一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2024/05/20 No.133IPEFクリーン経済協定の狙いと日本の対応~その3 日本はIPEFをテコにした水素社会への転換を実現できるか~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

国際再生可能エネルギー機関(以下、IRENA)は2022年の報告書「Geopolitics of the Energy Transformation :The Hydrogen Factor、エネルギー転換の地政学:水素要因」において、地球の気温上昇を1.5°Cに抑えるというパリ協定のシナリオの下では、水素は2050年までに世界のエネルギー需要の最大12%を占めると予測している。これは、日本やEUなどにも新たなエネルギー大国になるチャンスがあることを示唆している。

水素などを活用したクリーン経済への移行に不可欠な資金を支援

米国商務省は「IPEFクリーン経済協定」を、域内のインフラ投資や資金供与及び技術・労働力開発などの促進し、IPEF加盟国の脱炭素化を支援する経済枠組みと考えている

その中で、米国はクリーン経済協定の交渉において、グローバル気候基金(以下、GCF: Global Climate Fund)、触媒資本基金(以下、CCF:Catalytic Capital Fund)、クリーン経済投資家フォーラムなど、気候変動関連のインフラ整備や投資促進に要する資金調達の枠組みの創設に積極的に関与してきた。これらの個々のフレームワークは、相互に補完し合いながら、クリーン経済協定の関連プロジェクトに不可欠な資金供与などを行うことになる。

米国国際開発金融公社(DFC)はIPEFクリーン経済協定のインフラプロジェクトへ3億ドルを拠出し、GCFを設立することを表明している。この基金は、最大9億ドルの自己資本を動員し、投資運用会社の「I Squared Capital」を通じて、再生可能エネルギー、スマートグリッド機能、電力貯蔵、資源回収などのプロジェクトに投資する見込みだ。

また、IPEF加盟国はCCFの立ち上げに合意しており、米国、日本、オーストラリア、韓国は、合計で3,300万ドルを拠出することを表明した。CCFは、IPEF域内におけるインフラ投資や人材・技術開発への資金支援を目的として設立されるもので、再生可能エネルギー導入などの事業で投入される資金は、民間インフラ開発グループ(PIDG)において管理・活用される予定である。

2024年6月5~6日にシンガポールで開催される第1回IPEFクリーン経済投資家フォーラムは、投資家や慈善団体、政府機関、革新的な企業や起業家を結集し、地域の気候関連のインフラ、技術、プロジェクトへの投資を増やすことを目指して開催される。その実態は、投資への資金提供に関連する企業のビジネスマッチングの場と考えられる。

本稿シリーズの、「IPEFクリーン経済協定の狙いと日本の対応~その2 9節38条から成るクリーン経済協定の概要と日本のメリット~」で紹介したように、シンガポールと日本の提案による「IPEF域内水素イニシアティブ」は、IPEFクリーン経済協定の協力作業プログラムの第1号として認定されている。

シンガポールは、二酸化炭素の排出量を2050年までに実質ゼロ(ネットゼロ)とする新たな目標を発表しており、水素発電により電力需要の半分を充足する野心的な計画を推進しようとしている。今後はIPEFの協力作業プログラムの場で、加盟国間における水素関連プロジェクトへの資金供与や技術支援などが話し合われることになる。

米国においても、エネルギー省はインフラ投資雇用法(IIJA)に基づき、全米で70億ドルに達する七つの水素ハブを設立する計画を進めている。ジョー・バイデン大統領は2023年10月、フィラデルフィア港でその計画を説明する中で、「水素は鉄鋼やアルミニウムを生産する産業に電力を供給し、トラックや鉄道、飛行機などの輸送システムを革新する」と述べた。

日本はIPEFの活用で覇権を握れるか

日本政府は2023年6月6日、水素基本戦略を6年ぶりに改定し、水素の供給量を現状の30年に最大300万トンに加え、40年までに年間1,200万トンに拡大するという目標を新たに設定した。改定では、燃料電池・水電解装置・発電・輸送など日本が強みを持つ技術を戦略分野に指定し、日本企業の技術・製品を国内外の市場に普及させ、日本企業の産業競争力の強化につなげるという方針を示した。

米国は2023年6月5日に「国家クリーン水素戦略」を発表し、クリーン水素の製造量目標を30年までに年間1,000万トン、40年までに2,000万トン、50年までに5,000万トンとすることを明らかにした。また、欧州委員会は20年7月にEUの水素政策の基礎となる「水素戦略」を発表し、30年までに最大年間1,000万トンというグリーン水素(注1)の域内生産目標を掲げた。

IPEFはクリーン経済への移行に伴う政策議論、技術開発・協力、水素などの供給網整備、労働力開発、資金供与等に関する新たな枠組みを定めている。こうしたルールを有効に活用することで、日本企業はオーストラリアやインドネシアなどのIPEF加盟国との水素プロジェクトでの協業や企業連携を効果的に促進できる。

何よりも、協力作業プログラムに盛り込まれたIPEF域内水素イニシアティブは、日本が主体的に水素関連プロジェクトについて支援・協力する枠組みとなっており、日本企業の域内の水素ビジネスの展開に大いに役立つものと思われる。

水素関連の特許でイノベーションリーダーの日本

水素のイノベーション能力や競争力を測る指標として、研究開発(R&D)支出や特許を挙げることができる。これまでは先進国が世界の水素研究開発支出の大部分を占めてきたが、中国が2019年に水素研究開発支出を6倍に増やしたこともあり、欧米や日本に急速に追いつきつつある。

IRENAによれば、2010 20年までの水素関連特許の41%は燃料電池で、36%は水素製造、21%は水素貯蔵であった。近年は燃料電池よりも水素の製造・貯蔵の割合が高まっている。

日本は燃料電池の特許で優位にあり、全特許のほぼ40%を占めており、次いで欧州、韓国、米国が続く。欧州は、主に電気分解装置などの水素製造と水素貯蔵技術でリードしている。日本は両分野とも2番手であり、次に米国、韓国が続く。IRENAのレポートは、日本は世界で最も多く水素関連の特許を持っており(全体の36%)、技術力は高いと指摘している。

世界をリードする水素立国になるのはどの国か

IRENAの2022年の報告書によれば、20年時点ではゼロに近い世界の水素需要は、50年までに世界のエネルギー需要の12%を占めると予測している。これが実現すれば、日本などの新たなエネルギー大国が生まれる可能性がある。

IRENAによれば、中国は現時点では、水素の消費や生産で世界ナンバー1の国である。その消費は石油精製と化学産業におけるアンモニアとメタノールが中心であり、年々その量は増加傾向にある。中国で生産される水素のほとんどは石炭などの化石燃料を使用して生成されたものであり、石炭消費の3~5%を占める。中国は2016年に最初の水素ロードマップを発表しており、世界有数の燃料電池自動車(FCEV)の保有国であるとともに、燃料電池トラック・バスの開発では先駆者である。

EUは2020年に国家水素戦略を発表し、欧州グリーンディールなどの政策目標を達成するための重要な分野として水素を認識している。IRENA の報告書によれば、EU は 21 年から 30 年にかけて、水素プロジェクトに対して年間 45 億 6,000 万ドルの資金を拠出する可能性がある。

EUの中で最も大きな水素プロジェクト資金を提供するのはドイツで年間20億ドルを超えるが、フランスとイタリアは10億ドルに達しない。これに対して、日本の資金支援は10億ドルを超えるが、韓国は7億ドル近辺、米国は5億ドルに満たず、中国は米国の半分以下である。

ただし、IRENA作成 による米国の水素プロジェクトへの支援額は2021年8月5日時点のものであり、同年11月に発効したインフラ投資雇用法に盛り込まれたクリーン水素開発支援のための95億ドルを含んでいないようだ。仮にこの95億ドルが発効から5年間の支出であれば、米国の水素プロジェクトへの資金支援は年間約20億ドルとなり日本を上回ることになる(95億ドルが10年間の支出額であっても、年間約10億ドルとなり、元々の5億ドル弱に加算すると、日本の10億ドル強を上回る可能性がある)。さらに、米国エネルギー省は、クリーンな水素の生産コストを10年間で1キログラム当たり1ドルまで削減するという、水素アースショットプログラム(111目標)を開始している。

IRENAの報告書によれば、日本は2017年に全ての分野で水素燃料を採用することで、世界初の「水素社会」になるという目標を掲げるなど、国家水素戦略を策定した最初の国であるとしている。また、日本は水素を輸入するため長期供給契約を締結し、30年までに80万台のFCEVの生産と900の水素充填ステーションの設立を目指していることを紹介している。

日本は水素関連の特許取得ではEUを上回るが、水素プロジェクトへの資金供与という面ではEUを下回っており、インフラ投資雇用法による支援額を考慮すれば米国をも下回る可能性がある。しかしながら、日本は水素プロジェクト支援では韓国や中国よりも優っており、今後はEU(あるいは米国)を上回る水準を目指すことで、世界をリードする水素立国への道を歩むことが期待される。

水素プロジェクト協業に向けた日本企業の動き

シンガポールは、2026年には水素を燃料とする国内初の発電所を完成させる予定であり、発電を中心とした水素導入の動きが活発化している。こうした動きをにらみ、日本の大手商社やインフラ関連会社はシンガポールの地場企業と連携しながら水素市場への参入を加速化する動きを見せている。

ジェトロによれば(注2)、伊藤忠商事、フランス電力会社(EDF)、シンガポールの発電会社トゥアス・パワーは2022年10月、グリーン水素とアンモニアでの協業に関するMOUを締結し、第三国での再生可能エネルギーのプロジェクト開発や、製造・発電・船舶燃料供給を含めたグリーンアンモニアのサプライチェーンの構築を検討する方針である。双日とシンガポールの複合企業セムコープ・インダストリーズは22年10月にMOUに署名し、アジア太平洋州で再生可能エネルギーやグリーン水素のバリューチェーンなど幅広い事業領域で協業を行う予定である。また、これ以外にも幾つかの案件が進展中とのことである。

一方、マレーシアは2023年11月のIPEF閣僚会合において、「IPEFクリーン経済投資家フォーラム」の年次開催提案を歓迎する表明を行った。IPEF触媒資本基金の設立も好意的に捉えており、それを活用した気候変動関連のインフラ整備は途上国には極めて重要との認識を示した。さらに、マレーシア政府は、二酸化炭素回収・有効利用・貯留(CCUS)を含む革新的なクリーン技術に対する取り組みが、IPEF地域の温室効果ガス排出削減に重要な役割を果たすとの見解を明らかにした。

インドはIPEFの貿易の柱には不参加であるが、クリーン経済協定には参加している。インドのナレンドラ・モディ首相は、2047 年までにエネルギーの自給自足を達成するには、グリーン水素が不可欠であると主張している。このため、同首相は2021年8月、「グリーン水素の生産と輸出の世界的ハブ」になるという目標を掲げ、「国家水素ミッション」を発足させた。

インドが国内の石油とガス需要のほとんどを満たしている輸入化石燃料から離れ、再生可能エネルギーに舵を切ろうとしているため、グリーン水素に関するプロジェクトは大きな付加価値を生む可能性がある。インド政府は製油所や肥料工場にグリーン水素の使用を義務付けることを検討しているようだ。

日本企業には、シンガポールに加えマレーシアやインドなどにおいても、IPEFの協力作業プログラム等を活用したさらなる水素関連プロジェクトの協業や投資の機会を探ることが期待される。

  1. グリーン水素は、再生可能エネルギーで水を電気分解して作られ、燃える時に加えて生産過程でもCO2が排出されないため最もクリーンな水素である。これに対して、ブルー水素は化石燃料を分解して作られ、その時に発生するCO2を回収・貯蔵・利用することで大気に放出することなく製造される。グレー水素は化石燃料を分解して作られ、発生したCO2を大気に放出して製造する。一般的に、グリーン水素とブルー水素をクリーン水素と呼んでいる。
  2. ジェトロ地域分析レポート、特集:各国が描く水素サプライチェーンの未来「 水素導入視野に加速する日系企業の参入(シンガポール)」、2023年6月9日参照。
    (https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2023/0503/37d4fae1789cdf86.html)
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