一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

Menu

コラム

2024/09/11 No.138ハリス政権誕生ならばどのような政策が日本に影響を与えるのか~その2 ハリス副大統領が打ち出す通商政策に日本企業はいかに対応するか~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

ハリス政権が誕生すれば日本にどのような影響をもたらすか

カマラ・ハリス副大統領は1964年生まれで、2003年にサンフランシスコ市郡地方検事となり、2010年にはカリフォルニア州司法長官に選ばれた。その後、2016年の上院議員選挙において勝利し、カリフォルニア州の上院議員に選出された。ハリス副大統領はジャマイカ出身のアフリカ系(黒人)の父親を持ち、母親はインド系である。

ハリス副大統領は2021年1月、女性としてまた黒人としても米国史上で初の副大統領に就任したが、それ以来、自分の政策を明確にすることよりも、ジョー・バイデン大統領のアジェンダを支持することに力を注いできた。

しかしながら、ハリス副大統領はこれからの大統領選において、米国有権者の関心が高い中間層向けのインフレ対策や人工中絶・移民問題等に加えて、インド太平洋経済枠組み(以下、IPEF)等の通商政策や気候変動対策及び中東・ウクライナ問題等の外交政策においても、徐々に独自色を強めようとするものと思われる。そして、ドナルド・トランプ前大統領との激戦を制するため、女性はもちろんのこと、黒人や若者からの票の獲得に繋がるような政策を前面に押し出すと思われる。

一方、日本を含む世界の国々が24年米国大統領選挙を注目せざるを得ないのは、次期米国大統領が打ち出す通商外交政策等が自国の様々な分野に極めて大きな影響をもたらすからである。したがって、世界中の人々は、次の米国大統領に選ばれるのはハリス副大統領なのかあるいはトランプ前大統領なのかを、固唾を呑んで見守っている。

米国の次期大統領が打ち出す政策の中で、日本などが最も影響を受けるのは、当然のことながら両候補が打ち出す国内政策というよりも、対外問題を扱う通商外交の分野である。

トランプ前大統領が当選したならば、いうまでもなくアメリカ・ファーストを主張し、貿易赤字の削減のため、額面通りではないとしても世界一律10%~20%の関税や中国への60%の関税等の賦課を実行する可能性が高い。そして、トランプ前大統領の高関税政策は中国だけでなく日本にも極めて大きなインパクトを与えると考えられる。

もしも、日本の対米輸出の多くの製品に20%の関税が賦課されるならば、2018年から始まった通商拡大法301条に基づく対中追加関税(7.5%~25%)に近い影響を受けることになる。トランプ前大統領が主張する中国への60%の関税も、日本の中国子会社を介した対米輸出に大きな影響を与えることは確実である。

これに対して、ハリス副大統領が勝利したならば、バイデン政権の関税削減に頼らない貿易枠組みを柱とする通商政策を引き継ぎ、IPEFや経済繁栄のための米州パートナーシップ(APEP)等の経済枠組みを押し進めることは間違いない。すなわち、ハリス副大統領が当選するならば、当面はTPPのような従来の関税削減等の市場アクセス分野を含むFTAを積極的に展開する可能性は低いと思われる。やはり、IPEFのような市場アクセスを除いた貿易協定を押し進め、しかも労働環境条項の強化等に動くことが想定される。

AIを活用した産業の革新に大きな関心を持つハリス副大統領

ハリス副大統領は、中東やウクライナの問題等への対応についても、バイデン政権の外交政策を継承することは疑いない。実際に、これまでにない緊張の高まりが見られるパレスチナ自治区のガザ等における戦闘に関しては、ハリス副大統領は「永続的な停戦協定」を目指すと発言するなどバイデン政権と同様な姿勢を見せているが、この複雑な問題に対していかにしてハリス色を打ち出していくかが注目される。

また、ハリス副大統領は、TPPや米国・メキシコ・カナダ協定(以下、USMCA)に反対の立場を取ったが、その背景としてTPPは労働者に不利益な内容となっており、USMCAは環境問題への対応が不十分だと判断したことが挙げられる。ハリス副大統領は気候変動対策を重視しており、2026年のUSMCAの見直し等において、労働者の権利に関するルールの強化とともに、炭素国境調整措置等を提案する可能性がある。同時にUSMCAに組み込まれた労働権の侵害等に対応する「事業所特定の迅速な労働問題対応メカニズム(以下、RRM)」の応用として、その気候変動問題バージョンの導入を要求することもありうる。

また、ハリス副大統領は中国依存度を低下させるためにサプライチェーンの多様化を進めることは言うまでもないが、AIを活用した産業の革新に大きな関心を持っており、デジタル経済等の分野に意欲的に取り組むことが想定される。事実、ハリス副大統領は2023年11月の英国政府主催の国際AIセーフティサミットに参加し、AI活用に伴う種々の問題に対して世界的な協力の重要性を訴えている。

デジタル経済や労働環境問題を含むIPEF貿易協定の交渉は継続案件となっているが、これは米国がこれまでのデジタル基準(データの国境を越えた自由な移動の制限禁止、個人データ等の現地化要求の禁止、アルゴリズムの開示要求禁止)への支持を撤回する方針を明らかにし、IPEFの協議からこの懸案事項を除外するよう求めたことが一因である。

同時に、バイデン政権はUSMCAの迅速な労働問題対応メカニズムであるRRMを参考にして、IPEFサプライチェーン協定に盛り込まれた労働権侵害の通報メカニズムよりも拘束力のある労働関連規定を盛り込もうとしたが、こうした労働者の権利や環境対策での米国の強硬な姿勢に対して、IPEFの発展途上国メンバーの中には反発する国もあったことも貿易協定で合意できなかった原因の一つであった。

バイデン政権は、デジタル基準を支持するビッグテック等のIT企業と、支持の撤回に賛成する労働界や進歩的な団体・議員等との国内調整に手間取っているが、ハリス副大統領が当選すれば、デジタル基準の調整が進み、IPEFの貿易協定の合意の可能性が高まることが予想される。

また、ハリス副大統領はガチガチの保護主義者ではないと公言しているものの、中国への追加関税や輸出管理規制及び海外投資規制等については、これまでのバイデン政権の対応を踏襲すると思われる。

サプライチェーン協定やクリーン経済協定の活用が求められる日本

オーストラリアのドン・ファレル貿易相は、2024年8月26日の米国通商専門誌INSIDE USA TRADEによれば、シカゴでの民主党全国大会に出席し、Sky Newsとのインタビューで米国を含むインド太平洋地域とのIPEFを通じた貿易関係の拡大を重視していると発言した。また、同貿易相は既に署名を終えているIPEFのクリーン経済協定、公正な経済協定等の今後の交渉の進展に期待するところが大きいことを明らかにした。継続案件となっている貿易協定に関しては、交渉が遅れているだけだとの見通しを示し、大統領選後の進展を望んでいることを表明した。

IPEFのサプライチェーン協定は、インド太平洋地域で幅広く部品等の供給調達網を形成する日本にとって非常に重要な経済枠組みであることは間違いない。商務省は2024年8月23日、IPEFサプライチェーン協定に基づき、サプライチェーンの危機対応メカニズムの対象となる重要分野・商品のリストを発表した。

商務省によれば、そのリストは農業、化学品、消費財、重要鉱物・鉱業、エネルギー・環境産業、ヘルスケア産業、情報通信技術製品、輸送・物流、の8つの重要分野によって構成されている。また、後半の4つの分野において、商品が特定されている。

その商品の中身を見てみると、エネルギー・環境産業は、先端バッテリー、炭素管理・回収技術、水力発電、水素、永久磁石、太陽エネルギーシステム、水・廃水処理装置、風力タービン等を含んでいる。ヘルスケア産業は、医療機器、医薬品、ジェネリック、 ビタミン等。情報通信技術製品は、オーディオビジュアル技術(特にディスプレイ)、半導体、電気通信ネットワーク機器(スイッチやルーター)等。輸送・物流は、航空宇宙、自動車部品、荷役機器(クレーン)、大型・中型トラック、輸送バス、鉄道機器 、造船、流通サービス等を含んでいる。

もしも、IPEF加盟国の3か国以上が、同じ重要分野・商品をリストアップした場合、それらは行動計画チーム(注1)創設の対象となる。そして、分野・商品別の行動計画チームはサプライチェーンの危機対応メカニズムに基づき、加盟国間のサプライチェーンの維持発展を図ることになる。日本はサプライチェーン協定が定める一つの機関である「サプライチェーンの危機対応ネットワーク」の副議長国であり(注2)、重要分野・商品の行動計画チームを用いた危機対応メカニズムの効果的な活用の促進が期待される。

一方、ハリス副大統領はIPEFのクリーン経済協定を用いて、米国環境関連企業の海外展開を支援することが可能である。IPEFクリーン経済協定は、米国だけでなく日本にとっても、再生可能エネルギーや水素等のクリーンエネルギー立国として、気候変動関連産業の競争力強化やカーボンフリーな社会の実現のために有効な枠組みと思われる(注3)。

したがって、労働環境やデジタル貿易及び中国抜きのサプライチェーンの推進を図るハリス副大統領が勝利したならば、日本企業はIPEFへの取り組みをより積極的に展開することが望まれる。日本はIPEFの活用により、インド太平洋地域でのインフラ開発や直接投資の促進とともに、労働者の権利保護や人材育成及び技術開発を支援することが容易になる。

また、域内のデジタル経済分野でのビジネスチャンスの拡大や環境関連の連携プロジェクトの促進等を図るとともに、水素やクリーンエネルギーを有効に活用する社会の実現を目指すことが可能になる。つまり、IPEFを用いることで、インド太平洋地域における経済安全保障の強化に繋がると思われる。

日本企業には、こうしたIPEFの重層的なメリットを追求するのはもちろんのこと、関税削減スキームが柱となっているTPP等の従来のFTAを補完する貿易協定として、IPEFを効果的に活用することが期待される。

  1. IPEFサプライチェーン協定によって定められたIPEFサプライチェーン理事会は、年に1回は対面ないしオンライン上で会合を開催し、少なくとも3か国の加盟国から通知された重要分野・商品の行動計画を実行する行動計画チームを設立し、チーム長を指名しなければならない。行動計画チームの設立日から1年以内に、行動計画のチーム長は行動計画をIPEF サプライチェーン理事会に提出しなければならない。
  2. IPEFサプライチェーン協定で定められたIPEFサプライチェーン機関の初めてのバーチャル会合が2024年7月30日に開催され、議長国と副議長国を選出した。すなわち、IPEF加盟国は、①IPEFサプライチェーン理事会の議長に米国、副議長にインド、②IPEFサプライチェーン危機対応ネットワークの議長に韓国、副議長に日本、③IPEF労働者権利諮問委員会の議長に米国、副議長にフィジー、を選出した。
  3. IPEFクリーン経済協定の詳細については、以下の、ITIコラム「IPEFクリーン経済協定の狙いと日本の対応」、No.131~133を参照。
コラム一覧に戻る