一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2011/06/02 No.141_4通商戦略の潮流と日本の選択(4/4)

馬田啓一
(財)国際貿易投資研究所 客員研究員
杏林大学総合政策学部/大学院国際協力研究科 教授

(4/4ページ)

IV.TPPと日本の選択

1.遅れをとった日本のFTA
日本のFTAは経済連携協定(EPA)とも呼ばれる。EPAは幅広いビジネス環境の改善を目指して、関税撤廃だけでなくサービスや投資、競争政策、政府調達、知的財産権、人の移動などを含む包括的な内容になっている。

日本は2002年のシンガポールとのFTA発効を皮切りに、東アジア諸国を中心に交渉を重ね、これまでに12の国・地域と締結している。件数ではさほど遜色はないが、米国、中国、EUなどの主要貿易相手国・地域とのFTA締結交渉はメドが立っておらず、日本のFTA率(貿易に占めるFTA締結国の割合)は17.4%にとどまる。因みに韓国のFTA率は35.6%、日本は大差をつけられている。FTA競争での遅れは、日本の産業競争力にとって大きなマイナスである(注7)。

FTAを締結する際には、WTO協定(GATT第24条)との整合性から、「実質上のすべての貿易」において障壁を撤廃しなければならない。しかし、実際は輸入額の90%以上の自由化が一つの目安とされている。日本の自由化率(関税撤廃率)は、メキシコとのFTAを除き90%を超えてはいるものの、多くのFTAで相手国の自由化率より低い。

表5  日本のFTA締結交渉状況

 

 

交渉開始

発効その他

自由化率

日本

相手国

発効済み

シンガポール

メキシコ

マレーシア

フィリピン

チリ

タイ

ブルネイ

インドネシア

ASEAN 全体

スイス

ベトナム

2001 年 1 月

2002 年 11 月

2004 年 1 月

2004 年 2 月

2006 年 2 月

2004 年 2 月

2006 年 6 月

2005 年 7 月

2007 年 1 月

2007 年 5 月

2007 年 1 月

2002 年 11 月

2005 年 4 月

2006 年 7 月

2008 年 12 月

2007 年 9 月

2007 年 11 月

2008 年 7 月

2008 年 7 月

2008 年 12 月

2009 年 9 月

2009 年 10 月

94.7

86.8

91.1

91.6

90.5

91.6

99.9

93.2

93.2

99.3

94.9

100.0

98.4

99.3

96.6

99.8

97.4

99.9

89.7

91.0

99.7

87.7

署名済み

インド

2007 年 1 月

2011 年 2 月

 

 

交渉完了

ペルー

2009 年 5 月

2010 年 11 月

 

 

交渉中

湾岸協力会議 (GCC)

豪州

2007 年 1 月

2007 年 4 月

 

 

 

 

 

交渉中断

韓国

2003 年 12 月

2004 年 11 月

 

 

  (資料) 経済産業省、ジェトロ

これは農産物の自由化率が低いためである。これまで締結したFTAはいずれも、鉱工業品はほぼ全品目で関税を撤廃しているが、コメ、小麦、砂糖、乳製品などのセンシティブな品目については自由化の対象から除外している。

今後は農産物の例外扱いを認めない国・地域とのFTA交渉は難航が予想される。このため、2010年11月に閣議決定した「包括的経済連携に関する基本方針」では、主要貿易国・地域との高いレベルの経済連携を目指す方針を打ち出した。競争力強化などの抜本的な国内改革をまず先行的に進め、センシティブな品目に配慮しながらも、すべての品目を自由化交渉の対象にするとしている。国内農業への影響が懸念されるなか、高いレベルの経済連携と農業をいかに両立させるのかが大きなカギとなる。

2.TPP交渉と日本
菅首相が2010年10月に所信表明演説で環太平洋連携協定(TPP)への参加を検討すると表明してから、その是非をめぐり、いわゆる「平成の開国」論争が起きている。TPPはアジア太平洋地域の広域連携の一つ。2006年にシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4カ国間で発効されたP4(パシフィック4)と呼ばれるFTAが母体だ。これに米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアを加えた9カ国で、今年11月の妥結に向けて交渉が進められている(注8)。将来、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)への移行が想定されているTPPには、APEC加盟国の多くが関心を示しており、TPPの参加国は今後さらに増える可能性が高い。

日本がTPPに参加すれば、アジア太平洋地域の成長を取り込むことができる。TPP参加国が日本に対する貿易障壁を撤廃するので、国内の輸出産業には大きなビジネスチャンスとなる。域内における規格や基準が統一されるなど非関税障壁分野でのメリットは計り知れない。一方、輸入品と競合する国産品を生産している産業は一段と厳しい競争に直面する。とくに農業への影響が大きいと予想される。

日本がこれまで締結したFTAに比べ、関税の撤廃で例外分野が認められないなど、TPPは極めて高いレベルの自由化を参加国に求めている。日本が参加するためには、国内の農業改革や非関税障壁などの規制改革を進める必要がある。このため、政府は当初、今年6月までにこれらの改革の基本方針を決め、TPPに参加するかどうかの判断を下すとしていた。

しかし、東日本大震災の影響で、政府内の検討が事実上足踏み状態に陥り先送りとなった。TPP交渉は日本の国内事情とは関係なく進行している。これで、アジア太平洋地域における貿易の基本的な枠組みが事実上決まるTPPのルール作りに、日本が関与することが一層難しくなっている。

3.急務となった農業改革
日本の農業の現状は厳しい。農家一戸当たりの農地面積は狭く、零細・兼業農家が多くを占め、非効率な農業生産が行われている。農業の就業人口は減少し、急速に農業従事者の高齢化が進行している。仮にTPPに参加しなくても、このままでは日本の農業はジリ貧となる。

日本の農業政策を根本から問い直す必要がある。WTOの農業交渉における日本劣勢の構図を見れば、日本の農産物自由化(関税撤廃)はもはや避けられない流れである(注9)。今回のTPP参加を、むしろ農業改革の好機ととらえるべきであろう。

まず第1に、農業保護の形態を関税から直接支払いという補助金(所得補償)に転換すべきだ。農業保護を止めろというのではない。関税による価格支持政策からの脱皮が必要である。所得補償は本来、低価格の農産物輸入によって被る農家所得の減少を補償する目的で実施されるべきものである。高い関税を残したまま、しかも価格下落を阻止するための減反を条件とするような現行の戸別所得補償制度は間違っており、見直しが必要である。

第2に、今後、日本の農業を再生させるためには、「新たな担い手」による新たな取り組みが必要である。企業による農業への参入や農地利用の規制緩和を促進させるべきだ。2009年に農地法の改正が行われ、硬直化していた農地問題にようやくメスが入った。「自作農主義」と呼ばれる、農地の所有者が農作業をすべきだという原則を改め、農地の貸借を原則的に自由化した点に、制度見直しの意義がある。

これにより、法人が農地を借りて、農業に参入できるようになったが、規制緩和はまだ不十分である。高齢化により農業が続けられなくなった農家が、農地を農業生産法人などに貸し出せば、土地の有効利用につながる。放棄地の増加にも歯止めがかかる。細分化した農地が法人によって集められれば、農地面積の大規模化が可能となり、農業の生産性も上がる。

なお、今のような集票狙いのバラマキ型の戸別所得補償制度を続けていれば、それを目当てに非効率な農業を続け、貸していた農地を貸しはがす零細な兼業農家が増え、政府が目指す「農地の集約化」にはつながらない。

第3に、品質差別化など、国内農産物の非価格競争力強化に取り組むべきである。日本の農業が規模を拡大し生産性を向上させても、海外から輸入される農産物との価格競争にはおのずと限界がある。したがって、価格が割高でも、消費者のニーズに合わせて「食の安全」など品質の差別化を図り、国内農産物の非価格競争力を強化させることが重要である。東アジアの富裕層をターゲットにした高級農産物の輸出拡大も狙うべきだ。農業を儲かるビジネスへと発展させるために、これまでの「守り」の農業政策から「攻め」の農業政策への転換が今こそ求められている。

4.日本の復興と通商戦略
日本の通商戦略は新たな試練に直面している。未曾有の東日本大震災により甚大な被害を受けた日本にとって、いま最大の課題は経済復興である。貿易立国である日本がこの苦難を乗り越え、経済復興を遂げるためには、貿易の拡大が不可欠だ。

大震災によって日本企業の国内の生産拠点を含むグローバルなサプライチェーン(供給体制)が寸断された。国内だけでなく世界の経済活動が大きな影響を受けた。政府はインフラ復旧への支援などを通じて一刻も早いサプライチェーンの再構築を促す必要がある。同時に、震災で生産拠点が海外に流出するのを防ぐためにも、他国に劣後しないビジネス環境を整備することを考慮に入れながら通商戦略を推進する必要がある。

環太平洋連携協定(TPP)への参加とWTOのドーハ・ラウンドの年内妥結は、大震災の後も依然として日本の重要な通商課題である。とくにTPP参加への取り組みは、日本の通商戦略にとり試金石といえる。政府が被災地に十分配慮した農業改革と規制緩和策の基本方針をまとめ、TPP交渉に参加するという方針を打ち出すことができれば、WTO交渉でも妥結に向け日本の主導的な役割を果たせる。また、日本の主要貿易相手国である米国、中国、EUを含むFTA締結の可能性が高まる。米国が主導するTPPに刺激され、日中韓FTAやASEANプラス6の広域FTA交渉が本格化し、EUも日本とのFTA締結を急ぐことになるだろう。日本はしたたかに重層的なFTAの枠組みづくりを目指せばよい。

しかし、6月までに政府の判断を下すとしていたTPPへの参加問題は、大震災の影響で検討作業は中断されたままだ。TPPのバスに乗り遅れれば、アジア太平洋地域における貿易自由化の恩恵から日本は取り残されてしまう。大震災後の経済復興のためにも、そうした事態は避けたい。日本政府はTPP参加問題をたなざらしにしておくべきでない。(了)

(注7)韓国は2010年に米国、EUとFTAを締結しており、中国とは今年FTA交渉が開始すると見込まれている。これらが発効すれば、日本企業が競争の上で不利になるのは否めない。

(注8)TPP交渉では、以下の24の作業部会で、協定の条文をまとめる協議をしている。主席交渉官協議、市場アクセス(工業)、市場アクセス(繊維・衣料品)、 市場アクセス(農業)、原産地規則、貿易円滑化、SPS(衛生・検疫)、TBT(貿易の技術的障害)、貿易救済措置、政府調達、知的財産権、競争政策、サービス(越境)、サービス(電気通信)、サービス(一時入国)、サービス(金融)、サービス(電子商取引)、投資、環境、労働、制度的事項、紛争解決、協力、分野横断的事項。

(注9)2008年7月の7カ国・地域非公式閣僚会合で、ラミーWTO事務局長が示した調停案は、「重要品目」(関税削減の例外措置を適用できる農産物で、関税品目の一定割合)は原則4%、代償付きで6%まで可とする内容である。農産物の関税品目数1332品目の10%の確保(7月会合で追加を含め8%に引き下げ)を目標としていた日本にとっては極めて厳しいものとなっている。

参考文献
馬田啓一・石川幸一・佐々木高成(2011年)「通商戦略の論点1~32」『日本経済新聞』(経済教室・ゼミナール)4月12日~5月26日、32回連載。
馬田啓一・大木博巳編著(2005年)『新興国のFTAと日本企業』ジェトロ。
青木健・馬田啓一編著(2010年a)『グローバリゼーションと日本経済』文眞堂。
青木健・馬田啓一編著(2010年b)『グローバル金融危機と世界経済の新秩序』日本評論社。
馬田啓一・浦田秀次郎・木村福成編著(2005年)『日本の新通商戦略-WTOとFTAへの対応』文眞堂。
馬田啓一・木村福成編著(2008年)『検証・東アジアの地域主義と日本』文眞堂。
馬田啓一・木村福成・田中素香編著(2010年)『検証・金融危機と世界経済』勁草書房。
馬田啓一・浦田秀次郎・木村福成編著(2011年)『日本通商政策論-自由貿易体制と日本の通商課題』文眞堂。
経済産業省(2010年)『通商白書2010』。
経済産業省(2011年)「EPA/TPPの推進について」(2011年2月)。
椎野幸平・水野亮著(2010年)『FTA新時代-アジアを核に広がるネットワーク』ジェトロ。
内閣官房(2010年)「包括的経済連携に関する検討状況」(2010年10月)。
日本貿易振興機構(2010年a)『2010年版ジェトロ貿易投資白書』。
日本貿易振興機構(2010年b)「環太平洋経済連携協定(TPP)の概要」(2010年11月)。
日本経団連(2011年)「我が国の通商戦略に関する提言」(2011年4月)。
農林水産省(2010年)『平成21年度食料・農業・農村白書』
山澤逸平(2010年)『2010年日本APEC-アジア太平洋協力:21世紀の新課題』ジェトロ。

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