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コラム

2023/06/27 No.113IPEF(インド太平洋経済枠組み)のサプライチェーンでの合意と今後の交渉の行方~その1 サプライチェーン協議会や危機対応ネットワーク等の設置を発表~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

IPEFのサプライチェーンでの合意を受け、加盟国での国内承認手続きが完了すれば、サプライチェーンの柱での「情報共有と危機対応メカニズム」が機能することになる。その結果、何らかの要因でIPEF加盟国での部材の供給調達網が寸断された場合、日本を含む加盟国は、モニタリングで情報を共有し、互いに協力して部材を供給調達し合うことになる。すなわち、日本企業はIPEF加盟国と協力してサプライチェーンの危機に対応することで、半導体等の重要分野・品目で安定的な供給調達を達成しやすくなる。

サプライチェーンの柱で実質的に合意

米国のジーナ・レモンド商務長官は2023年5月27日、IPEF(インド太平洋経済枠組み)の閣僚会合が開催されていたデトロイトにおいて、IPEFを構成する柱の一つである「サプライチェーン」に関する交渉を「実質的」に終了したことを発表した。同長官の記者会見は、IPEFの23年内の合意への期待にも拘わらず、デジタル規制や労働・環境などの分野での発展途上国メンバーとの交渉が思惑通りに進展しないことから、とりあえずは合意を得られやすいサプライチェーンの柱だけでも妥結に漕ぎつけたい、との強い思いを感じさせるものであった。

IPEFにおけるサプライチェーンの柱での合意は、供給調達網の監視や危機対応メカニズム、投資促進、労働力開発などにおいて、新たな加盟国間の協力の枠組みが形成されることを意味する。すなわち、IPEF加盟国は半導体などの重要な分野と品目を特定し、サプライチェーンの情報共有や危機対応のメカニズムを推進することになる。

なお、日本やシンガポールの主導でIPEFに盛り込まれることになった水素供給網に関しては、デトロイトの閣僚会合後の共同声明によれば、IPEFのクリーンエコノミーの柱の中で「地域水素イニシアティブ」として立ち上げることになった。ただし、水素イニシアティブの参加国やその内容の詳細などはまだ明らかにされていない。

テキストや法体系の整備等の準備をスタート

米国はIPEFを立ち上げ、これまでのFTA(自由貿易協定)とは違い、デジタル経済、サプライチェーン、クリーンエコノミーなどの分野を優先的に取り上げた新たな経済枠組みを形成しようとしている。

ジョー・バイデン政権は、IPEFをインド太平洋地域における中国に対抗する枠組みとし、さらには労働や環境の分野を重視した「21世紀型の新たな経済協定」と位置づけている。バイデン政権はIPEFの2023年内の合意を目標の一つに掲げているが、これは同年11月にサンフランシスコ市で開催予定のAPEC首脳会議において、一定の成果をアピールしたいためと考えられる。

IPEFは2022年9月にロサンゼルスで初の対面閣僚級会合を開き、①貿易、②サプライチェーン、③クリーンエコノミー、④公正な経済、の四つの柱に対する交渉目標を設定した。12月にはブリスベンで第1回交渉官会合、翌23年2月にはニューデリーで特別交渉会合、3月にバリで第2回交渉官会合、5月中旬にはシンガポールで第3回交渉官会合を開催した。

そうした中で、第3回交渉官会合の直後の5月末に開催されたデトロイトでのIPEF閣僚会合において、加盟国は他の柱に先駆けてサプライチェーンの柱で合意に達した。こうした早期部分合意は、アーリーハーベストと呼ばれる。過去の例としては、インド・タイFTAにおいて、家電製品や自動車部品等の84品目を対象に、2004年9月から関税削減のアーリーハーベストスキームを開始し、2006年9月に関税を撤廃したことを挙げることができる。

サプライチェーンの柱での合意により、IPEF加盟国はインド太平洋地域における安定的な供給調達網の形成のため、批准に向けたテキストや、法体系の整備等の準備をスタートすることになる。同時に、IPEFの他の三つの柱(貿易、クリーンエコノミー、公正な経済)についても交渉の進展を図っていくものと思われる。

低くはないIPEF加盟国とのサプライチェーンへの依存度

バイデン政権がサプライチェーンをIPEFの四つの柱の一つに選んだ理由は、半導体・重要鉱物・バッテリーなどのサプライチェーンにおける米国の対中依存度が高く、米国経済の脆弱性に繋がっているため、中国抜きの供給調達網の形成が不可欠であったからである。さらには、IPEFのサプライチェーンの枠組みが創設されれば、加盟国間の安定的な供給調達網の形成や貿易投資の拡大に結び付くことになり、他の柱と比べて相対的に大きい実利を伴う可能性が高いことが挙げられる。

また、IPEFのフレームワークにおけるサプライチェーンの重要性は、IPEF加盟国のGDP規模、あるいは米国の貿易投資総額に占めるIPEFパートナーとの割合の高さからも窺い知ることができる。

米国の議会調査局(CRS)のIPEFに関するレポートによれば、IPEFの14加盟国のGDP合計額は世界全体の40%を占めるとのことである。そして、2022年における米国の財・サービス貿易相手国として、日本、韓国、インドは、トップ10にランキング入りしている。

また、米国の財貿易に占めるIPEFパートナーの割合は21%、サービス貿易では17%であった。一方、2021年の米国の対外直接投資残高に占めるIPEF加盟国の割合は11%、逆に、米国の対内直接投資残高に占めるIPEF加盟国の割合は18%であった。

サプライチェーン協議会等の危機対応ネットワークを形成

バイデン政権がサプライチェーンの確保や安定化を重視せざるを得ないのは、半導体やレアメタル及び医薬品などにおける中国依存の高まりへの懸念だけではない。感染症拡大や自然災害などによって引き起こされる半導体などの供給能力の低下が、自動車などの生産に大きなインパクトを及ぼすようになったことから、その影響が広範囲に及ぶ前に、加盟国間での安定的なサプライチェーンの回復を図ろうとしているためでもある。すなわち、こうした経済安全保障上の問題を解決するため、中国抜きの供給調達網の強化や持続可能性を高めようとしている。

具体的には、加盟各国はデトロイトでのサプライチェーンにおける合意に伴い、「IPEFサプライチェーン協議会」を設立し、何らかの原因でサプライチェーンの脆弱性が顕在化する前に、競争力の回復を目指した半導体等の重要な分野・品目別の行動計画を策定・監督することになる。IPEF加盟国は、同協議会の下で供給源の多様化、インフラ・労働力の開発、物流の連結性向上、ビジネスマッチングや研究開発の促進、貿易円滑化などを図ることになる。

そして、IPEF加盟国は、幾つかの加盟国がサプライチェーンの急な危機に直面した際、情報共有や協力を促進するための「緊急連絡チャネル」として機能する「IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク」を形成することになる。米商務省は、サプライチェーンの柱での合意に基づく各国の国内手続きの完了前にも、こうしたサプライチェーン協議会などを立ち上げる準備を進めたいとの思惑があるようである。

労働や環境への対応を盛り込む

バイデン政権は、次の大統領選挙において中西部などの労働者層の票を確実に獲得するため、IPEFの中に労働や環境を重視する枠組みを導入しようとしている。具体的には、IPEFの枠組みに強制労働などの労働慣行の排除を目指すルールを盛り込み、さらにはIPEFの発展途上国メンバーに米国と同様な脱炭素化や環境保護などの対策を促し、米国の競争力を高めることで国内の生産・雇用水準を引き上げ、労働者側の要求に応えようとしている。

レモンド商務長官はデトロイトでの記者会見において、IPEFのサプライチェーンの回復力を高めるためにも、官民が協力して労働者の権利を一段と促進する必要があるとし、政府、労働、企業の代表者の三者構成による「IPEF労働権諮問委員会」の設立を表明した。

さらに、労働者の権利が制限されていることに関する「施設固有の申し立て」に対処するために、加盟国間で協力するメカニズムの創設を検討しているようである。このメカニズムの内容はまだ明らかにされていないが、IPEFの発展途上国メンバーの事情を考慮し、新NAFTA(北米自由貿易協定)であるUSMCA(米国メキシコ・カナダ協定)に盛り込まれたRRM(事業所特定の迅速な労働問題対応メカニズム)とは異なるスキームとなるようだ(注1)。

また、IPEFのサプライチェーンの強化のため、労働者の技術支援やキャパシティビルディングの機会の拡充を図ることで合意に達した。これは、いうまでもなくサプライチェーンの強靭性を高めるためには、労働者の役割やスキルアップが不可欠だとの考えに基づいている。IPEFのプレスステートメントでは、これから特定化されるサプライチェーンの重要な分野や品目において、十分な数の技能労働者を確保するとしている。

輸出評議会を活用しIPEFのサプライチェーンを支援

レモンド商務長官は、バイデン政権の下で活性化された「大統領の輸出評議会」と協力して、IPEFのサプライチェーンの柱を支援することを明らかにした。同長官の声明によれば、IPEFのサプライチェーンの多様化と強靭化の支援策の一環として、米国の輸出業者のビジネスマッチングの機会を高めるため、今後5年間でIPEF市場に最大で10の貿易ミッションを主導する計画である。

大統領の輸出評議会は、1979年5月4日の大統領令によって設立された。2008年のリーマンショックの発生を受け、当時のバラク・オバマ大統領は5年間で輸出を倍増する計画を発表し、大統領の輸出評議会を強化する方針を打ち出した。ドナルド・トランプ大統領の時代では休眠状態であったが、バイデン大統領はフォードモーターカンパニーやフェデックスなどの上級幹部を輸出評議会のメンバーに任命するなど、オバマ政権同様に輸出評議会を利用した輸出促進を進めようとしている。

大統領の輸出評議会は、米国の貿易に影響を与える政府の政策とプログラムについて、大統領に助言する使命を与えられており、ビジネス界のリーダーとともに、商務長官、米国通商代表部(USTR)代表、その他の政府部門のトップなどもメンバーになっている。


1.「交渉が進展するIPEF(インド太平洋経済枠組み)~国境を越えた個人情報やデータローカライゼーションのルール化に新たな動き~」国際貿易投資研究所(ITI)、コラムNo.112、2023年5月1日、参照。

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