廃業に追い込まれることを意味する。

  ちなみに、ポーランド農業農村発展省発行の資料Agriculture and food economy in Poland、September 2002″によって、ポーランドの食品加工産業の現状を見ると、2001年においては、食品産業の従業員は全製造業従業員の15.6%、全産業の従業員の8%を占めるなど、食品産業はポーランドの産業の中では規模が大きく重要な産業となっている。食品加工企業の数は3万であるが、そのうち従業員50人以上の加工企業は1,523にとどまり、大部分が零細企業である。また、ポーランドの食品産業の生産性はEU諸国と比べると低く、従業員1人当たりの労働生産性と1企業当たりの売上高はEUの半分以下の水準にとどまっている。このようにポーランドの食品産業は零細企業が多く、生産性も低いことから、一部企業についてはアキ・コミュノテールへの適合までに暫定期間が設けられるとはいえ、暫定措置対象外の多くの企業はEU加盟によって廃業に追い込まれるなど、大きな影響を受けることが予想される。

  以上が、欧州委員会の加盟準備に関する報告書に盛り込まれた、農業分野で「深刻な遅れ」が指摘されている主な項目であるが、上記項目以外にも、報告書は、家畜衛生(狂牛病対策、域内市場向け家畜衛生コントロール、狂牛病対策、国境コントロール、動物福祉)、植物衛生などの面での遅れも指摘している。

表1 ポーランドの加盟準備に対する欧州委員会の評価

準備の進捗度項目
A・横断的な項目;品質管理政策、有機農業、農家会計データネットワーク(FADN)および国家補助金
・共通市場組織(以下の項目);穀物等の農作物、砂糖、果実・野菜、ワイン、羊肉および豚肉
・家畜衛生;家畜伝染病対策、家畜飼育技術
B・貿易メカニズム
・共通市場組織(以下の品目);牛乳、牛肉および卵・家禽肉
・農村開発
・家畜衛生;域内市場における家畜衛生コントロールシステム(家畜の移動コントロールを除く)、生きた動物および畜産品の貿易、動物福祉、動物栄養
・植物衛生(馬鈴薯伝染病を除く)
C・支払い機関の立ち上げ
・統合管理コントロールシステム(IACS)
・家畜衛生;4つの基本的な家畜衛生法の採択と施行、狂牛病および廃棄家畜の処理(収集システムと処理工場)、家畜移動コントロール
・植物衛生;有害植物有機物の処理(馬鈴薯伝染病対策)
・食品衛生;食品加工施設の改善

注)
A=基本的にEU基準を満たしている分野(現在の水準を維持すれば、加盟時のアキ実施が可能な分野)
B=部分的にEU基準を満たしている分野
C=準備状況に重大な懸念がある分野(早急な是正措置がとられなければ、加盟時にアキの実施が困難な分野)
(資料)Comprehensive monitoring report on the Poland’s preparations formembership より作成

表2 ハンガリーの加盟準備に対する欧州委員会の評価

準備の進捗度項目
A・横断的な項目;品質管理政策、有機農業、農家会計データネットワーク(FADN)および国家補助金
・共同市場組織(以下の品目);穀物等の農作物、果実・野菜、牛乳、牛肉、羊肉および豚肉、卵・家禽肉
・家畜衛生;家畜伝染病対策、生きた動物および畜産物の貿易、動物福祉、家畜飼育技術、家畜栄養
B・貿易メカニズム
・共通市場組織(以下の品目);ワイン、砂糖
・家畜衛生;狂牛病および家畜廃棄物の処理(処理工場の改善)、域内市場向け家畜衛生コントロールシステム(家畜認定および輸入コントロール)
・植物衛生;農薬の最大残存基準のみ
C・支払い機関の立ち上げ
・統合管理コントロールシステム(IACS)
・農村開発
・食品衛生;食品加工施設の改善

注)A、B、Cの分類は表1と同じ(資料)Comprehensive monitoring report on the Hungary’s preparations formembershipより作成

3 チェコの加盟準備に対する欧州委員会の評価

準備の進捗度項目
A・横断的な項目;品質政策、有機農業、農家会計データネットワーク(FADN)および国家補助金
・共同市場組織(以下の項目);穀物等の農作物、果実・野菜、牛乳、羊肉および豚肉、卵および家禽肉
・農村開発
・家畜衛生;家畜伝染病コントロール対策
B・支払い機関の立ち上げ
・統合管理コントロールシステム(IACS)
・貿易メカニズム
・共同市場組織(以下の品目);砂糖、ワイン、牛肉
・家畜衛生;狂牛病・家畜廃棄物対策、域内市場向け家畜衛生コントロールシステム、生きた動物および畜産品の貿易、動物福祉、動物栄養
・植物衛生
C・食品衛生;食品加工施設の改善

注)A、B、Cの分類は表1と同じ(資料)Comprehensive monitoring report on the Czech Republic’s preparations for membershipより作成

  欧州委員会は報告書の中で、農業を含む全分野で「深刻な問題」として指摘した項目は約39項目(全項目の3%)であり、2004年5月1日の加盟に支障をきたすことはないとしている。しかし、項目数の上では「深刻な問題」は約3%と極めて小さいとはいえ、問題が共通農業政策実施の根幹にかかわる問題が多いだけに、準備の進捗状況次第では今後の加盟予定国の経済に深刻な影響を及ぼすことも予想される。

  EU加盟予定国では、来年5月1日までに加盟準備に全力を尽くすとしているものの、ポーランドの在ブリュッセルEU代表部などでは、対応の遅れから、EU加盟後にEUから「セーフガード」が発動される恐れが残っていることを否定していない(ジェトロ「通商弘報」、2003年12月1日付)。

  仮に加盟時までに加盟準備が完全に整わず、新規加盟国で共通農業政策が一時的にせよ実施できない事態になれば、形の上では統合が行われたものの、実質的には一部の分野を積み残したまま統合が見切り発車をするということになる。

  筆者は『ITI季報』(NO.43、2001年1月)に掲載した「EU、21世紀の課題〜問われる「深化」と「拡大」の調和」において、 21世紀におけるEUの大きな課題はEUが今後地域的な拡大と統合の深化をどのように調和させていくのかにあると指摘してきたが、 中・東欧諸国のEU加盟はまさに「拡大」と「深化」の調和が問われる最初のケースということができるかもしれない。

  また、中・東欧諸国のEU加盟は、今後のEUそのものの統合の進展にも大きな影響を及ぼすことも考えられる。例えば、ベルギーの大手PR会社バーソン・マステラー・ベルギー(B-M)の公務部門BKSHは、欧州委員会の幹部約30人に対して実施したインタビューをとりまとめた報告書『2004年の拡大〜ビッグバンと余波』の中で、欧州委員会の幹部は、EU加盟国の増加に伴い、EUでは新たな制度づくりなど「統合深化」の遅れがでることを危惧しているとしている。その理由として、同報告書は、新規加盟国は加盟条件の履行に手一杯で、EUの補助金が得られないかぎり新たな制度づくりに消極的な態度をとることが予想されるためとしている。

  EUの「拡大」と「深化」の調和という問題は、中・東欧諸国のEU加盟後も、これら諸国が2007〜2010年ごろを目途に目指しているユーロ参加問題、あるいは今後予定されているブルガリア、ルーマニアなどの第二陣のEU加盟時など節目ごとに、問われ続ける問題となるに違いない。

関連記事等

・「EU拡大と労働移動」(田中信世)、ITI季刊No.53、2003.8.(pdf-file)
・「EU拡大と新規加盟国への資金移転」(田中信世)、ITI季刊No.51、2003.2.(pdf-file)
・「東欧経済改革と外資の役割」(田中信世)、ITI季報No.45、2001.8.(pdf-file)
・「ポーランド農業のEU 加盟への対応−EU加盟が中・東欧諸国の農業に与える影響の調査研究−(概要)」(調査研究報告書、2003年3月)(pdf-file)
・「東欧への直接投資と経済構造改革に関する調査研究」(調査研究報告書、2003年3月)(pdf-file)

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