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コラム

2023/01/06 No.108EUはEV税額控除で北米と同じステータスを手に入れるか~カナダのインフレ削減法におけるロビー活動の成功と日本の北米戦略~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

メキシコの生産拠点からの対米乗用車輸出において、厳格なUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)の原産地規則(北米原産かどうかの基準)を満たすことができなければ、2.5%の関税を支払わなければならず、輸出価格が2万ドルの場合は500ドルを追加支出しなければならない(ピックアップトラックの輸出では、関税は25%なので、追加支出は5,000ドル)。これに対して、米国でのEV(電気自動車)の税額控除は最大で7,500ドルまで可能であり、日本のEVを巡る北米戦略を検討する際、いかにそのメリットが大きいかを理解することができる。

インフレ削減法のEV税額控除で北米が有利に

日本のEVのシェアが世界のEV市場において、中国、米国、欧州などの後塵を拝する中、日本企業の自動車の海外生産も新型コロナ以前と比べると急速に減少している。新型コロナによる工場閉鎖や半導体の供給能力の低下が主な原因だ。日本メーカーの自動車(乗用車及びトラック・バス)の米国での生産は2016年には400万台近くにも達したが、2021年には270万台に大きく減少した。

カナダでの日系メーカーの自動車の生産は、2017年には100万台に達したが、2021年には米国への生産移管もあり62万台に落ち込んだ。メキシコにおける日系メーカーの自動車(大型バス・トラックを除く)の生産は、2017年には133万台まで拡大したが、2021年には103万台まで減少した。日本の自動車の海外生産は2021年には2018年から350万台も減少しているが、その中で北米3か国での生産は138万台を減らしている。

USMCA(新NAFTA)は2020年7月に発効したが、自動車の原産地規則を厳格化したため、特にメキシコからの対米自動車輸出において、関税免除を受けるためのハードルが高くなった。つまり、USMCAはメキシコやカナダでの自動車の生産や北米間でのサプライチェーンの流れを抑制する働きをしている。

ところが、2022年8月に発効したインフレ削減法(IRA)においては(注1) 、米国で販売するEVについて税額控除を受けるには北米で生産した完成車か一定以上の北米産のレアメタルやバッテリー部品の抽出・製造が必要になった。このため、EUや日韓英の自動車関連企業は北米(米墨加)の企業よりもEVの税額控除の獲得において不利になった。つまり、カナダとメキシコはUSMCAでは対米自動車輸出で関税免除を得ることが難しくなったが、インフレ削減法では米国のEV税額控除の獲得においてEUや日韓英よりも有利になったのである。

中国産のバッテリー素材・部品を排除

インフレ削減法の下では、新たなEVの税額控除の要件として、「北米でEVの最終組み立てが行われ、バッテリーの素材や部品が米国やFTA(自由貿易協定)の締結国から一定比率以上の割合で抽出・製造されていること」、が求められるようになった。しかも、その割合は段階的に引き上げられなければならないと規定されている。

具体的には、2023年中は、リチウム等のバッテリー用重要鉱物の40%が有効なFTA締結国で抽出・処理されるか北米でリサイクルされたものであること(2027年以降には80%) 、バッテリー用部品(正極材、陽極材等)の50%は北米で製造されていること(2029年以降は100%) 、を要求している。新規EV購入で、重要鉱物の抽出・処理の条件を満たせば7,500ドルの半分である3,750ドル、バッテリー部品の製造要件を満たせば残りの半分(3,750ドル)を税額控除できる。

一方、中国やロシアなどの懸念される国の事業体によって抽出・製造されたバッテリー用の部品や重要鉱物が含まれる場合は、それぞれ2024年以降、2025年以降には税額控除の対象外になる。

功を奏したカナダのロビー活動

インフレ削減法でのEV税額控除の要件中に、北米の企業が有利になる文言が盛り込まれたのは、カナダのロビー活動の成果によるところが大きい。インフレ削減法の前身であるビルドバックベター(BBB)法案においては(注2) 、当初の税額控除の要件として米国で組み立てられたEVであることが規定されていた。

BBB法案がこのままで可決されると、カナダで生産された自動車の8割は米国で消費されているため、カナダの自動車産業には大きな打撃となることは間違いなかった。このことに危機感を覚えたカナダは、ジャスティン・トルドー首相の反対表明に加え、自動車部品製造業者協会のフラビオ・ヴォルぺ会長らのロビー活動により、最後の土壇場でインフレ削減法の中に、「北米で最終的に組み立てられたEV」や「FTA締結国で抽出・処理された重要鉱物」などの要件を盛り込むことに成功した。ヴォルぺ会長は、2021年のほとんどをワシントンD.C.で過ごしたようだ。

このインフレ削減法の最終段階で北米要件を盛り込むことに成功したのは、インフレファイターであるジョー・マンチン民主党上院議員(ウエストバージニア)とチャック・シューマー民主党上院院内総務に依るところが大きい。BBB法案は、米下院では2021年11月19日に可決されたが、上院ではマンチン議員が同年12月19日、財政への悪影響やインフレ加速の懸念から同法案に反対を表明し、同法案の審議はしばらく頓挫することになった。

BBB法案の中身に関する調整がしばらく続けられた結果、マンチン上院議員は2022年7月27日、BBB法案に替わるものとして、民主党内で新たに気候変動対策や法人税増税等を盛り込んだインフレ削減法案に合意したことを公表した。こうした最後の詰めの段階で、カナダとメキシコが強烈に米国産車だけを対象にした当初のEV税額控除案に反対したこともあり、EV税額控除の北米要件が盛り込まれるに至った。

日本企業はUSMCAの発効により、メキシコやカナダで生産された自動車の対米輸出を見直すかどうかを迫られたが、こうしたカナダのインフレ削減法でのロビー活動の成功などにより、EV関連分野においては、北米域内での生産調達戦略の見直しを再び検討せざるを得なくなったと思われる。GMは2022年末にオンタリオ州インガソールでカナダ初の本格的な商用EVプラントを立ちあげ、2025年までに年間5万台のEV配送車を製造する予定である。この他にもEV用バッテリーの生産で、GMや韓国の企業がカナダへ進出する計画が進んでいる。

インフレ削減法が米EUの通商上の最大の懸案事項に

EUや英国の自動車メーカーは、現時点では米国市場へのEVの供給を輸出や現地生産で行っているが、現行のインフレ削減法の下でEV税額控除のメリットを得るには、バッテリーに使用する重要鉱物について米国がFTAを結んでいる国で抽出・処理されたものを調達し、さらにはバッテリーの生産や自動車の組み立てを北米で行わなければならない(注3) 。

北米での部材調達や米国でのEV生産を確立するには時間やコストがかかることもあり、EUはインフレ削減法の税額控除ルールがWTO違反の恐れがあるとし、バイデン政権に対してルールの変更を要求している。

EUはインフレ削減法によるEVへの税額控除は域内の企業や産業を差別しているとし、2022年10月にTTC(米EU貿易技術評議会)の中に設置された「インフレ削減法に関するハイレベル・タスクフォース(作業部会)」などの場において、EV税額控除の案件を解決できるよう米EUが上手く調整し合うことを求めた。

ジョー・バイデン米大統領は2022年12月1日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領との首脳会談後に開いた共同記者会見において、「インフレ削減法での米国がFTAを結んでいる国からの調達は例外とする条文」は単にFTAというよりも同盟国を意味したことを認めている米国議会のメンバーによって追加されたことを引用しながら、北米で生産したEVやそのバッテリー用部品等を優遇する措置について調整可能であることを匂わせた。マクロン大統領は、2023年の3月までにEV税額控除の問題を解決したいとの意向を示した。

財務省がEV税額控除要件での具体的な対応を示唆

EUはインフレ削減法でのEV税額控除の要件の本格施行が始まる2023年より前に米国との調整を終えたかったが、2023年1月5日の時点において米EU間で合意が成立していない。その中で、米財務省は同年12月21日、「バッテリー用の重要鉱物や部品に対するEV税額控除の要件のガイダンス」の公表を2023年3月まで延期することを明らかにした。しかも、同省によればEV税額控除の要件はガイダンスが発行された後でないと適用されないとのことである。

また、同省はリースされた商業用EVは、輸入されたものであっても2023年1月から7,500ドルの税額控除の対象とする方針を明らかにした。これを受けて、バッテリー用の重要鉱物や部品に対するEV税額控除の要件において、北米と比べて不利な立場にあるEUや韓国は歓迎の意を表明した。一方、マンチン上院議員は、バイデン政権のリース用のEV商業車を税額控除の対象とする方針に対して、インフレ削減法の意図と矛盾するとして強く反対し、これに対抗する法案を提出することを示唆した。

財務省は3月にバッテリー用の重要鉱物と部品に関するガイダンスを発表することになるが、FTAの定義がインフレ削減法では明確にされていないとし、EV税額控除の対象となる少なくとも20か国のFTA等を公表する予定のようだ(注4) 。そして、同省はFTAの独自の定義を考え出すことができることを指摘した。これにより、米国と正式なFTAを結んでいないEUなど、EV税額控除の対象となる国・地域を広げる可能性がある。3月のガイダンスでは、米国とのFTAを締結していると見なすための基準を特定するとしている。

今のところ、バッテリー用の重要鉱物に関するFTA要件以外の要件については、バイデン政権は変更する考えを示していない。これは、リース用のEV商用車の税額控除やFTAの定義の明確化によるEV税額控除の対象拡大の可能性はあるものの、それ以外のEUや韓国などと北米とのEV税額控除に関する条件格差は、今後とも維持・継続されることを意味している。

EU委員会の高官は、フランスのブリュノ・ル・メール経済・財務相、ドイツのロベルト・ハーベック経済相とともに、2023年1月にワシントンDCを訪れ、米国の高官とインフレ削減法について話し合う予定と伝えられる。その交渉では、EV税額控除の要件に関して、EUがカナダとメキシコと同じステータスを得るための具体的な解決策について喧々諤々の話し合いが行われるものと思われる。

税額控除ルール導入を遅らせる法案を提出

韓国政府もバイデン政権のインフレ削減法のカウンターパートと定期的に会い、EV税額控除に関する懸念について話し合っている。韓国の自動車メーカーは、まだ北米でEVの生産を行っていないため、現行のインフレ削減法が適用されれば、当面の間は米国でのEV販売における税額控除の対象から外れることになる。このため、韓国政府はEV税額控除の対象となることを可能にするルール(FTAや商用車条項等)の広い解釈の導入、あるいは税額控除の適用の延期などを要求してきた。

米国議会では、こうした韓国などのインフレ削減法を巡る要求を踏まえ、民主党のラファエル・ワーノック上院議員は既に2022年9月、また4人の下院民主党議員は同年11月、EVの税額控除における調達要件の段階的導入を遅らせる法案を提出した。

具体的には、両方の法案は、EVの最終組み立てを北米で行う要件を2026年まで延期することを求めている。また、「一定の割合の自動車のバッテリーに使用される重要鉱物を米国内か米国とFTAを結んでいる国から調達しなければならない」という要件、及び「一定の割合のバッテリー部品が北米で製造されていなければならない」という要件、についてはそれらの段階的導入を2026年まで延期することを盛り込んだ。

ワーノック上院議員はジョージア州から選出されているが、同州には韓国の自動車メーカー起亜が進出済みで、さらに現代自動車や新興EVメーカーのリビアンが工場の新設を予定しており、そうした事情が同上院議員のEV税額控除関連法案の提出に繋がっていると思われる。

このようなEV税額控除のルールの適用を遅らせる法案の動きはあるものの、議会での手続きに時間がかかることもあり、バイデン大統領はインフレ削減法の修正を議会に諮らない意向のようである。

インフレ削減法の日本の北米戦略へのインパクト

日本企業に関しては、米市場でのEV販売が米韓や欧州の企業と比べて遅れているため、税額控除を受けるための条件をクリアする問題については相対的に影響が少ないと考えられる。したがって、EV税額控除の要件に関するルールの見直しが行われると思われるが、その分だけ日本企業には、急速に拡大する米国のEV市場での販売への対応に少し時間的余裕が生まれることになる。同時に、新たなEV税額控除の対象となるリース用商業EVのルールとともに、バッテリー用重要鉱物に関するFTA要件の定義拡大の恩恵も受ける可能性がある。

さはさりながら、今後は日本企業もEV販売に伴う税額控除を確実に得るには北米での生産や調達を増やさなければならず、韓国や欧州の企業と同様にインフレ削減法の新ルールからの影響を受けることには変わりはない。

USMCAの発効で原産地規則が厳格化されたものの、これまでのところ日本企業はメキシコやカナダにおける自動車の生産や輸出のスキームに大幅な修正は加えておらず、2021年の日本の対メキシコ投資は自動車関連も含めて増加した。それでも、北米での新規の投資を計画する際には、これまで以上に米国での生産を検討しがちである。USMCAのインパクトが、日本企業の北米戦略の自由度を微妙に変えたのである。

そうした中で、インフレ削減法の発効により、EV税額控除を得るには北米要件を満たすことが必要になったため、カナダとメキシコには、USMCAの発効で関税免除を得ることが難しくなったことを補うメリットをもたらすことになる。今後はバイデン政権とEUや韓国などとの調整が進み、EV税額控除のスキームでの北米の優位性が低下する可能性があるものの、日本企業のEV関連分野を巡る北米戦略において、カナダやメキシコをより活用する余地が生まれたことは間違いない。

1. インフレ削減法(The Inflation Reduction Act of 2022、IRA)は、歳出規模を今後10年間で約5,000億ドルに縮小する一方で、歳入を15%の最低法人税率などの導入により7,380億ドルに引き上げることで財政問題を解決するものとなっている。インフレ削減法案の歳出の内訳を見てみると、気候変動対策費は今後10年間で約3,900億ドル、医療保険改革支出は約1,000億ドルを見込んでいる。同法案は、上院では2022年8月7日、下院では8月12日に可決され、バイデン大統領により8月16日に署名された。

2. BBB法案からインフレ削減法への推移については、「米クリーンエネルギー革命はどのようなイノベーションを引き起こすか~その2 倍増の約60万台に達した米EV販売はインフレ削減法で加速するか~」
国際貿易投資研究所(ITI)、コラムNo.105、2022年11月1日参照。
(https://iti.or.jp/column/105)

3. ジェトロの資料によれば、米エネルギー省が公開した税額控除ルールを満たす可能性が高いEUのEV車両は、2022 年製車では、アウディQ5、BMW3シリーズ・X5、ボルボS60(いずれもPHEV)、2023年初期製車では、BMW3シリーズ(PHEV)、メルセデスベンツEQS(BEV)であった。

4. 米財務省のFTA(自由貿易協定)の定義には、少なくともオーストラリア、バーレーン、カナダ、チリ、コロンビア、コスタリカ、ドミニカ共和国、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、イスラエル、ヨルダン、韓国、メキシコ、モロッコ、ニカラグア、オマーン、パナマ、ペルー、シンガポール、などの20か国との既存の包括的貿易協定が含まれると見込まれる。

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